12話『誓いを桜に』

部屋の中に入ると、二つの桜が桔梗を出迎えた。
黄金色の双眸が、心配そうな光を宿して、桔梗に視線を寄越す。

「第四小隊の隊員が治療をしてくれたから、大丈夫よ。それに貴女たち龍は人よりも頑丈でしょう?」
「そ、それは、そうですけど……」
「桜花」

桔梗の呼びかけに、桜花は背筋を伸ばした。
寝息を立てる姉の手は握ったまま、桔梗の方に身体を向ける。

「霊峰が占拠されたのは、事実で間違いないのね?」
「…………はい」
「桜火の当主が人里までやって来たからには、只事ではないと思っていたけれど――まさか、霊峰が占拠されるなんて、」
「里には銀雪と青丹を受け入れ、結界を施して来たらしいです。姉様の結界は私のものよりも強固ですから、そう簡単に壊されることはないと思います」

ですが、と言葉を濁した桜花に、桔梗が口を引き結んだ。

『霊峰には、妾の身体があることを気にしているのね』
「はい。もし、華月様のお身体に気付かれたら、」

華月の魂は桔梗の身体に入っているものの、その身体は今も尚健在である。
旭日と共にあることを選んだ彼女は、肉体に戻ることを良しとはせず、桔梗の中に留まることを選んだ。
そのため、霊王宮の最奥には今もまだ華月の身体が術によって封印されているのだ。

『お前の玉体に傷を付けるというのであれば、我が出る』
「……絶対、言うと思った。そうなると、私が直接出向くことになりますね」

ふう、とため息を吐きながら蟀谷を抑えた桔梗に、旭日が悪戯っ子のような笑顔を浮かべる。

『よく言う。子を傷付けられ、腑が煮えているくせに』
「…………」
『都合が悪くなったら黙る癖は治せ』

喉を逸らして楽しそうに笑う旭日の声に釣られたのか、麻酔で眠っていた桜千の瞼がゆっくりと持ち上がった。

「姉様!」
「……ここは、」
「聖騎士団の医務室です。お加減はいかがですか?」

ぼんやりと辺りに視線を這わせる桜千に声を掛ければ、彼女は桔梗の姿を見るや否や目を見開いた。

「薄明」
「え、」
「違います、姉様。この方は桔梗様です。旭日様と華月様を二人、宿しておられる」

桜花の説明に、桜千は漸く意識を覚醒させたようだった。
咳払いを一つ落とすと、桔梗の前に深く頭を垂れる。

「失礼しました、創世の神子姫。我が名は桜千。桜火の当主にして、桜花の姉にございます」

――創世の神子姫。

聞き慣れない単語に、桔梗は瞑目を繰り返した。
彼女の背後でやり取りを見守っていた旭日と華月が、小さく笑う声が響く。

『そう言えば、そんな字も付いておったな』
『旭日。あまり揶揄っては、後に響きますよ』
『おっと、それは失念していた』
「……聞こえてますよ?」

聞こえるように言っていたくせによく言う、と桔梗は顔を曇らせた。
だが、そのおかげで少しだけ頭は冷静になる。

「何があったのか、詳しく聞いても?」

若葉を彷彿とさせる瞳が、真っ直ぐに桜千を貫く。
桜千は、ちらと隣に座る末妹を見遣った。

幼く頼りのなかった妹の影はもうどこにもない。
風の噂で、人の子と契りを交わしたと聞いて心配していたが、真摯な眼差しを桔梗に送る桜花の姿に、今は亡き妹たちの姿が重なった。
桜千の視線に気付いた桜花と目が合う。
彼女は無言でこくりと頷いてみせた。

桔梗にならば話しても大丈夫だ、とその目が雄弁に語っている。

「……《守護獣》が、霊峰に攻め入って来ました。王都に残った蘭月王が気に掛かり、治療に長けた同族を向かわせていたのが仇になったようです」
「蘭月は無事なのね?」
「はい。現在は里に避難していただいております。ですが、王の治療を終えて里へ戻ろうとした同族の後を尾けられました」
「なるほど、」

桜千の話を聞いた桔梗が再度蟀谷を抑えた。
弟の安否が分かっただけでも重畳と思いたかったが、事態は一刻を争う。

「姉上」

音もなく姿を見せた鈴蘭に、桔梗は片眉を釣り上げた。

「まだ動いてはならないと言ったはずよ」
「私が出向きます」
「鈴蘭」
「蘭月が生きていると知った以上、ここでじっとしているわけにはいきません」

燃ゆる炎を宿した双眸に、ため息を吐き出したのは誰だったのか。

『――まるで、若い頃のお前を見ているようだ。なあ、華月?』

牙を見せながら笑った旭日に、華月がじとり、と視線を返す。

『あら? 血気盛んなのは貴方も同じだったでしょう』

緩く微笑んだ華月の、目だけが笑っていない。
一触即発の雰囲気を醸し出し始めた二匹の龍に、桔梗が本日何度目になるか分からないため息を吐き出した。

蘭月の保護は勿論、霊峰キリの奪還も急がなければならない。
だが、現状あの《守護獣》に対抗できる戦力が少ないのも事実。
下手に動けば、こちらに負傷者が出ることは避けられないだろう。

「こんなときに限ってミアは居ないし、」

せめて《守護獣》の知識が豊富な彼女が居れば、何か対策を立てられたかもしれないのに、と桔梗が下唇を噛み締めた。
部屋の中を重い沈黙が漂う。
うんうん、と唸り声を上げる姉に、鈴蘭が口を開こうとした――その時。

控えめなノックが木霊した。

「ここに桔梗が居るって聞いたんだけど、」

春の日差しをたっぷり浴びた蒲公英のような、明るい金色が部屋を彩る。
視線を一身に浴びたエルヴィが、ぱちりと瞬きを一つ落とした。

「えっ、な、なに?」
「だから言っただろ。鈴蘭叔母上の気配がするから、外で待っていようと」

不安に身体を強張らせたエルヴィの細腕をシュラが弱く引っ張る。
そうして廊下へ戻ろうとした息子たちを、然して桔梗は呼び止めた。

「ちょっと待って」

ちら、と背後の創世龍たちを振り返る。
その若葉色に宿った光に、旭日と華月が口元に笑みを携えた。

「エルヴィに手伝ってほしいことがあるの」

彼女の姿に、桔梗の脳裏には報告書の一文が浮かび上がっていた。
子どもの頃から変わらない悪戯好きなその表情に「碌でもないことを考えているときの顔だ」と、鈴蘭とシュラが不安そうに視線を交差させる。

「囮作戦でいきます」
『また、酔狂なことを思いつくものよ』
「いいでしょ。これが一番、手っ取り早いんです」
『まったく、付き合う妾たちの身にもなりなさい』

既に三人の中では話がまとまっているらしく、シュラは蟀谷がズキズキと痛くなるのを感じた。

「……俺たちにも分かるように説明してください」

呆れたようにため息を吐き出したシュラの言葉に、桔梗が得意気に鼻を鳴らす。

「私とエルヴィの魔力を使って、先代世界樹にリヒトを誘き出すのよ」

――《世界樹》の魔力に反応を示し、襲撃。また、世界樹の魔力が対象に有効であることも確認。

報告書の一文がまた、桔梗の脳裏で鮮やかに存在を主張するのであった。

◇ ◇ ◇

《落陽の洞窟》内部に広がる魔水晶の数に、第五小隊の面々は息を呑んだ。

「中は涼しいですね」
「こっちの方が純度高いからね。あ、でも気を付けて」

アルフレドが景色に見惚れているのを横目に、ミアが注意を促す。

「地面も魔水晶で出来ているから、下手に魔力を流すと暴発するよ」

ばんと脅かすように叫んだミアに、第五小隊とアンナの顔から表情が消える。

「ミアちゃん。今のは笑えない」
「え~? 笑うとこでしたよね、先生」
「……僕に振らないで」

処刑人に脇を固められているホロは小さく声を振り絞るのがやっとだった。

「ノリ悪いなぁ~。ねっ、ナハトくん」

笑うとこだったよね、今の、と尚もしつこく言葉を繰り返すミアに、病み上がりのナハトは困ったように眉根を寄せた。

「俺には、感情の機敏が分からないから、」
「こういうときばかり、人外感出す~」

ミアが不満そうに唇を尖らせる。
ムッとする彼女の横顔に、ナハトが笑いを噛み殺した。

「……アンナちゃん、ごめん。もう二度と勝手な行動しないので、両目を覆わせてください。青春が眩しすぎる」
「はあ? また訳の分からないことを、」
「後生だからぁ~~! 視界を塞いで~~!!」

若人が醸し出す雰囲気にホロが泣き言を上げる。
だが、自身もその一端を担っているアンナが中年男性の機敏に気付けるはずもない。

「それで、あの、隊長」

もはや混沌と化した会話に、アルフレドが意を決して声を掛けた。

「ん~? なあに?」
「我々は何を採取すればいいのでしょうか」
「そんなの決まってるでしょう」
「?」

ミアの言葉に、アルフレドが困惑に表情を染める。
そんな部下を横目に、ミアは手近にあった尖った原石の前に跪いた。

魔力の純度が高いのか、透き通った青色を宿したそれに、そっと手を重ねる。

「ん~。ちょっと違うけど、まあいっか――えいっ」

可愛らしい掛け声とは裏腹に「ガキン」と不穏な音が洞窟内に反響を繰り返した。
その場にいた全員が目を丸くするのを無視して、掌サイズに割った魔水晶へと魔力を込める。

淡い檸檬色の光を発したそれに、ミアは満足そうに口元を綻ばせた。

「思った通り、ここの水晶は世界樹の魔力と濃度が似てる。魔力伝導率も高いし、ナハトくんたちの核になっていても不思議じゃない」
「なるほど、それならもっと奥まで潜った方が良いかもしれないよ。この洞窟は奥に行けば行くほど、魔力濃度が高くなるからね」

言外にミアが求める純度の魔水晶はここにないと告げたホロに、第五小隊の面々は歓声を上げたが、引率のアンナはげっそりとした表情になった。

「この面子を監督する私の身にもなってくださいよ」

面倒臭い、という態度を隠そうともせず、アンナがため息を吐き出す。

「まあまあ、こんな機会滅多にないよ。アンナちゃんも欲しい水晶があったら、持って帰ったらいいじゃない」
「ミアちゃんが持ち帰る研究材料の量、知っていて言ってます?」
「…………まあ、同じ研究者の見解として言わせてもらうと、気持ちは凄く分かる。僕も毎回悩みに悩んで吟味してるもん」
「先生も、そろそろ自重を覚えてください」

既に掌の上でいくつかの水晶を転がし始めたホロに、アンナは呆れた視線を送った。
長い一日になりそうだ、と呟いた彼女の声は、洞窟の中で何度も小さく反響を繰り返すのだった。