6話『新しい春』

「兄上――ッ!!」

シィナが飛び出す。
それをミアは止めなかった。
だが、彼女のすぐそこまで迫った翡翠の刃を、氷の槍で受け止める。

「飛び出すのは勝手だけど、周りにも気を付けなさいよ」

何年、聖騎士やってるの、と皮肉たっぷりに微笑んで見せるも、今のシィナにそれに応える余裕はない。
腹部を貫かれたシュラの側に駆け寄ると、その後ろに守られていた存在に目を見張った。

「エルヴィ!」

シュラと同じか、それ以上に痛めつけられた世界樹(エルヴィ)が息を荒く、シィナの袖口を掴む。

「エルヴィより、シュラを、」
「……大丈夫。二人まとめて回復するわ」

シィナは血だらけのエルヴィをゆっくりと横たえると、両手を合わせた。
パン、と乾いた音が辺りに響く。

「暁の狭間に住まう精霊よ。汝の御手で彼者に癒しを――《光の息吹(ミスト・ルーチェ)》」

柔らかな風がシュラとエルヴィの二人を包み込んだ。
肌の上を撫でるように、風が傷を、血を、消し去っていく。
目に見えていた酷い傷がほとんど見えなくなった頃、二人の呼吸も漸く落ち着いた。

「助かった。ありがとう、シィナ」
「無事で良かった。何があったんです、」
「ご覧の通りだ。アレが突然襲いかかってきた」

アレと称されたのは、ミアと対峙する一人の少女である。
母を幼くしたような風貌の少女に、シィナが目を見張った。
え、と声を漏らしたシィナの隣を突風が駆け抜けていく。

「止めろ! リヒト!」

ミアと少女の間を割くように、両手を広げて彼女の前に立ち塞がる。

「…………識別コード《夜》、そこを退いてください」
「やっぱり、演算装置がやられているのか」
「任務遂行の妨害を確認。貴方を排除します」
「俺を見ろ、リヒト。どうして、そんな、」

ナハトが距離を詰めようと右足を踏み出した瞬間、シュラを襲っていた翡翠の刃が彼に標的を定めた。

「――危ないっ!」

防御魔法を展開したミアが、ナハトを突き飛ばす。
咄嗟に張った所為で強度が弱かったのか、防御魔法にヒビが走った。

「チッ!」
「ミア!」
「離れて! 彼女、どう見ても正気じゃないわ!」

今度はミアが、ナハトと少女――リヒトの間に、割って入った。
翡翠が煌めく。
パリン、と乾いた音を立てて、防御魔法がいとも容易く破壊されてしまった。

「……!」
「止せ、リヒト!」
「任務を妨害する者は、全て排除します」

翡翠の剣が、リヒトの手元に戻っていく。
それは、彼女の髪と同じ色だった。
もしかして、とミアが顔を顰めたのと同じタイミングで、リヒトの豊かな髪が、大量の剣に変化する。

「硬質化して複製、この辺はネイヴェスのお家芸ね。全く、厄介な機能を付けてくれたものだわ」

本来、魔導士は戦闘を得意としていない。
戦闘においての魔導士の主な役割は、遠距離攻撃・味方支援・防御魔法陣の展開などで、積極的に戦闘へ加わらないことがほとんどである。
だが、ヴァルツ家は違った。
それまで接近戦を不得手としていた魔導士の戦闘に革命をもたらしたのだ。

――静止せよ。

凛とした声がその場を支配した。

《魔法》は本来、呪文を詠唱することによって術式を構築し、発動する。
ヴァルツの魔導士たちはそこに目を付けた。
声に魔力を付与することで詠唱自体を簡略化し、即時発動に成功にしたのだ――所謂、言霊魔法の確立である。

「そ、の、魔法は……」

途切れながらに言葉を紡いだリヒトにミアは目を見張った。
かなり強めに魔力を乗せたつもりだったのだが、そこは古代の遺物。ある程度の魔力抵抗は可能らしい。

「無理しない方がいいわよ。下手に動けば、内臓している部品が捩じ切れるわ」

ミアの忠告を受けて、リヒトは眉間に皺を寄せた。
チッと舌打ちまでする様子に、シィナたちが固唾を飲む。
その姿はまるで、人間と言っても遜色なかった。

「シュラくん、大丈夫?」

獣のように低く唸り声を上げるリヒトを他所に、ミアが漸く満身創痍の従兄弟の元へと駆け寄った。

「何とか、な」
「シィナに感謝しなよ~~。鈴蘭様とシィナが会ってなかったら、私たちここに来てないんだから」
「ああ」
「何、その気のない返事は」
「いや、少し驚いてな。お前の言霊魔法を受けても、動ける奴が居るんだなと」
「?」

シュラは地面に転がったままの得物を拾い上げると、すかさずミアの真後ろにそれを突き立てた。

「……詰めが甘かったな、ミア」
「ありがとうって言うべき?」
「好きにしろ」

ふう、とため息を吐いたシュラの目に映っていたのは、ミアのすぐ後ろに迫るリヒトの姿だった。
シュラの剣を胸に受け、今度こそ静かになったリヒトを簡易結界の中に閉じ込める。

「それで? 君は何してるわけ?」

ぎぎ、と壊れた機械人形のように苦悶の表情を浮かべながら、重い足取りでこちらへ近付いてくるナハトに、ミアは顔を顰めた。

「し、仕方ない、だ、ろ。ヴァ、ルツの、魔法は、お、れ、にも効く」
「あ~~。そう言えば、そうだっけ? ごめんごめん。今、解くね」
「バカ、止せ!」

ナハトの静止は、然してミアに届くことはなかった。
彼女が声に魔力を乗せるのを待っていたかのように、簡易結界が内側から破裂する。

「ミア!!」

身体の自由を取り戻したナハトは、ミアの前に躍り出た。
翡翠の刃が彼の身体を――左肩から右脇腹までを、無惨にも斬り裂く。

「ナハト……!」
「妨害対象を庇うとは愚かですね、《夜》。ですが、邪魔を続けると言うのであれば、好都合です。ここで貴方諸共、彼らを排除します」

光という名を司るにしては、あまりにも冷たい目をした守護獣が、ナハトとミアに再び刃を向けた。
夕闇が、常春の湖に反射し、薄紫色の淡い光を屈折させる。

「そう何度も、思い通りにさせてあげないんだから!」

若い世界樹の声が、空を割く。
次いで、乾いた音が辺りに木霊した。

「あの魔力、やはりアレは《世界樹》でしたか」

リヒトの小さな呟きは風に巻き上げられ、すぐに聞こえなくなってしまうのであった。

◇ ◇ ◇

――ぷはっ!

喘ぐように声を最初に漏らしたのは誰だったか。
突然、目の前が真っ暗になったかと思うと、太い木の根に包み込まれて、地面の中へ引き摺り込まれてしまったのだ。

「こ、ここ、どこ! 息できる!? 何!?」
「……落ち着け。呼吸は可能だ。エルが、新芽の中に俺たちを取り込んだだけだからな」
「はあ!? 何それ、いつの間にそんなことできるようになったの?」
「少し前にね。まだ練習中であんまり長くは保たないんだけど、」

てへ、と照れるように側頭部を押さえたエルヴィに、ミアが爛々と目を輝かせた。

「ぐっ」

呻き声を上げたナハトに、彼女にしては珍しく自主的に正気を取り戻す。

「……大丈夫?」
「ああ。演算装置は無事だから、心配するな」
「いや、そうじゃなくて」
「他に何か心配することが?」
「袈裟斬りされてる人を見て、心配しない方がおかしいでしょ」

ミアの言葉に、ナハトが不思議そうに瞬きを繰り返した。

「おかしなことを言う。俺は人ではなく守護獣だぞ」
「貴方こそ、おかしなこと言わないで。人でも獣でも、怪我をしていれば心配するわ」

唇を尖らせたミアに驚いたのは、ナハトだけではない。

「……おい、珍しくミアがマトモなこと言ってるぞ」
「しっ。邪魔しちゃダメ」
「そうよ、兄上。ミアちゃんだって『一応』人間なんだから、」
「そこ! 聞こえてるわよ!」

魔導士にしては珍しく人間味溢れる場面を見せていたミアだったが、シュラたちの言葉を耳にした途端、歯を剥き出しにして彼らを威嚇した。

「それで、ここはどの辺なの?」
「う~ん。多分、湖の真下かなぁ。あ! 魔法で呼吸は出来るようにしてあるから、安心してね」
「魔法、使えるんだ?」

エルヴィの言葉に、ミアはふむと口元に手を遣った。
そんな彼女の仕草を見たウェルテクス兄妹の顔が翳りを帯びる。

「お、おい、ミア」
「ミアちゃん、もしかして……」

「我らを彼の地へと誘え――《獅子の瞬き》(ラーゼン)!」

悲しいかな。
シュラとシィナの嫌な予感は的中した。
目が眩むほどの強い光が一同を包み込間れたかと思うと、次に視界へ飛び込んできたのは見慣れた第五小隊の研究棟だった。

「ただいま~!」

呑気な声で突然姿を現した隊長と、その背後に控える濃い面子に悲鳴を上げたのは、勿論アルフレッドである。

「ぎゃー!!! ナ、ナハトくん!? どうしたんです、その怪我! う、うわっ! シィナ隊長に、シュラ様まで!? こ、こ、今度は一体何をしたんですか、アンタァ~~!!!!」

大の男に涙目で肩を強く揺すぶられても、ミアはどこ吹く風といった様子だ。
そんな彼女と部下のやり取りを見て、シュラとシィナは思わず顔を見合わせた。

「いつもこんな感じか?」
「ええ。大体はね。何なら、今日は大人しい方よ」

これでか、とシュラが遠い目をしたのと同じタイミングで、エルヴィが彼の袖を引っ張った。

「この子、怪我が酷いのに放っておいていいのかな?」
「あー、そうだった。おい、ミア。戯れあう前に、こいつをどうにかしてやれ」

シュラの声に、それまでぎゃんぎゃんと子犬が威嚇するようにミアを非難していたアルフレッドの声が漸く収まる。
それに伴って、ミアも解放された。
ぐったりと床に横たわったまま動かなくなってしまったナハトの姿に、ミアとアルフレッドの眉間に深い皺が刻まれた。

「直ると思う?」
「……分解して組み立て直した人が何を弱気になってんですか。他の人たちも呼んできますから、それまで培養液に浸けておいてあげてください」
「うん」

子どものように拙い口調で返事を寄越したミアに、アルフレッドが口元を綻ばせる。

「大丈夫ですよ、隊長。いざとなれば、旭日様に直していただきましょう!」
「……それも、そうだね! 私たちには最終兵器・旭日様が付いてる!」

本人に聞かれたら大惨事待った無し、の言葉を平然と口にした従姉妹の姿に、シュラは深いため息を吐き出した。
普段の様子に戻ったら戻ったで厄介なことに変わりない。

ふと、ミアが真剣な表情で、ナハトの頬に触れた。
常の彼女を知っている者が見たら、「お?」と思わず声に出してしまいそうなほど、真摯な眼差しを守護獣へと向ける横顔を、シュラはじっと凝視した。

「意識レベルがさっきよりも下がってる。修繕機能に魔力を回してるみたいね」
「あの、ミア」
「ん? なあに、エルヴィ」
「それ、エルの魔力と似てる気がするんだけど、」

エルヴィが『それ』と称したのは、物言わぬ人形と化したナハトだった。

「え?」
「さっきから、気になってたんだけどね。エルや母の魔力に波長がそっくりだな、って」

新しい世界樹として目覚めたばかりの少女がぽつり、と言葉を紡いだ。
ミアがエルヴィと、床に横たわるナハトとの間で、忙しなく視線を動かす。

「んあ~~~っ!!! 盲点だった!!!」

この日一番の大声は研究棟を突き抜け、聖騎士団本部全体を震撼させるのであった。