4話『帰らずの谷』

「じゃあ、ギルドに居る《乙女座》の人たちはどうやって出てきたのさ」
「逆も然りなんです」
「どういう意味?」
「《乙女座》の一族もまた郷からは出られないんですよ」
「出てるけど……」
「時々、居るんですよねぇ~。掟破りのお馬鹿さんたちが」

シトラスの質問攻めに苦笑を返したヴェレだったが、そこでふと何かを思いついたかのような顔付きになった。
隣の卓に座る《乙女座》の女性たちを振り返れば、彼女たちもまたこちらの話に耳を傾けていたのか、ばっちりと視線が交差する。

「……いやよ」
「あら? まだ何も言ってないじゃないですか」
「絶対に嫌! バレたら、アタイたちだってタダじゃすまないんだから」
「抜け道の近くまで送ってくれるだけでも構いません」

お願いします、とヴェレが華奢な指先を強く握り込めば、《乙女座》の一人が観念したかのようにため息を漏らした。

「分かった。連れてってやるから、妹の手を離してくんな」
「姉ちゃん!!」
「あんたの可愛い指が折られるところは見たくないからね。それに、何もタダで連れていくわけじゃない」

ミントはそう言って目を細めると、右手の人差し指を一本だけ立てた。

「条件がある」
「聞きましょう」

ミントの妹の手を離すと、ヴェレはミントと向かい合うように座り直した。
柘榴のように真っ赤な目が、ヴェレを射抜く。
シトラスとハカリの二人も気が付けば後ろに立っていて、ミントが出す条件の内容に耳を側立てていた。

「お前さんの髪、もしくは鱗を分けてほしい」
「……危険なことに使用しないのであれば、喜んで」
「交渉成立だね。郷に入れるのは新月の夜だけ。次の新月に街の出口で落ち合おう」

◇ ◇ ◇

一週間後。
笑う月が姿を消し、星の魔力が高まる新月の晩。
ヴェレとシトラス、そしてハカリの三人は、現れたミントの姿に目を疑った。

「ド、ドラゴンだ!!!!」

一人鼻息荒く興奮しているシトラスを他所に、大人二人は臨戦体制である。
今にも剣を抜かんと言わんばかりの二人を見て、ミントが「大丈夫だって」と苦笑を溢す。

「ドラゴンと言っても、飛空に特化しただけのおとなしいワイバーンだ。トカゲに翼が生えてるようなもんさ」
「……そう言えば《乙女座》はドラゴンに乗ると聞いたことがあります」
「そ。昔は箒に乗ってたみたいだけどね。こっちのが魔力も消費しないし、楽なんだ」

赤い鱗が燃えるように美しい二頭のワイバーンに、ヴェレはゆっくりと生唾を飲み込んだ。
隣に並び立つハカリも同様に緊張していたのか、楽しそうにドラゴンの周りで燥ぐシトラスの姿に肩を竦めている。

「坊や。あんまり燥ぐと噛みつかれますよ」
「え!?」
「冗談です」
「も~~! ヴェレの冗談は、分かりにくいんだよ!!」

きゃっきゃっと騒がしい彼らの姿に、ミントは幼い頃の自分と自分の姿を思い出した。
《乙女座》では十歳になった祝いとして、族長からドラゴンの卵を与えられる。
魔力を吸収させることで、自身と相性の良いドラゴンを誕生させるのだ。
ミントの卵から生まれたのは彼女の瞳と同じ色合いを持った二頭のワイバーンだった。

「フラム、お前には客人を乗せてもらう。いつもより丁寧に頼むよ」

ぐあ、と応えるように咆哮を寄越した凛々しい横顔を、ミントは優しく撫でてやった。
すると、もう一頭のワイバーンも甘えるようにミントの顔に頬擦りを始める。

「大丈夫だよ、ロゼ。何も心配ない。お前たちはいつも通り飛べばいいだけだ」

祈りを捧げるように二頭の頭を抱え込みながら、誰にも聞こえないようにミントは小さく呟いた。

「さて、坊はこっちで預かるよ。乗り方は簡単だから安心おし。手綱だけ離さなければ、死にはしないからね」
「え――」
「そら、行くよ!」

ヴェレとハカリがもたつきながらフラムの鞍に腰を落ち着かせた頃、ミントはシトラスと共にひと足先に空へと飛び上がっていた。
力強い羽ばたきで、瞬きの間に遠ざかっていった彼らに慌てたのは言うまでもない。

「ちょ、ちょっとフラムさん? 早く追ってください!」
「お、落ち着いて、ヴェレ。これ、握るだけって言ったって、相当むずかし――!?」

二人がきちんと鞍に座って手綱を握るのを待っていたフラムは、大変お利口である。
ただ、乗客の二人には彼が飛び立つタイミングが全く掴めず、飛び上がった拍子にヴェレの身体が僅かにバランスを崩した。

「ヴェレ!!」

ハカリの手が、間一髪のところでヴェレの腕を掴む。
背中に乗せている荷物が軽くなったことにフラムも気付いたのか、彼は器用に重心を下げてハカリを手助けした。
ぐい、と力任せにヴェレの腕を引っ張り上げる。
鞍の上に戻ることができた安心感から、どちらからともなく安堵のため息が溢れた。

「だから、言ったじゃないか。僕が後ろに座るって」
「……あなた、視線が煩いんですよ」
「え、」
「でも、そうですね。こんな無様を晒すくらいなら、あなたの意見に従って座り直します」
「う、うん」

珍しく素直に言うことを聞く彼女に驚きながらも、ハカリは手綱を握り直した。
ちら、と伺うような視線を感じて初めて、フラムが二人のやり取りを待っていたことを悟る。

「あ、ごめんね。今度こそ出発して大丈夫だよ」
「ガオ」
「それとさっきは助けてくれてありがとう」
「グァオ!」

真っ白い牙を見せて、嬉しそうに目を細めたかと思うと、フラムは再び大きく翼をはためかせた。
ミントたちを乗せたロゼの姿は豆粒のように遠く離れてしまっている。

「随分と離されてしまいましたね」
「うん、」
「ハカリ?」
「いや、その……」
「?」

星の光を反射する淡黄色の髪が、ふわりと舞った。
隙間から覗く桜色の双眸に、視線が釘付けになる。

「綺麗だ、と思って」
「……ああ、夜景ですか」
「え!?」
「違いました?」
「いや、うん。違わない。違わないけれど、僕が言いたかったのは、」

首を傾げるヴェレの向こうに広がっている夜景に、ハカリは唇を尖らせた。
確かに普段見ることのできない景色は美しいが、本当に伝えたかったことはそれではない。
ムッと押し黙ってしまったハカリに、ヴェレは瞬きを繰り返しながら前へと向き直る。

(こっちを見ながら言うから、驚きました)

とくん、と心臓が一際大きい音で脈打つのに、知らないふりを決め込んだ。

◇ ◇ ◇

《乙女座》が暮らす渓谷には数多の結界魔法が施されている。
帰らずの谷、という異名は、その結界が持つ特殊な効果に由来していた。
中へ入るときはすんなりと受け入れるくせに、郷から出ようとする者は悉く拒むのである。
特に魔力の純度が高い者ほど妨害を受けやすく、一度踏み入れば最後、二度と郷からは出られない。

だが、そんな結界にも一つだけ、抜け道があった。

「ここだよ」

一時間ほどワイバーンの旅を楽しんだ一行が降り立ったのは、リゲルの街の南西にある小高い丘陵地帯だった。
辺りには豊かな自然が広がるばかりで、噂に聞くほどの恐ろしい渓谷には見えない。

「ピクニックに最適そうですね」

ヴェレが嫌味混じりにフラムの背中から降り立てば、その反応は想定済みだったらしいミントが大仰に肩を竦めてみせた。

「ここまでは、ね。問題はこの先だ」

ミントが示した先には、洞窟が見えた。
そこだけ場違いにおどろおどろしい雰囲気を放っており、さながら《悪魔の口》のように裂けた岩が一行を出迎える。

「これは、また……」

中は濃い魔力で満たされているようだった。
ちら、と様子を窺ったハカリがこれ見よがしに顔を顰める。

「こんなの中に入ったら酔って動けなくなっちゃうよ」

シトラスもまた、うげえと舌を突き出しながら首を弱々しく横に振った。

「ま、普通はそうさね」
「普通はってことは何か策があるんですか?」
「ハリカガミって知ってるかい?」

聞き覚えのない名前にヴェレが首を傾げれば、隣に並び立ったハカリが顎に手を添え「ああ!」と声を漏らした。

「確か、鏡のように美しい鱗を持っている魔物だったよね」
「そうだ。見た目は少し大きなハリネズミのような感じなんだが、そいつらの鱗には魔法を弾く効果がある」
「じゃあ、それを使えば……」
「この洞窟経由で郷の中を自由に出入りできるってわけさ」
「それで? その鱗は今どこに?」
「……さっき通ってきた森にハリカガミが生息してる」

ミントの言葉に、ヴェレは蟀谷に手を添えた。
先に必要なものを確認していなかったこちらにも落ち度はあるが、入り口を目前にしてあんまりである。

「分かりました。皆さんはこちらで待機していてください。フラムさんをお借りします」
「ちょ、ちょっと、まさか一人で行く気じゃないよね?」
「全員でぞろぞろと動いて遭難でもしたらどうするんです。私が一人で行って、鱗を持ってくる方が効率的でしょう」
「でも、」
「じゃあ、僕が同行するとしよう」

天を衝く勢いで手を上げたハカリの姿に、ヴェレの眉間に皺が寄った。
結構です、とヴェレの顔に描かれているにも関わらず、ハカリは彼女の返事も待たずにフラムの鞍に足を掛けている。

「……分かりました。ミントさん」
「何だい」
「少しの間、坊やをお願いします。一時間ほど待っても私たちが戻らなかった場合、リゲルに引き返してください」
「分かった」

ミントが頷くのを見て、ヴェレはシトラスに向き直った。
不安そうに揺れる瞳と視線を交差させる。

「ミントさんは腕利きの魔法使いですが、腕力は女性と変わりありません。何かあったら、坊やが守ってあげてください」
「ぼ、僕も腕力に自信ない」
「大丈夫。この辺りの魔物は、坊やの魔法で簡単に倒せる相手ばかりですから」
「……うん」
「シトラス」
「な、何」
「いってきます」
「…………いってらっしゃい」

ヴェレはシトラスの返事に、満面の笑みを浮かべた。
時折交わされる「いってきます」のやり取りには、未だ慣れない。
何の意味があるんだろうか、と遠ざかっていく赤い飛龍の姿を、ぼんやりと見送った。