大きく翼を広げた暁鷹の剥製が、まるで一行を歓迎しているかのように、その瞳を輝かせている。
魔除けの草を焚いているのか、部屋中に白い煙が充満していた。
「ああ、すまない。狩りのために煙を焚いていたのを忘れていた。今、窓を開けよう」
アストラガルはそう言って、自身の従者たちに視線を遣った。
彼らは慣れた手付きで窓を開けると、そのまま一つしかない扉の前に立ち、彫像のように動かなくなった。
けれど、その眼光の鋭さだけは変わらず、ヴェレたちを睨みつけている。
「止さないか、お前たち。彼らは私の客人だ」
「――《流星の矢(シダッラ)》が、そこまで言うとは。妹を抑えただけの力は認めるべきか」
窓枠に立った青年が、ヴェレに向かって大弓を構える。
矢尻が真っ直ぐに自分を捉えているのに、ヴェレもまた音もなく刀を抜いた。
青年は、風が窓を叩くのとほぼ同時に部屋の中に現れた。
いくら人の気配が多いとはいえ、ここまで自然に気配を馴染ませる人間には出会ったことがない。
「余所者を招き入れると不幸が起こる。昔から貴方が口酸っぱく言っていたことだ」
「タリク」
「俺は認めない」
「では、どうしろと言うのだ」
「しきたりに従ってもらう」
しきたり、とヴェレが鸚鵡返しでアストラガルに尋ねれば、彼は困ったように眉尻を下げた。
「我ら《射手座》は《天誓(ミスル)》に従う。強き者こそ正義……それが掟だ」
「安心しろ。《天誓》で、弓は使わない。お前と同じ武器を使ってやる」
そう言って、タリクと呼ばれた青年が、ヴェレの眼前に立ち塞がった。
アストラガルと同じか、それ以上に上背がある。
大木のように根を張った気配が、部屋の空気ごと押し潰してくるようだった。
視線を合わせようとしただけで首を痛めそうだ。
「いいねぇ。そういう分かりやすいやつは大好きだ。なあ、ヴェレ」
クラレットが楽しそうな顔で、ヴェレの肩に腕を回した。
「……そうですね。仲間を傷付けられたのは、こちらも同じですもの」
姉妹二人揃って口元を綻ばせるも、その目に宿る光は冷たい。
「導師様」
「止めても無駄だぞ。あれはアルフェレの子だ」
「……それはまた、何と数奇な導きか」
助けを求めるかのようにフラーに視線を送ったアストラガルだったが、フラーはそれに弱々しく首を振った。
「仕方ない。ヴェレ殿、応じてやってくれるか? 刃を交えればこやつも納得するはずだ」
「分かりました」
アストラガルの言葉に、ヴェレは頷きを返した。
刀を握りしめたまま、タリクを睨む。
「女だろうと容赦はせん」
「ふふっ。泣いても許してあげませんよ」
両者の間で火花が弾ける。
ここにシトラスが居れば、止めてくれたんじゃが、とフラーはハカリの治療に付き添った少年に思いを馳せた。
◇ ◇ ◇
《天誓》は決まって砦の中央、初代族長アグレイアが植えた《黎明樹》の下で行われる。
アグレイアに誓いを立てる、という意味も込められているからだ。
「決闘と何か違いがあるんですか?」
「あれは他種族同士の力比べが発祥だからな。重みが違う。《天誓》は、勝者の言葉が絶対なのだ」
「なるほど」
要は力で捩じ伏せたものが正義ということなのだろう。
実に分かりやすくて好感が持てる。
アストラガルの表情は芳しくない。
旧友の娘に無理を強いているという罪悪感がありありと浮かんでいた。
「大丈夫ですよ。アストラガル様。荒事には慣れていますから」
「だが、」
「そうだぜ。こいつ、こう見えてうちのギルド一番の喧嘩屋だからよぉ」
一番良い席――何故かタリクとヴェレの《天誓》が行われることが瞬く間に知れ渡り、人々が集まっていたのだ――を取ったクラレットがひらひらと片手を振りながら「気にするな」と大きな声で叫んでいる。
「ご心配には及びません。剣技なら、養父から叩き込まれておりますので」
「…………それも、そうだな。では、よろしく頼む」
《天誓》では、近しい者から武器を借りる決まりがあるらしい。
ヴェレに《射手座》の近しい者はいないため、アストラガルが名乗りを上げてくれた。
詫びのつもりなのだろうか、家にあった一番上等な刀を貸してくれたようだ。
鞘から抜き出した刀身を見て、ヴェレはほうと息を呑んだ。
漆黒の刀身に、青白い星の光が散りばめられている。
「――《蟹座》の暁明剣(ソルフェリオ)、」
「ほう、博識だな。これは、君たちの父、エルナトと揃いで打ってもらった一振りだ」
「…………っ」
刀越しに、クラレットと目が合う。
金色の目が零れ落ちるのではないか、と不安になりそうなほど大きくなって、こちらを凝視していた。
「こちらの準備は整ったぞ」
芯の通ったタリクの一声に、ヴェレは現実へと引き戻された。
耳裏に、養父エルナトの声が優しく響き渡る。
『構えろ、ヴェレ』
そうだ。
彼もまた、タリクと同じように大柄の戦士だった。
嫌と言うほど、模擬戦をしてきた相手のことを思い出し、ヴェレの肩から漸く力が抜けた。
右手で柄を握りしめ、タリクの元までゆっくりと歩みを寄せる。
対戦者が揃ったことで、会場の熱気は一気に膨れ上がった。
誰か一人が「《天誓》」と叫び始めたかと思うと、騒めきがじんわりと浸透し、やがて大歓声となった。
「《天誓》!! 《天誓》!!」
うおおおお、と観客の声が最高潮に達した、その時。
アストラガルが片足を勢い良く地面へと振り下ろした。
――ダァン!!!!
響いた音に吸い寄せられるように、静寂が戻る。
「戦士たちよ、前へ」
アストラガルの言葉に、タリクとヴェレは互いに一歩ずつ前へ進んだ。
向かい合う形で静止した二人を交互に見遣ると、アストラガルが再び、地面を強く足で叩いた。
「アグレイア様に勝利と誓いを捧げよ」
「――勝利と誓いを!!」
タリクとヴェレが祝詞を唱えた。
次いで、アストラガルが空に向かって弓矢を引く。
当代の《流星の矢》が放つ一矢は夜空を割く彗星の如き勢いで解き放たれた。
矢が落ちたとき、戦いは開始する。
皆、そのときを今か今かと待ち望んでいた。
弧を描いた矢が砦の壁、少し手前に落ちる。
からん、と乾いた音を合図に、両者同時に武器が閃いた。
大柄で手足も長い分、タリクの方が先にヴェレへと迫った。
鼻先寸前に振り下ろされた刀――こちらも蟹座の業物である――を、半身を捻ることで躱す。
そして、捻った反動を使い、ヴェレはタリクの鳩尾へと刀を滑り込ませた。
取った、と確信したヴェレを裏切るように、刀の柄が振り落とされる。
鈍い音がぶつかった――けれど、刃はタリクに届かない。
「……やりますね」
「お前もな」
力だけではなく、繊細な刀裁きをする男だ。
こういうタイプが一番面倒くさい。
けれど、ヴェレはそんな厄介な相手の対処方法を嫌と言うほど叩き込まれていた。
『癖を見つけるんだ。そうすれば、自ずと勝機はやってくる』
エルナトとタリクの姿がゆっくりと重なり合う。
タリクが呼吸を整え、地面を蹴った。
砂埃が彼の軌跡を描き、観客の息が一斉に止まる。
「おらっ!!」
刀が発していい音(それ)ではない。
落雷のような轟音がヴェレの耳朶を打つ。
一撃で仕留める自信があるのか、タリクは先ほどから、頭部や首ばかり狙ってきていた。
「……へえ?」
そして、何故そこばかり狙うのかを考えて、ヴェレは口角を上げた。
深く身を沈め、油断を誘う。
思惑通り、タリクはヴェレの動きに合わせ、体勢を低くした。
「やはり、そういうことですか」
「何を笑っている。その油断が命取りになるぞ!」
タリクは持ち手を逆手に変え、三度ヴェレの首を狙った。
今度こそ、勝負は決まったと誰もが思った。
刃を繰り出したタリクでさえも、勝利を掴んだと目を輝かせるほどだった。
――その瞬間。
「背中がガラ空きですよ」
そこにヴェレは居なかった。
観客が息を呑む間すらなく、暁明剣の放つ残光が軌跡となって眼前で弾ける。
「……な、いつの間に――!」
タリクの喉が僅かに震える。
夜明けの空、あるいは流星を刀身に閉じ込めた暁明剣の刃が、彼の首筋にそっと添えられていた。
「普段は弓矢ばかり扱っているからでしょうか。攻撃を繰り出すとき、無意識に肩が上がっていました」
何度も見れば、避けるのは容易い。
ヴェレの言葉にはそんな嫌味が滲んでいた。
「貴方が弓矢を使っていたら、私は即死だったでしょうね」
わあ、と観客の声が一斉に沸き立つ。
「それまで」
アストラガルもまた複雑な表情で笑みを浮かべると、二人の前にそっと歩みを寄せた。
「まるで、エルナトを見ているようだったよ」
懐かしい名前にヴェレの胸に熱が広がっていく。
「……恐れ入ります」
勝敗は決した。
ヴェレは借り受けていた暁明剣を鞘に収め、アストラガルの前にそれを差し出した。
「お返しいたします。養父の兄弟刀を振れて、光栄でした」
「良いものを見せてもらった礼だ。それは貴殿に贈らせてくれ」
「ですが、」
「…………《流星の矢》が認めた証だ。受け取るのが礼儀だろう」
敗北の余韻が滲んだ声でタリクが悔しそうに眉根を寄せ、ヴェレを睨んだ。
タリクの言葉に反応した観客までもが「受け取れ!」と再び大合唱を始めてしまう。
尚のこと断り辛い雰囲気に気押されたヴェレが、助けを求めるようにクラレットへ視線を送るも、彼女は面白がって「いいじゃん。貰っとけよ」と軽々しく宣う始末だ。
「――では、ありがたく」
「貴殿の剣に流星と月の導きがあらんことを」
再び授けられた剣を頭上に掲げる。
暁明剣越しに、タリクと視線が交わった。
互いの胸にわだかまりは残りながらも、どこか晴れやかなものがあった。
「……認めよう。お前は良い戦士だ」
「ありがとうございます。ですが、先刻も申し上げたように、貴方が弓を使っていたら、私に勝ち目は無かったと思いますよ」
「謙遜は止せ。先ほどの襲撃時、お前は俺と妹の矢を跳ね除けていただろう」
「ふふっ。バレました?」
「食えない女だ」
熱気に包まれた歓声の中、二人の間にだけ静かな空気が流れていった。
先ほどまでのピンと張り詰めた空気とはまるで違う。
早朝の、澄んだ空気だけを集めたような、そんな心地良さがじんわりと侵食していく。
どちらからともなく握手を求め、手を伸ばす。
互いの力を認め合った者だけが結べる、短くも確かな友情の兆しだった。
