第四章、終わりの始まり - 4/5

四、

『旭日』

 声が聞こえる。
 自分を呼ぶ声が。
 旭日は重い瞼を開けると鋭い舌打ちを放った。
 アメリアと交戦した際に掛けられた呪術式が未だに解ける気配が無いのだ。
 むしろ日を増すごとに悪化している気がする。
 身体を動かすことさえ億劫で、再び瞼を閉じようとして、違和感を覚える。
 ここ数日、煩わしいほどに賑やかな烏の声がしない。

『ホロ』

 名を呼べば、犬のように従順に駆け寄ってくる姿が、どこにもなかった。

『まったく、どこに行っ――

 緩慢な動作で起き上がった旭日の視界を奪ったのは、千年もの間、焦がれて止まなかった黒き麗人、華月の姿であった。

『華月!』

 やっと己の想いが通じたのかと、旭日が身体の不調も忘れてそちらに駆け寄るが、それは首筋に触れた冷たい刃に阻まれる。

『謀ったな』

『いいえ。まさかそこまで貴方の魔力が弱っているとは思いませんでした。さすが、ヴァルツに名を連ねる者の呪術。創世龍である妾たちにこのような影響力があるとは……

 いけしゃあしゃあと言葉の羅列を連ねる華月の美しい横顔に旭日は苦虫を噛み潰したかのような表情になった。

「その身体をお返し願う」

 低いアルトの音が旭日の耳朶を刺激する。
 それが華月の巫女である桔梗のものだと認識するのにさほど時間は要さなかった。
 旭日は再度、舌打ちを零すと依り代として使っている男の身体から魔力の集合体として姿を見せた。

『ふんっ。華月が居らねば、今頃野垂れ死んでいた小娘が随分と偉くなったものだな』
「黙れ」

 良いから早く出ろ、と言わんばかりに桔梗は旭日に刀を向ける。
 その刀が、かつて自分をこの世界樹へ封じたものだと気が付くと、旭日の顔は更に険しくなった。

『ほう、鳴雷か。本体はホロが壊したものだとばかり思っていたが、打ち直したのだな』
……

 無言の華月に、旭日はにやり、と片方しかない目を細める。

『なれば、俺の不知火しらぬいとどちらが上か、確かめてくれよう』
「何?」

 桔梗が眉根を寄せる。
 旭日はそれに応えることなく、男の身体へと戻った。
 懐から伸びてきた白刃に、桔梗の顔が曇る。
 それは忌まわしい過去の産物であった。
 かつて、自分とシアンを苦しめた、あの白い太刀が旭日の手に握られている。

『雫!!』

 華月がヒステリックに叫ぶ声が大きく響く。
 こちらに向かって飛んでくる彼女を視界に収め、桔梗は旭日と対峙した。
 鈍く光る白い刃は、血の臭いを求めているのか、旭日が動かしてもいないのに、ゆらゆらと揺れている。
 桔梗はグッと歯を食いしばると、刀を逆手に持ち直した。
 柄を握る手に力が籠る。

「来い――《十六夜》!」

 ボンッと煙と共に現れた御簾の女性を見て、旭日の顔つきが変わる。

『またお前か! 紛い物!!』

 旭日が腕を振るうと白太刀は蛇の如くしなやかな動きで桔梗と十六夜に迫った。
 十六夜が両手を広げる。
 すると、辺りを闇が覆った。

……轟け《鳴神なるかみ》!!」

 紫電が闇を裂く。
 突然、現れた桔梗に旭日は一瞬だけ驚いたように眉を寄せたが、すぐに笑みを見せた。

『小賢しいっ!!』
「!?」

 鳴雷の刀身に白い太刀が巻き付く。
 しまった、と思ったときには既に遅く、桔梗の身体は宙に浮いていた。

「チッ!」

 空中で一回転して態勢を整える。
 すると、華月が旭日の懐に飛び込むのが見えた。

『打ち鳴らせ!!』

――ドォオン。

 雷が二人を直撃する。
 再び煙に覆われた地面で、落ちてきた桔梗の身体を十六夜が受け止める。
 次に煙が晴れたとき、その瞬間に喉元へ一撃を喰らわせる。
 桔梗は息を殺してその時を待った。
 ゆらり、と白刃が揺れる気配が桔梗を挑発する。
 逸る気持ちを押さえつけるように、深く息を吸い込むと、桔梗は刀を鞘に納めた。
 漆塗りの鞘が手にゆっくりと馴染んでいく。
 爆風が煙と共に桔梗の頬を撫ぜた。
 銃口から放たれた弾丸のように、桔梗の身体は動いた。
 煙の中心では華月と旭日が近接戦を繰り広げていた。
 殴っては避け、蹴っては往なす。
 刀を振るえば、それは躱され、再び拳が飛んでくる。
 千年前、幾度となく繰り返した命のやり取りに旭日が愉悦を感じ始めようとしていたとき、すぐ背後から殺気が近付いてきた。

 片方しかない目では、どうしたって動きが鈍る。

 桔梗のように生まれながら龍の力に耐性がある人間が依り代であれば、身体を同化できる。だが、旭日の依り代である男は違った。多少、器としての資質はあれど、所詮は人間だ。
 封印前に負った右目の怪我は愚か、少しでも傷を付けられてしまえば魔力体である旭日にも負担が係る。
 クソ、と胸の内で舌打ちを零すと、旭日は殴りかかってきた華月の身体に蹴りを放った。

『ぐあ!!』

 低い呻き声を上げ、華月が後方に吹っ飛ぶ。
 桔梗との距離はまだ少し余裕があった。
 それを避けようと足に力を込めるが、膝から下が痺れて言うことを利かない。
 先ほど、華月の攻撃を避け損ねたのが仇となった。

これだけは使いたくなかったが、仕方あるまい……)

 旭日は、ふっと短く息を吐き出すと、白太刀で自らが依り代としている男の心臓を貫いた。
 ドクリ、と心臓が一際大きく音を立てるのと同時に空へ叫ぶ。

『龍の心臓を百、そしてこの人間を生贄に、我が肉体は完全体となる!』

 男の身体から、どばどばと滝のように血が流れ始めた。
 煙は晴れ、桔梗が目前へと迫る。
 だが、旭日は笑っていた。
 流れ出た血は陣を描き、彼の身体を赤く発光させる。

『我こそは旭日! この世を支配する新たな王である!』

 一際眩く光を発したかと思うと、旭日の身体は本来の白き龍の姿へと変貌していた。

「そ、そんな……! どうして!? 貴方の身体は封印されているはず……!!」

 桔梗の狼狽える声が耳に心地良い。
 旭日は真っ赤に燃えた目で、眼下に広がる世界を一望した。

『この男の身体を「造り変えた」のだ。俺に与えられた力は「創造」であるからな。魔力さえ手に入れば、どうとでもなる』

「まさか、そのために龍の心臓を!?」
『そうとも。特に最後の銀雪。アレの心臓は実に強い魔力を秘めていた。俺がこうして新たな身体を手に入れることが出来たのも、アレのおかげだな』

 くくく、と旭日が首を逸らして笑った。
 最後の銀雪、それが誰を指しているのかを察して桔梗の顔から色が消える。
 旭日は、桔梗たちを助けてくれた銀青の心臓を喰ったのだ。
 心のどこかで、彼はまだ生きていると希望を抱いていただけに、その事実は受け入れがたいものであった。
 真っ白な身体は、穢れを知らない神聖なものであるはずなのに、赤く染まった眼には怒りと嫉妬の炎が燃えている。

『さあ立て、華月。お前が俺を止めたいと言うのであれば、本気でかかってこい。でなければ、俺はお前の愛する人間を全て消し炭にしてしまうぞ』
「駄目です! 華月様! 挑発に乗っては!」

 相反する旭日と桔梗の言葉に、華月は身体を預けていた幹から緩慢な動作で起き上がった。
 夜に浮かぶ満点の星々を思わせる金色の眼は爛々と輝いていた。
 普段は美しい漆黒の髪も身体から溢れる魔力と怒りによって、ゆらゆらと燃える炎のように揺れている。
 それは彼女が、桔梗とは違う『種族』であることを語っていた。

「華月様」

 桔梗の声は華月には届かない。
 華月の眼は、ただ一人。旭日だけを映していた。

『少しだけ、身体を借ります』

 桔梗は大きく目を開いて固まった。
 龍宿しの術は、依り代に負担が大きいため、その多くが命を落としたと聞く。
 否、と応えるより先に、いつの間にか十六夜によって両腕を捕らえられていた。

「い、いや……!」
『大丈夫。貴女の魔力は妾に最も近い。歴代の巫女のように、死にはしません』
「ですが!」
『今の貴女の魔力なら十五分ほど、妾の本体を宿すことが出来る。それだけ時間があれば、充分です。だからどうか、妾を信じて』

 真っ直ぐに己を見つめる華月に、桔梗はグッと恐怖を飲み込んだ。
 そして、彼女の前に膝をつく。

「この身は貴女様によって生かされているも同然。どうぞ、貴女様の望むままに……

 凛とした声に、華月は微笑んだ。
 この子供が生まれる前より、その魂が清く正しいものであることを知っている。
 成長すると共に、それはより大きく、強固になった。

『やはり、貴女を依り代に選んで良かった』

 華月の魔力体が桔梗の中に溶け込む。
 耳の裏に優しく響いた華月の声を最後に、桔梗は意識を失った。

 ――グオオオオオオアアアアア!!!

 地を這う低い咆哮が轟く。
 生き物たちは怯え、森の中がざわざわと震える。

「な、何だ!?」

 シアンは倒れたホロを受け止めながら、眉根を寄せた。

「始まってしまった」

 もう間に合わない。
 咆哮を聞いたホロの顔は絶望に染まっていた。

「どういうことなの、兄さん! 一体何が始まったって言うのよ!」

 ユタがホロの血で汚れたナイフを捨てて、彼の胸倉を掴んだ。
 彼女の攻撃をホロは避けずに真正面から受け止めたのだ。
 仲間は殺せても、恥肉を分けた妹にだけは刃を向けることが出来なかった。

「兄さんってば!!」
……旭日は、俺たちの兄――アギアの身体を再構築するために、龍の心臓を百個集めていた。それから、再構築に必要な魔力も」
「まさか、各都市を攻撃したのは」
「そうさ。結界魔導石の魔力を吸収して旭日に届けるためだよ」

 ごふっ、とホロの口から血が噴き出した。
 ユタが回復魔法を掛けようと彼の手を握ると、ホロは弱弱しく首を横に振る。

「もう、良いんだ。俺は兄貴を救えなかった。それに、この手はたくさんの人の、生き物の血で汚れている。お前の手を、お前の綺麗な手を汚してしまったのは残念だけれど、このまま逝かせてくれ」
「そんなの駄目よ!!」

 ユタは叫んだ。
 子供の頃の思い出が脳裏を駆け巡る。
 一緒に悪戯をして、一緒に叱られた。
 その時はホロが自分を庇ってくれて、ユタはあまり叱られた覚えがない。
 今度は自分が彼を助ける番だ。

「まだ間に合うわ。だから、お願いよ。知っていることを全部話して」
……

 ホロは曖昧に笑うと、助けを求めるようにシアンへと視線を遣った。
 それまで黙ってネイヴェス兄妹のやり取りを見ていたシアンは、突然こちらに寄越された視線に「諦めろ」と言わんばかりに肩を竦める。

「桔梗ちゃんだったら助けるくせに、俺は助けてくれないわけぇ?」

 いつものひょうきんな口調に戻ったホロを見て、シアンとユタが顔を見合わせて笑った。

「あいつだって、助けられてばかりの可愛い女じゃないだろ」

 シアンの目がスッと細くなる。
 それを見たユタが驚いたように、口に手を添えた。

「シアン、貴方まさか……
「あの山に行ってから全部思い出した。あいつが東の国の姫で、この傷はあいつを庇ったときに出来たものだってことも」

 懐かしい、とシアンは軍服の隙間から覗く鎖骨辺りにある傷を優しく撫でた。
 霊王宮に行ったとき、シアンは自分がここに来たことがあると、どこか漠然とした気持ちで思った。
 聖騎士団の候補試験を受けてから、一年ほどの記憶に靄がかかっていて、思い出そうとすれば、酷い頭痛に襲われた。それを父に相談すると、彼はシアンが任務に同行中、崖から足を滑らせ、頭を強く打った所為だと言った。だが、仮にも聖騎士見習いである自分がそんなへまをするとは思えなかった。
 父が自分を旭日から守るために、東の国で過ごした記憶を封じていたのだと霊王宮に再び踏み入ったことで、空白の一年間の謎をやっと理解出来たのだ。
 ゆっくりと蕾が花開くように、かつての記憶が鮮やかに蘇る。

 霊王宮は華月の祠だ。 

 父であるアレンの術は、華月の領域に入ったことで『破壊』されたのだろう。
 優しい表情で瞼を閉じるシアンを見て、ユタは微笑んだ。

「行ってあげて。殿下には、貴方が必要だわ」

 グッと胸にユタの拳が当たる。
 彼女の掌は酷く震えていた。
 兄を刺し貫いた細腕は、彼を許せない想いと失ってしまう恐怖に怯えていたのだ。

「ああ」

 緩慢な動作で立ち上がり、走り出したシアンの後姿を見送って、ユタはホロに向き直った。
 緑色の淡い光が彼女の手を包み込む。

「どうして、相談してくれなかったの」

 今にも泣きだしそうな声でそんなことを言うものだから、ホロは困ってしまった。
 だって、言えるわけがない。
 自分を庇った長兄が旭日に取り込まれたのは、彼らがまだ十四歳のときだ。
 その時、ユタは東の国で雫ノ宮に仕えるために家を空けていて、幸いと言っていいのか、異母兄であるアギアとは面識がなかった。
 だから、ホロは決めたのだ。
 自分一人で兄を救おう、と。
 あの時、自分を庇ってくれたアギアは優しい笑顔で言った。

『俺が引き受ける。だからお前は気にするな』

 まだ、出会って二日の、会って間もない異母弟を庇う為に彼は自分の身を犠牲に、その身体の中に旭日を封じ込めた。

「兄さんは、いつもそうよ。大事なことはいつも何も教えてくれない」

 非難の言葉をホロは黙って聞き入れた。
 こんなに優しい妹を巻き込めるはずがない。
 否、彼女を巻き込むことだけは絶対にしたくなかった。
 けれど、結果はこの様だ。

……お前には綺麗なままで居て欲しかったんだ」

 ユタの掌の光が、握っていた掌から伝わり、ホロの全身を優しく包み込んだ。
 温かな光に包まれ、すぐ傍で妹の息遣いを感じながら、ホロは瞼を閉じる。

どうか、アギア兄さんが戻ってきますように……)

 自分では叶えられなかった願いを、青と赤の背中へと静かに預けるのであった。

◇ ◇ ◇

『やはり、お前の美しさは人の身に余る。その姿こそ、俺の愛したお前だ』

 旭日が愛おしそうに、黒龍を見つめる。
 空を舞う華月の、夜を溶かして煮詰め込んだ黒い鱗が陽の光に晒されて淡い光を纏う。
 その姿に、旭日はうっとりと見惚れた。

『千年前の貴方に言われた台詞であれば、喜ぶところでしょうが、今は違います。貴方のその醜い眼で見つめられているのだと思うと寒気がする』

 華月は唾でも吐き出しそうな勢いでそう吐き捨てると、旭日に向かって飛翔した。
 鋭く尖った牙が旭日の翼を刺し貫いた。

『ぐうッ!!』

 だが、旭日も負けていなかった。
 飛び込んできた華月の腹を爪で引き裂いたのだ。
 これには華月も驚いたのか、一瞬だけ牙が浮いたが、動揺を隠すようにより深く牙は翼を傷付けた。

『離せ! 華月! どうして俺の邪魔をするのだ!』
『離すわけにはいきません! 貴方こそ、いつまでそんな戯言を吐くつもりなのです!!』

 二頭の龍は暫しの間、憎しみと悲しみの光を宿した目で互いを見つめた。
 グルル、と喉を鳴らしたのはどちらか。
 先に動いたのは、華月の方だ。
 翼を穿っていた牙を離し、咥内に炎を溜める。
 勢い良く吐き出された黒炎の咆哮ブレスに、旭日は避けようと翼を動かした。
 だが、穴の開いた翼では上手く飛ぶことは叶わない。
 ぐらり、と傾いだ旭日の身体に、華月の炎は命中した。

『もうやめて、旭日。これ以上、貴方のそんな醜い姿は見たくない』

 金色の眼から大粒の涙が溢れ出す。
 ぼたり、ぼたり、と零れたそれは地面に落ちると、その部分を溶かして消えた。

『俺は、俺は止まれぬ。この世から人間を全て抹殺するまで、俺は止まれんのだ!!』

 旭日の口から血が流れる。
 不完全な龍化に、贄となった身体が付いていかないのだろう。

『例え貴方が「創造」を司る龍とは言え、自らの身体を再び造ることは不可能。我らの身体は唯一無二。女神メディ様より与えられた特別なもの。それを創造することなど、最初から無理だったのです』

 白く美しかった鱗は見る影もない。
 口元から垂れていただけの血は、今や身体中の至る所から噴き出し、その身を汚していた。
 けれど、そんなことを気にもせず、旭日は笑っていた。

『そんなことは最初から分かっている。だがな、紛い物でも魔力は本物だ。この身が世界樹に落ちれば、人間どもを一掃出来る。そして、それを以て俺の本体は蘇るのだ』
『!?』

 旭日は全身の力を抜くと重力に身を委ねて落下した。
 向かう先は、大きく口を開いた世界樹だ。
 世界樹は全ての魔力が生まれ、終わる場所。
 そんな場所に龍が落ちれば、世界樹は異物を排除するため、魔力を集める。
 それが旭日の狙いだった。
 魔力が集中したその瞬間、身体を爆発させる。
 そうすれば、世界樹はその熱量に耐え兼ね膨大な魔力と共に弾ける。
 人間は龍のように魂だけでは生きられない。
 世界樹の魔力が消えれば、本体の封印も解け、魂を戻せば良いだけだ。

『させない!!』

 華月が旭日の後を追うも、その姿は既に小さくなり始めていた。

『さらばだ、華月。次に目が覚めるときには、今度こそお前と二人きりの世界になっているだろう』

 酷く楽しそうな声でそう言い残し、旭日は瞼を閉じた。
 華月は懸命に翼を動かした。
 けれども、距離は開いていくばかりで一向に縮まらない。
 もう駄目だ、と瞼を閉じかけた、その時。
 頭の中で桔梗の声が響いた。

諦めないで、華月様。目を開けて、下を見てください)

 その声に促されて、華月はスッと目を細めて眼下を凝視した。
 青いコートが風に靡く。

『シアン!!!』

 気が付けば、彼の名前を呼んでいた。
 すると、青年はにっかり、と白い歯を見せて笑うと、銃剣を構えた。
 左手には宝珠が握りしめられており、彼が何をしようとしているのかを察した華月が、忙しなく翼を動かす。
 そして、黒炎が再び旭日の身体を襲った。
 熱い、と思う間もなく、身体を何かに引っ張られる。

『何だ!?』

 何事だと、旭日は狼狽えた。
 自分は落下していたはずなのに、気が付けばその速度は緩み、今は宙に浮いている。
 上を見れば、華月が口から煙を吐き出して、こちらに向かってくるのが分かった。
 反撃しようと身体を動かすも、何かに引っ張られている所為でそれはままならない。
 その何かを確かめるために、旭日は地面の方に視線を移した。
 そこに立っている人間を見て、ぎり、と牙を鳴らす。

『また貴様か!! 小僧!!』

 ぐわあ、と咆哮と共に吐き出された言葉に、シアンは不敵に微笑んだ。

「今度は、逃がさねえっ!! ここで墜とす!!」

 彼の足元に、紫色の陣が現れる。
 それは、重力魔法の光だった。
 ドッ、と地面を蹴る音が、旭日の居る上空まで届いたかと思うと、シアンの身体がすぐ傍で浮いていた。
 旭日の身体との距離が縮まったことで、宝珠の威力が増す。
 ふわり、とシアンの手から離れた宝珠が、旭日の身体を捕らえた。

『なんだ、これは……!!』
「それは華月様の魔力が込められた宝珠だ。お前との相性は最悪の代物。世界樹には行かせねえ。そのまま地面に激突させてやる!!」

 シアンはそう言うと、銃剣の柄を両手で持った。
 そして、背中に刀身を隠すように背負う構えを取る。

あれは、桔梗と手合わせをしたときの……!)

 華月が二人の動向を見守りながら、目を細めた。
 ふう、と息を吐き出したシアンが空を蹴って、一回転する。

「沈めッ!!!」

――ゴォオオオオンンッ!!!

 シアンの剣背が旭日の脳天を直撃した。
 巨大な鐘を打ち鳴らしたかのような音が、辺りに響く。
 重力を帯びた剣の重さは、常の十倍。
 それを真面に喰らった旭日は、白目を剥いて地面へと落ちていく。
 ほとんどの魔力を消費したシアンの身体が大きく傾いだ。
 それを見咎めると、華月は彼の身体を背中でキャッチする。

『ありがとう、シアン。おかげで、彼の愚行を止めることが出来た』
「礼を言うのは早いですよ。あいつの身体を封じなければ」
『ええ、行きましょう』