「どこだ!! 累(るい)!! 居るんだろう!!」
小炎は自身の内から溢れ出てくる炎に苛まれながら、必死で累の姿を探した。
あの女が関わっている。
それだけで、今にも全身が煮え滾りそうだった。
「居るのは分かってるんだ!! 出てこい!!」
往来を行く人々が怪訝な顔をして、小炎をじろじろと見ては通り過ぎていく。
悔しさに舌打ちを放つも、累が姿を見せることはない。
「る――」
「落ち着けって。こんな所で騒いだら、目立つだろ」
肩を掴まれるまで銀の気配に気が付かなかった。
え、と間抜けに口を開いたまま固まる小炎に、銀の目尻が柔らかくなる。
「俺の気配も感じ取れないほど夢中になってたのか?」
お前らしくもない。
銀の指先が不埒に後頭部を擽った。
「んなッ……」
「分かっているとは思うが、俺は今お前さんたちの『依頼主』でもあるんだぜ? 勝手な行動は慎んでくれ」
「……」
「気に入らないことがあると黙る癖、いい加減治せって」
「煩い」
そんなに長い付き合いがあるわけでもないのに、この男は小炎の癖を知りすぎていた。
それが堪らなく気に入らない。
再度、鋭い舌打ちが往来に響く。
銀の向こう、和笑亭がある通りの方から「おーい」と東雲が走ってくるのが見えた。
「皆してお節介なんだから、」
「お前が危なっかしいだけだろ」
「ア?」
「お~こわっ」
――チリン。
東雲の方へと二人が一歩を踏み出したときだった。
不自然な鈴の音が辺りを支配する。
鉛のように身体が重くなって初めて、術を掛けられたことに気が付いた。
「来るな! 東雲!」
短槍を媒体に、鬼火を放つのが精一杯だった。
隣に立つ銀の腕を力任せに引っ張る。
小炎の視界が最後に捕らえたのは、驚くように目を見開いた東雲の顔だった。
◇ ◇ ◇
――炎、小炎。
誰かが自分を呼んでいる。
頭に靄が懸かったかのようにはっきりとしない。
手足にも痺れがあるようで、身体が思うように動かせなかった。
――紅炎(ホンイェン)。
ぱちり。
懐かしい呼び名に、小炎は驚いて瞼を持ち上げた。
その名を知っている人間は、疾うに見送ったはずだ。
「……白(はく)?」
ここには居ない、彼の名前を紡ぐ。
「大丈夫か!?」
応えたのは、彼ではなかった。
彼によく似た白銀の髪を振り乱した銀の姿が飛び込んでくる。
「……ここは、」
「分かんねえ。鈴の音がしたと思ったら、足元にあった大穴に吸い込まれたんだ」
銀の手を借りて上体を起こす。
周りを見渡せば、どこかの建物に飛ばされたのだろうということが分かった。
華奢な造りの置物や、胡蝶蘭が飾られている内装を見て、小炎の口から重いため息が零れ落ちる。
「相変わらず、乱暴が過ぎるんじゃない? 下手すりゃ、胴体と泣き別れする所だったんだケド?」
虚空に向かって急に話し始めた小炎に銀の眉間に皺が寄る。
小炎、と彼を呼ぼうとした銀の唇に、小炎の指が触れた。
「しーっ」
可愛らしい仕草に、銀の心臓がぎゅっと嫌な音を立てる。
「アナタだけご招待したつもりが、妙なものまで引っ掛けてしまったみたいですわね」
天井が、ずるりと崩れ落ちた。
逆さ吊りにぶら下がった白頭巾の女が厭らしい笑みを貼り付けながら、小炎を見据える。
「よく言うよ。こいつの蓮が目当てだったくせに」
「うふふ。流石、小炎様。全てお見通しでしたか」
「……」
女の言葉に、小炎の額に青筋が浮かぶ。
渦中の銀はといえば、二人の会話が耳に入ってこなかった。
唇には未だ、小炎の指先が触れている。
少し力を加えれば、折れてしまいそうに頼りないそれが、唇に。
好奇心に負けて、ちろ、と舌を伸ばす。
「ひっ!? ちょ、ちょっと! 人が真剣な話してるときに、何すんのサ!!」
指先から徐々に血の色が濃くなって、小炎の肌を赤く彩った。
「悪い。我慢できなくて」
「何が!?」
「いや、お前が俺に触れているのかと思うと、堪らなくなって……」
「ごめん。今、久々に君のことが心底気持ち悪いから離れてくれない?」
ちょっと僕には荷が重い。
先ほどまで仄かに色付いていた小炎の顔からサッと血の気が引いていく。
ここまでドン引きされたことは過去に一度あるかないかだ。
これ以上、彼を刺激しては事態がややこしくなる。
銀は大人しく小炎の言に従うべく、両手を上げて「もうしません」の構えを取りながら、彼から半歩後ろに身を引いた。
「ふ、ふふっ。随分とそれがお気に入りみたいですね。以前、連れていた『玩具』と姿形もよく似ているようですし」
「黙れ」
「ああ。そういえばあの『玩具』は自分で壊したのだったかしら?」
「黙れと言っているだろ!!」
小炎の周りに鬼火が浮かび上がる。
それは彼の感情に反応しているようだった。
轟々と燃え盛る炎は、小炎の本来の髪色と同じ緋色を纏っている。
「まあ、怖い」
「……お前の大事な屋敷を灰にされたくなかったら、それ以上口を開くな、累」
白頭巾の女――累が金色の目を鈍く光らせる。
「……累って、じゃあこいつが」
「ああ。『輝石』の開発者だ」
小炎と銀の二人が鋭い視線を累に送るも、彼女はこてんと首を傾げただけで悪びれた様子もない。
「意外でした。小炎様もアレが欲しいのですか? 生憎、在庫を切らしていまして」
「ほざくな。誰があんな不気味な石を欲しがるもんか」
「あら、では何のために私をお探しに?」
「……決まってるデショ」
気絶していた間も握っていたままだった短槍の柄を握る手に力を込める。
「お前諸共『輝石』を破壊するためだ!」
言うや否や、小炎は衝動のまま累に飛び掛かった。
天井までは二メートルとない。
鬼の力が解放された状態の小炎に取っては、軽く床を蹴るだけで届く距離だった。
ビュン、と穂先が空を切る音が虚しく響く。
「相変わらず乱暴な御仁だこと」
「逃げるな!」
「やあね。逃げませんとも。ちょっと避けただけじゃないの」
笑いながら糸を伝って部屋の中を縦横無尽に動き回る累に、小炎の顔が険しさを増す。
「ったく、俺を無視して楽しんでんじゃねえよ」
銀の長刀が唸りを上げた。
布のように極限まで薄く鍛えられたそれは、しなる鞭のように宙を舞い、累を支えていた糸を捉える。
銀がグッと力任せに長刀を引っ張ると、バランスを崩した累の身体が小炎の方へと傾いだ。
「!?」
「君にしては気が利く!」
「そりゃ、どうも!」
目前に迫った小炎に、累の顔が強張る。
だが、それは一瞬のことで、彼女は己が胸の前で腕を組んだ。
「この距離でこれを喰らえば、アナタもタダでは済みませんよ」
「蜘蛛の糸如き、鬼が怖がると思うか?」
「な、」
「――《迦楼羅炎(かるらえん)》!!」
青い鬼火が小炎と累の身体を覆い隠す。
豪と、炎が彼らを、建物を燃やしていく。
「小炎!」
銀が小炎に手を伸ばした。
金色の瞳が、ゆるり、と笑みを描く。
「先に逃げなヨ。君まで真っ黒焦げになっちゃう」
熱で軋んだ柱が嫌な音を立てる。
「ああああああ!!? あついあついあつい!!!!」
累の悲鳴に、小炎は一切動じなかった。
体内で燻る鬼火の衝動が激しさを増していく。
この女を殺せ、と囁く声に、促されるままそっと瞼を閉じた。
「安心して。楽には死なせてあげないから」
熱で硝子にへばり付くことしかできない累が最後の悪あがき、と言わんばかりに、窓へ肘鉄を放つ。
――ガシャン!
重力に誘われるまま、二人の身体が地面へと真っ逆さまに吸い込まれていった。
「紅姉っ!!!」
銀の指先が、小炎の足首を掠める。
虚空を掴んだ己の手に、銀は鋭い舌打ちを放った。
「淡!」
『……仕方ないわねぇ』
淡がため息を吐きながら現れたのを横目に視認するや否や、銀は何の躊躇いもなく、窓枠を蹴った。
『あ、こら! 待ちなさい! 坊や!』
「さっさとしろ!」
『もう!!』
銀の身体を淡の術が包み込む。
海月のように全身を分厚い水で包まれた銀はその腕をもう一度小炎へと伸ばした。
銀の腕に呼応した淡の水が、小炎と累の身体を捉える。
あわや地面に衝突か、と思われたギリギリで水が緩衝材となり、二人の身体が地面に直撃することを避けた。
「……あ、あっぶねえ~~~~!」
肺の中の空気を全て入れ替えるほど長いため息を吐き出すと、銀は二人からやや遅れて水のクッションへと着地を果たした。
先に落ちた二人はといえば、すっかり気を失っているのか、折り重なるように倒れ込んだまま微動だにしない。
見慣れない赤毛の小炎へ、銀は恐る恐る歩みを寄せた。
「……ン」
愚図るように息を漏らした小炎に、ほっと胸を撫で下ろす。
彼の身体の下では、酷い火傷を負った女が白目を剥いて気絶していた。
◇ ◇ ◇
ぐったりとした小炎を背負い、水泡に閉じ込めた白頭巾の女を連れて帰ってきた銀に、東雲と時雨の二人は目を剥いた。
急に眼前から姿を消したと思ったら、丸一日帰ってこなかったのだ。
心配するな、と言うのは、無理な話である。
「お、お前らなぁ! 一体、俺らがどんだけ心配したと……!」
「いきさつを説明してやりたいが、先に小炎を診てやってくれ。鬼火の熱に中てられて意識が混濁してる」
鬼火、という言葉に東雲は慌てて和笑亭の奥へと駆け込んでいった。
「昨日、あれから小炎の伯母さんが帰ってきたの。お面ももう作り始めてくれてる」
「そっか。悪かったな、嬢ちゃん。心配かけて」
「ううん。銀が一緒だって聞いて、大丈夫だと思ってたよ」
「え?」
「だって、銀。小炎のこと一等大事なんでしょ?」
無邪気に放たれた少女の言葉に、銀は開いた口が塞がらなかった。
表には出したことがないとばかり思っていた感情を、こんな年端もいかない少女に言い当てられて、知れず瞬きの数が増える。
「絶対連れて帰ってきてくれるって、時雨信じてたもん」
「……あ、っそう?」
「うん」
「…………や、やりにくいな、嬢ちゃん」
「?」
小炎を背負ったままになっているのも居た堪れなかった。
今、言葉を紡いでも、何もかもが意味を成さない気がする。
はあ、と困ったようにため息を吐き出すと、銀は人当たりの良い――外面全開とも言う――笑みを浮かべ、時雨と共に小炎の伯母に会うため、東雲の後を追って和笑亭の中に足を踏み入れるのだった。
「――久々やな、銀の坊主」
小炎の伯母――梅を見て、銀は身体を固めた。
その人は白蜂商会に出入りしている豪商の妻だったからだ。
商人勢の頭――本人は嫌がっているが――といっても過言ではない人物の細君が小炎の伯母だとは思いもよらず、銀はぎこちなく口角を持ち上げた。
「ご、ご無沙汰してます。梅さん。相変わらず、お綺麗でいらっしゃる」
「はははっ。アンタも世辞が下手なとこは相変わらずやなぁ」
「……っ」
やりにくい。
後ろには東雲と時雨が立っており、後退ることも叶わない。
梅の側に敷かれた褥の上にゆっくりと小炎を横たえると、頭上から「ふふっ」と柔らかい声が降ってきた。
「なんぞ、懐かしい思ってな。こン阿呆が誰かに抱き抱えられてるとこ見てたらよ」
「……」
「アンタのそんな顔、見るのもな」
「お梅さん!」
「はいはい。怖い顔せんとってや。面はもう出来てるよって、この子が起きてから調整するわ」
銀の怒鳴り声に、梅はキセルを咥えると、彼の肩越しに東雲へと視線を遣った。
「悪いけど、この子置いていってくれる? 鬼火抑えるのに蓮借りたいんや」
「あ、じゃあ、時雨も……」
「ちょっと体力使う術やから、嬢ちゃんにはむつかしいで」
「でも、」
「こっちの兄さんだけで十分やよって、ご飯でも食べて待っといてんか」
な、と促されてしまえば、時雨は黙るしかなかった。
すっかり静かになってしまった銀と時雨の二人を見比べながら、東雲が緩慢な動作で立ち上がる。
「それじゃ、小炎のことよろしくお願いします」
「はいよ。終わったら、柚月に呼びに行かせるわ」
「分かりました」
行くぞ、と一声かけて時雨の手首を引っ張る。
彼女は頑なに動こうとしなかったが、東雲が力任せに身体を抱き上げると、大人しくその腕の中に身体を預けた。
「……若頭になったんやってな」
東雲の足音が完全に聞こえなくなったのを合図に、梅が再び口を開いた。
「はい」
「おめでとう、って言うた方がええか?」
「……いいえ。何もめでたくはありませんから」
「うちの人も、心配しとったで。最近の白蜂商会はあんまりいい噂聞かへんからな」
「その原因を今、追っているところです」
「累が、関わってるんか」
「お知り合いだったんですか?」
銀の問いに、梅は何ともいえない渋い表情を浮かべた。
「アンタの兄貴が死ぬ原因を作ったんも、あの子や」
「え」
「アンタんとこの里が作ってる銀細工を独占するのに、里の場所を商会の中でも特に血の気が多い連中に吹き込んどったらしい」
「……じゃあ、あの日小炎が里に来たのは」
「元々、累は旦さんとこの従業員やったんよ。異変に気付いた旦さんが小炎に知らせたけど、遅かった」
赤髪を振り乱して、里へやってきた小炎の姿が脳裏に浮かぶ。
恋人と、その弟の名を叫びながら、小炎は自身が血で汚れるのも厭わずに、槍を振るった。
その姿は、文字通り鬼神のようであったけれど、幼い銀の目には何よりも美しく、輝いて見えた。
「でも、兄貴は小炎のあの姿を受け入れられなかった」
「ま~普通の人間には、まず無理やろ」
「酷いな。それじゃ、まるで俺が普通じゃないみたいだ」
「アンタが『普通』の枠に収まる器か?」
「それは、褒め言葉として受け取っていいやつ?」
「……勝手にしい」
「ははっ」
眠っている小炎の頬に手を添えながら銀が無邪気に笑う。
そうしているとまるで、幼い頃の彼を見ているようだった。
「……藤(とう)」
「はい?」
「いつまで隠すつもりなんや」
「何がです?」
薄紫のレンズ越しに、白銀が不自然に瞬く。
「まだ言うてへんのやろ。自分のこと」
「…………俺には、その資格がありませんから」
「何を言うて、」
「命の恩人に俺の兄貴が何をしたのか、ご存じでしょう?」
銀がそっと顔を伏せた。
その視線の先には、小炎が居る。
梅も彼の視線を辿るように、『姪』の姿を一瞥した。
「兄貴はもう居ないのに、紅姉は今でもあの日に囚われたままだ」
「アンタはどうなんや」
「俺? 俺は、」
――ただ、紅姉が生きている姿を見られるだけで十分ですよ。
未だ緋色から戻る気配のない小炎の髪を、銀は厳かに持ち上げた。
ぴくり、と嫌がるように小炎の瞼が僅かに身動ぐ。
それを見て、銀は喉を鳴らして笑った。
「昔はあんなに優しかったのに、今の見ました? すっかり毛嫌いされてるんです……」
「アンタの言動も一役買ってそうに見えるけどな」
肩を竦める銀の額に、梅がキセルを打ち付ける。
「熱っ!?」
何するんですか、と非難の目を向ける銀を無視して、梅は文机に向き直った。
真新しい木彫りの面と、横たわる小炎とを見比べる。
すっかり見慣れた赤い鬼面(それ)は、あの日から小炎が肌身離さず付けるようになったものだ。
これをつけている間は、生粋の鬼である梅の血で紋様が描かれているお陰で、半妖の小炎でも鬼火を操ることが出来るようになる。
あの日――銀が生まれ育った里で鬼火が暴走して以来、小炎はこれで顔を隠すようになった。
表向きは鬼火の制御、と銘打ってはいるが、銀と梅には本来の目的が痛いほどよく分かった。
「…………死に際の奴の言葉ほど、胸に刻まれるなんて残酷ですよね」
「そういうもんやろ」
「俺たちがどれだけ『大丈夫』って伝えても、小炎がこの面を自主的に外すことはありません」
「……鬼人の姿は、本性が剥き出しになる。角も牙も、炎さえもな」
「兄貴の目にはそれが『醜く』映ったんでしょうね。だけど、あの日の小炎は俺にとって、救世主でした」
たとえ、小炎がどう思っていても、銀には関係ない。
真っ赤に濡れた彼女の横顔は、呼吸を忘れるほどに美しかった。
「小炎が気付くまで、俺から言うつもりはありませんので、もう少しだけ見守ってください」
そう言って笑った銀の顔は、子どものころと変わらず無邪気なままだ。
「うちの辛抱が切れるのと、この子が気付くのどっちが先か見ものやわ」
不敵に笑った梅に、銀は困ったように眉根を寄せるのだった。