20話『白銀に貫く』

歓声の余韻がまだ砦に木霊していた。
戦いを終えたばかりのヴェレの耳にも、観客の声は遠い波のように聞こえる。
熱を帯びた空気がようやく静まり、そこへゆっくりと歩み寄ってきたのは――脇腹に包帯を巻いたハカリの姿だった。

「ハカリ、」

呼びかけた声に振り返った彼の傍らには、見慣れぬ少女がいた。
白銀の髪を風に揺らし、ハカリの身体を支えるように寄り添っている。
タリクが「あれが妹のシャナールだ」と、ヴェレの隣に立ちながら言った。

「ヴェレが戦っているって聞いて、慌てて出てきたんだ――勿論、勝ったんだよね!?」
「……え、ええ」

シトラスの明るい声に一瞬気取られるも、ヴェレはハカリとシャナールの姿から目を離せなかった。
甘い痺れが、喉元を通り過ぎ、胸にじんわりと痛みを広げていく。

「刀には神経毒を塗っているので、まだ動くのは無理だと言ったのですが」

シャナールが困ったように眉尻を下げる。
肩を支えられているハカリは、と言えば、舌が痺れているのか、もごもごと声にならない声で何事かを訴えている。

「はい? 何ですって? 何を言いたいのか、さっぱり分かりません」

眉間に深い皺を刻んだヴェレを見て、ハカリはムッと唇を尖らせた。
次いで、力無くだらりと垂れ下がった腕を必死に動かし、彼女の腕を捕まえる。

「ち、かい!」
「はい?」
「かれ、と、ちか、い!」
「…………そっくりそのままお返ししますよ」

どうやらタリクとヴェレの距離感が気に入らなかったらしい。
鼻息荒く片言で凄まれて、ヴェレは片手で両の瞼を覆った。
自分も似たようなことをハカリとシャナールに思っていた、とは口が裂けても言えない。

「はな、れてっ!」
「ちょっ、分かりましたから。急に動くと、危ない――」

ヴェレの警告は奇しくも間に合わなかった。
彼女からタリクを遠ざけようとしたハカリの上体が、無理に動こうとした所為で大きく傾ぐ。

受け止めようとしたヴェレをも巻き込んで、ハカリは地面へと吸い込まれるように倒れ込んだ。

「――!!」

視界いっぱいに広がるハカリの顔。
唇には、少しカサついた柔らかい感触。
何が起きたのかをヴェレがゆっくりと理解した、瞬間。

「ふ、二人とも、大丈夫!?」

シトラスが駆け寄ってきた気配にヴェレは慌ててハカリの身体を蹴り飛ばした。
鋭い蹴りを拳一つ分の距離で放たれたハカリは無論、避け切れるはずもなく。
防御姿勢も取れないまま、派手に後ろへ吹っ飛ばされてしまった。

「いったあ~~~! 酷いよ、レディ! あ、治った!? 今ので痺れも吹っ飛んだよ!!」

岩肌にめり込みながら、ハカリが表情を明るくさせる。
さっきまで死にそうな顔をしていたのが、嘘みたいに騒ぎ始めた彼とは対照的に、ヴェレは心中穏やかではない。

「知りません!! 許可なく私の間合いに入らないでください!!」
「え、ええ~……。そんな無茶な、」
「何か仰いました?」

桜色の瞳がキッと吊り上げられる。
これ以上、言葉を連ねれば、問答無用で刀が飛んできそうな勢いだ。
ふるふる、とハカリが弱々しく首を振れば、ヴェレは短く息を吐き出した。

(…………っ)

感触を確かめるように、そっと爪先で唇に触れる。
ほんの一瞬、掠めただけなのに、まだそこにハカリの唇が触れているような錯覚に陥った。

「ねえ、ヴェレ。今のってキ――」

シトラスがヴェレの顔を覗き込む。
真顔のまま無言で見下ろされて、シトラスは「ごめんなさい」と震える声で謝罪を紡いだ。

「一戦交えた後だというのに、元気じゃのう」
「こいつ昔っから血の気が多くて困ってんだよ。何か良い薬でも知らねえか?」
「バカに付ける薬はない、と薬師も匙を投げようて」
「っぷ、あははは! そりゃそうだな!」

クラレットの大きな笑い声に、ヴェレはゆっくりと正気を取り戻した。

「キスの一つや二つ、減るもんでもねえだろ」
「……今のは事故なので、カウントされません」
「じゃあ、何をそんなに怒ってんだよ」
「別に、怒ってなんか、」

ただ、驚いただけです、と苦し紛れに溢したヴェレの頭をクラレットがぐしゃぐしゃに引っ掻き回した。

「ふ~~ん?」
「何ですか、その顔は」
「べっつにい~」
「姉さん!!」

子どもの頃以来の本気の鬼ごっこを開始させた姉妹を眺め、口元を綻ばせていたフラーの隣に、アストラガルがそっと身を寄せた。

「仲の良いことで」
「本当にな」
「――それで、《流星の心臓》について知りたい、と言うことでしたが、もしや」
「ああ。《乙女座》が《星の涙》を集めている」
「《星送りの儀》を執り行うために、ですね」

こくり、とフラーが頷きを返せば、アストラガルもまた瞬きを一つ返す。

「導師様。昔交わした約束を覚えておいでですか?」
「ん?」
「私が星に還った後も、《射手座》を守護してくださると」
「縁起でもないことを言うな」
「ですが早晩、私も狙われることになりましょう。《星影の動乱》の真実を知る者を《乙女座》がいつまでも見逃してくれるはずもない」
「……それは、」
「彼女たちのやり方は、貴女が一番よく知っているはずだ」

チェルカ草原を吹き抜ける乾いた風が、フラーの長い前髪を持ち上げた。
《乙女座》を象徴する真っ赤な目と額に施された《固有刻印》の紋様が、アストラガルの前に晒される。

「今一度、星導く乙女・ヴァリス様にお頼み申し上げます。どうか私亡き後も《射手座》をお守りください」
「やめろ。その名で私を呼ぶな」
「ですが、こうでもしないと貴女にはのらり、くらり、と躱されてしまいますから」
「泣き虫小僧が、随分と小賢しい真似をするようになったものじゃ」
「他でもない貴女の教えです」

笑うと眉尻が八の字に下がる。
昔と変わらない少年の面影を宿した男の姿に、フラーは重いため息を吐き出した。

「分かった。承ろう。私の命が続く限り、《射手座》の守護を約束する」

降参だ、とフラーが両手を天に向かって掲げる。
その頭上を暁鷹の群れが慌ただしく通り過ぎていった。

「何じゃ?」
「……野生の個体が群れを成している、だと?」

アストラガルの眉間に深い皺が刻まれる。

「《流星の矢》、今のは、」

同じように険しい表情で近付いてきたタリクに、アストラガルが頷きを返す。

「ああ。戦士たちに暁鷹の状態を確認させろ」
「分かった」

タリクはそう言って、妹を一瞥した。
シャナールもまた、兄と同じ焦燥感を抱いていたのだろう。

彼女は一も二もなく駆け出すと、その背中はあっという間に見えなくなってしまった。

「どうかしました?」

フラーたちの様子が変わったことに目敏く気付いたヴェレが、ようやく捕まえたクラレットの首を掴んだまま、こちらへやってくる。
だが、アストラガルはそれに応えなかった。
否、応えられなかったと言う方が正しい。

薄闇を纏い始めた空を割く緋色の流星に、目を奪われていたのだ。

「…………やはり、もう限界が近いのか」

ぽつり、と小さく呟かれた声は、チェルカ草原の荒々しい風に攫われて誰にも届かない。
けれど、アストラガルの隣に立っていたフラーだけは、彼のことを食い入るように見つめていた。

「アストラガル様?」
「あ、ああ。すまない。少しぼうっとしていた。――暁鷹の生態を知っているかね?」
「いいえ。申し訳ありませんが、この土地に来て初めて拝見いたしました」
「では、《流星の心臓》について語る前に、彼らについて詳しく話をするとしよう」

皆、着いてきなさい、とアストラガルは屋敷に続く道へと歩き始めた。

◇ ◇ ◇

暁と踊る鷹、それが暁鷹の名の由来だった。
彼らは夜明けと共に狩りを始める。
日の出ぴったりに空を舞う、鈍色の美しい翼は力強く羽ばたき、地上の獲物に影を落とす。
そんな彼らにも、もう一つの姿があった。

「暁鷹は、星獣《ルクバト》に仕える眷属だ。彼らはルクバトの聖地を守るため、散り散りに空を飛んでいることが多い」
「……では、先ほど見た大群は、」
「恐らく、ルクバトか聖地に何かあったと考えた方がいい」

アストラガルの屋敷を視界の向こうで捉えた一行の足元に大きな影が落ちた。
「うわっ!?」とシトラスが声を上げたのに対し、ヴェレを始めとした大人たちが臨戦体勢になって空を仰いだ。

「何か分かったのか、アウステル」

アストラガルの肩に一羽の暁鷹が止まっていた。
彼の問いに答えるように「クルル」と喉を鳴らした暁鷹は、砦から西の方角――ルクバトの聖地がある方をじっと凝視している。

「やはり、聖地に何かあったらしいな」
「――《流星の矢》!! 大変だ!!」

血相を変えた若い戦士たち――ヴェレたちが捕らえた二人組――が、アストラガルの腕を引いた。

「サーリクにダウランか。落ち着け。何があった」
「砦に居る暁鷹も皆、飛び立ってしまったのです!」
「カイラムが! カイラムが俺の声を無視するなんて、ありえねえよ!」

わあん、と子どものように泣き始めたダウランにアストラガルは小さくため息を吐き出した。

「戦士を十人ほど集めてくれ。聖地に向かう」
「しょ、承知しました」
「それから、タリクとシャナールも呼んでこい」
「お、恐れながら、お二人が出向くほどのこととは、」

「……彼らには別の役目がある」

アストラガルの言葉に、サーリクは渋々頷いた。
そして未だに泣き喚いている己の相方を引き摺るように来たばかりの道を駆けていく。

「勝手な願いで申し訳ないが、君たちにも同行を頼みたい」
「それは、構いませんが」
「助かる」

アストラガルが軽く頭を垂れると、それに伴ってアウステルがパッと飛び上がった。
一同の上に薄闇の影が広がっていく。

アウステルの羽ばたきの向こう、聖地の上空で甲高い暁鷹たちの声が不気味に響き渡っていた。