「……やっぱり、隠し持ってやがったか」
東雲はカラカラに乾涸びた男たちの遺体を見て舌を突き出した。
彼らの懐から出てきた巾着袋の中に『輝石』がぎっしりと詰まっていたのである。
東雲が彼らに拷問を始めて二日。
交互に質問をすることで、それぞれの骨を十数箇所折っていったのだが、最初に骨を折られた方の男が根を上げたのは昨日の夜遅くだった。
明朝改めて問い質そうと思っていただけに、東雲の表情は固い。
「悪い。俺がやりすぎた所為だ」
「いや、遅かれ早かれこうなっていただろう。星羅曰く、輝石は持っているだけで人の命を吸収するらしいからな」
「だけど、」
「……製造責任者が女で、これから春海で落ち合う約束をしているってとこまで聞き出せたんだろ?」
「あ、ああ」
「それで十分じゃねえか。ま、結局お前さんらには春海へ行ってもらう必要が出てきたがな」
黒燈の吐き出した煙が、ゆらゆらと空気に揺れて蛇のような動きを繰り返す。
東雲は「ああ」とそれに短く返事を返すと、黒燈の執務机から緩慢な動作で腰を持ち上げた。
「一応、住む場所の手配はしてきてある。準備が出来たら、すぐにでも出発できるぜ」
「良い報告を期待してる」
「そいつは小炎次第だな」
「くくっ。違いねえ」
黒燈はそう言ってくつくつと喉を鳴らして笑うと、徐に引き出しを開いた。
びゅん、と何かを東雲に向かって放り投げる。
「前に襲撃した闇市の品物の中に面白いモンがあった。手前なら乗りこなせるだろうよ」
「?」
「追加報酬だとでも思ってくれ」
「何か知らねえけど、いいのか? 後で返せと言われても返さねえぞ」
「そんなみみっちい男に見えんのか?」
「……」
「そこは嘘でも『見えねえ』って言いやがれ、このクソガキ」
「前から言おうと思っていたんだが、俺のことクソガキ呼ばわりすんのはアンタくらいだよ」
やっぱり好きになれそうにない、と生意気なことを宣う東雲を犬のようにしっしと執務室から追い払うと、黒燈は声を立てて笑った。
「それはこっちのセリフだっつの」
異母妹が初めて自分から連れてきた友人が男だったのだ。
それくらいの憎まれ口は許してほしい。
「なあ、梅雨?」
曇天の空へ向かって、黒燈はそう独りごちるのであった。
◇ ◇ ◇
時雨はあれ以降、星羅にべったりだった。
それと言うのも、保護したばかりの子どもたちがすっかり星羅に懐いてしまった所為で、ヤキモチを妬いているのだ。
「し、時雨ちゃん?」
今日もまた左足にぴったりと張り付いて離れない時雨に困惑を隠せない星羅は、彼女に聞こえないように小さな声でため息を漏らした。
決して嫌ではないのだが、こうもくっつかれていると家事や仕事がやり辛くて仕方ない。
どうしたものか、と洗濯籠を持ったまま固まっていると、不意に左足が軽くなる。
「なあに、むくれてんだ。お姫様」
東雲が星羅の足にくっついていた時雨のことを抱き上げたのだ。
全く気配を感じさせないところは、流石だった。
けれども、急に星羅から引き離された時雨はそれどころではない。
不機嫌を隠そうともせず、きつい眼差しで東雲を睨んでいる。
「東雲、」
「黒燈が良いもんくれたんだ。見に行かないか?」
「良いもん?」
「おう。きっと、時雨も気にいるぞ」
「……見たい!!」
そう言うと、東雲は視線だけで星羅にこの場を離れるように、中庭への扉へと目配せした。
星羅はこくりとそれに頷くと足音を殺して、中庭へと消えていった。
横目にそれを確認した東雲は、時雨の興味が星羅に戻らないうちに、黒燈から貰ったものを探すべくその場を後にした。
「…………は、舶来モンの車じゃあねえかッ!!」
良いのかよ!!これ!!
階下で子どものように燥ぐ青年の声で小炎は眠りから目覚めた。
昨日遅くまで星羅から聞いた輝石の輸送ルートを確認していた所為で、寝台に入る頃にはすっかり辺りは白んでいたのだ。
「も~! 朝から煩いヨ! 徹夜の頭に響くから、もう少し抑えてくれない!?」
「見ろよ小炎! 舶来の車だぞ!」
「……君って時々、人の話聞かないよネ」
窓の下、きゃっきゃと楽しそうに声を弾ませる東雲の隣には大陸からやってきたばかりの真新しい車があった。
「珍しい。そんな上等な屋根付きの車、一体どこから仕入れたんだか……」
「お前らが盗ってきた卸の品に紛れてたんだよ」
「あ、おはよう。黒燈」
「な~にが、おはようだ。もう昼前だぞ」
「誰かさんたちがうっかり売人を見殺しにした尻拭いをしてやってたんでしょうが」
「ああ? そもそも、手前が最初にあいつらの持ち物を確認しておけばこんなことにはなってなかったんじゃあねえか?」
「…………しーちゃんのことで、頭がいっぱいだったんだもん」
「おいやめろ。自分の歳、考えてもの言えよ」
ぶりっこするな、と小気味良く頭を叩かれて、小炎は唇を尖らせる。
「そんで? 分かったのか?」
「……誰に向かって言ってるのサ」
「なら、とっとと出発しやがれ。働かざる者食うべからずって言うだろ」
「ったく、君と言い、東雲と言い、僕遣いが荒いったらないネ!」
小炎はそう言うと、既に纏めていた荷を引っ掴んで窓枠に手を掛けた。
「そんじゃ、こっちは諸々の経費として預かっておくネッ!」
「は? 何のことだ? つーか、ここ二階――って、アイツには関係ねえか」
まるで猿が枝から枝を渡るかのように軽やかな動きで小炎は真下に停めてあった車の屋根に音もなく着地してみせた。
一服しようと懐に手を差し入れれば、先ほどまで確かにあったはずの財布が抜き取られている。
「……っの野郎!! 待てゴラ!! 小炎!!」
黒燈が窓から顔を出したときには、既に車は走り出していた。
ブロロロ、と耳慣れないエンジンの音が黄昏通りを背に白い煙の軌跡を描いていく。
「じゃあねぇ~! ちゃんと報酬用意しておいてヨ~!」
「帰ってきたら覚えてやがれ!!」
「再見~~!」
珍しく機嫌が良いのか、面をズラしてみせた小炎の横顔を、黒燈は肩を竦めながら見送るのだった。
「あはっ! 勢い余ってしーちゃんも連れてきちゃった……!」
「『あはっ!』じゃねえよ! どーすんだ!」
「時雨、一緒に行っちゃダメなの??」
春海に到着してから漸く頭を抱えた小炎に、東雲がはあと深いため息を吐き出す。
「行っちゃダメってことはねーけど、俺たちの側を離れないって約束できるか?」
「うん!」
「……返事だけは良いんだよな。お前も、小炎も」
「それドンが言う??」
小首を傾げた小炎の頭に拳骨をひとつ落とすと、東雲は安く借りることの出来た部屋から見えるそれに顔を顰めた。
「誰が戦艦の上に街を造ろうなんて、言い出したんだろうな」
ここ春海は動く街――巨大な戦艦の上に各地から集まった商人が店を構える一風変わった街であった。
白蜂紹介がアジトを持たない理由の一つに、春海がある。
有事の際に街ごと拠点を移すことが出来るからだ。
ここ数年は派手な抗争もなくこの地に根を下ろしていることから、春海が停泊している対岸に宿場町が出来る盛況ぶりであった。
ぽつり、ぽつりと浮かぶ街灯をぼんやり眺めながら、東雲の眉間にさらに深い皺が刻まれる。
「暗くなれば動きやすくなるかと思って待ってはみたが、考えが甘かったか……」
「ん~?」
「ほら、見てみろよ」
星羅の弁当――何故か後部座席に他の荷物と纏めて包まれていた――を口いっぱいに詰め込んだ小炎が、東雲の肩越しに階下へとを視線を移す。
遠目に見ても堅気ではないと分かる人相の男たちが等間隔で街を闊歩していた。
「春海の手前でこの人数だ。どうする、夜中まで待つか?」
「……いや。今すぐ入ろう。夜になれば規制が掛かるはずだ」
「けどよ、」
「大丈夫! 僕に任せて」
小炎の「大丈夫」ほど当てにならないものはない。
東雲はげっそりとした顔で足元に転がる男たちへと同情の視線を送った。
春海への入り口は全部で三つ。
そのうちの一つで見張り番を強襲することに成功した東雲一行は、彼らが身に纏っていた衣服を拝借し、春海へと潜入することにした。
「いや、お前……。これ、教育に悪いから時雨の前であんまりするなよ」
「これって?」
「刺したり、蹴り飛ばしたり、だよ。粗暴な子になったらどうすんだ」
「大丈夫デショ。しーちゃん、蓮使った喧嘩得意みたいだし」
「今のどこに大丈夫な要素あった? なあ、おい!」
「んも~~、ドン煩いよ! 少しはしーちゃんを見習って静かにしたら!」
小炎の大立ち回りのおかげですることもなく時雨を抱えていただけの東雲はムッと唇を尖らせた。
腕の中にいる少女はといえば、普段ならもうとっくに眠っている時間である所為か、瞼をとろんとさせて大人しく縮こまっている。
「つーか、お前。その面は流石に目立つんじゃ、」
「大丈夫大丈夫」
「いやいやいや」
「だいじょーぶだって! 叫ばれる前に伸せばいいんだから!」
ネ、と小首を傾げた小炎に、東雲は「いや、大丈夫じゃないだろそれ」と呟くことしか出来なかった。
夕暮れの船上では、陸の街と変わらぬ相貌の露店が所狭しと犇めきあっている。
その隙間を縫うように移動しながら、東雲たちは拝借した衣服と同じものを着た男たちの列の末尾に加わった。
恐らく見張りの交代時間なのであろう。
口々に疲労を労う声を掛け合いながら、詰所へと向かっていく。
「……ドン、あれ」
艦内を中程まで行ったところで、男たちが二分した。
小炎がフードを深く被って顔を隠しながら、右側を顎で示す。
見慣れた巾着をもった男たちが数名、奥の方から出てくるのが見えた。
「女と落ち合う場所ってのはあの先らしいな」
「そうみたいだネ。でも、どうする? しーちゃん寝ちゃってるし、僕だけで行ってこようか」
「そうだな。子連れだと目立つかもしれん。俺たちは上を物色してくる」
「りょーかい!」
東雲はそう言うや否や、眠ってしまった時雨を起こさないよう静かに元来た道を戻っていった。
小炎はそれを黙って見送ると、息を殺して右の通路へと足を踏み出した。
船上の騒がしさが嘘のように静かな通路には、自分の足音だけが響いている。
どれくらい歩いただろうか。
もうそろそろ誰かと行き合ってもおかしくはないはずだ、と小炎は眉間に皺を寄せた。
途中にあった扉は全部で二つ。
いずれも人の気配はなく、物置として使われている部屋だったようで、あるのは備蓄や書類の束だけだった。
引き返すか、と小炎が振り返ったときだ。
――視界の端で鈍色が閃いた。
「!」
小炎は咄嗟に後ろへ飛び退いた。
ビュン、と鳴った風切り音に、これでもかと顔を顰める。
「よぉう、小炎。こんなところで何してるんだ?」
極限まで薄く研ぎ澄まされた長刀を翳しながら、眼前の男が嬉しそうな顔を隠そうともせず、小炎を見下ろしている。
「君の方こそ。こんなところで、何してるのサ。銀」
「俺ァ、お仕事に決まってんでしょ。ちょいとこの近くに用があってね。その序でに様子見を頼まれたってわけ」
「ふ~ん?」
「おいおい。久々に会うんだから、もっと嬉しそうな顔見せてくれても良いんじゃねーの?」
得物をちらつかせながらそんなことを言われて、小炎は面の下で「べえ」と舌を突き出した。
この男に会うと碌なことがないのである。
白蜂会、若頭『銀(ぎん)』。
一度、白蜂会の賭場とは知らずに、イカサマでボロ儲けさせてもらっていたところを問答無用で襲われて以来、小炎は銀のことを毛嫌いしていた。
この地域は彼の担当外であるから会うことはないと思っていたのに、とんだ誤算である。
「その服。まァた、何か悪さしようとしてんだろ」
銀の言葉に、小炎は面の下で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
警備隊の服を着ていれば怪しまれずに済むかと思っていたが、この男に対しては逆効果でしかない。
「……ヤダな~。そんなわけないじゃん」
「今の間が答えだろーが」
「本当に違うってば。盗みに入るつもりなら、こんな人が多い時間に来たりしないよ」
上着を脱いで潔白を証明しようとする小炎だったが、銀の目は鋭さを増すばかりである。
「盗みじゃないなら何だよ? まさか、またうちの連中を誑かそうとしてんじゃねえだろうな」
「違うヨ! あれはあっちが、勝手に……!」
「思わせぶりな態度を取ったお前さんにも問題があるっての」
銀の目の中で、焔が揺らめいた。
小炎はため息を吐き出すと、背負っていた短槍に手を掛ける。
金属がぶつかる音と二人の間で火花が散ったのは、ほとんど同時だった。
「誤解だって言ってるデショ! さっさとそこを通してくれないカナ!?」
「何、キレてんだよ。益々怪しいなァ! 小炎!」
「~~っ!」
「ああ、そうだ。お前さんの身包み剥いで何にも出てこなかったら通してやってもいいぜ?」
するり、と艶めかしい動きで腰を撫でられて、小炎は思わず「ひっ」と引き攣った悲鳴を漏らした。
先ほどまでの怒りの類とは別の意味で熱を帯びた銀の視線に、短槍が唸りを上げる。
「気色の悪いことしないでくれる? ぶっ殺すヨ……!」
腹の底が煮えるように熱い。
グッと柄を握る手に力を込めれば、それを見た銀が嬉しそうに破顔した。
「いいぜ。それくらい分かりやすい方が、俺は助かる。――俺が勝ったら、今度こそ俺のもんになれよ!」
銀の手中で彼の愛刀が鈍い光を放つ。
暗闇の中で再び火花が舞うのに、そう時間は掛からなかった。