5話『誓いの言葉』

復活した銀の手引きで、梅鼠から雪崩れ込んだ白蜂商会の戦闘員たちの活躍によって、青蘭の街は制圧された。
梅雨と時雨の叔父は今回の主犯格として捕えられ、白蜂商会の会長の元へと送還されることが決まった。

「……最後に一発殴らなくて平気?」

小炎が遠慮がちに時雨へ声を掛ける。
けれど、少女はふるり、と頭を振った。

「殴っても、お姉ちゃんは帰ってこないもん」
「そうだな。それにあんな奴、殴る価値もねえ」

なるべく長く苦しませてから殺せ、と念入りに戦闘員たちへ伝える東雲の姿に、時雨と小炎が顔を見合わせて苦笑を溢した。
その顔に、面が着けられていないことに、時雨が瞬きを一つ落とす。

「また面、壊れちゃったの?」
「……う、うん。まあ、そんなとこかナ」
「小炎?」
「…………ドンには内緒って約束できる?」
「うん」

そう言って耳打ちされた内容に、時雨の目が見る間に大きくなった。

「よかったねぇ!!」
「しっ! しーちゃん、声大っきいヨ! 二人に聞こえちゃうデショ!」

やっぱり言うんじゃなかった、と小炎が時雨の口を慌てて塞ぐも、既に後の祭りである。
戦闘員たちと会話を終え、遠巻きに彼女らを見守っていた東雲が珍しく慌てた姿を見せる小炎にスッと目を細めた。

「ちょいと旦那、俺の好い人に熱っぽい視線を向けるのはやめてくれよ?」
「気色の悪いこと言うんじゃねえよ。頼まれたって向けねえっつの」
「またまた~」
「それにそんなもん向けてみろ。お前は勿論、あいつにも刻まれかねん」
「んふふ。よく分かってんじゃん」

鈍い光を放った白刃をチラつかせた銀に、東雲が重いため息を吐き出す。

「そんなに心配なら鎖でもつけておいたらどうだ?」
「……鎖くらいで繋げるなら、ぜひそうしたいねぇ」
「お、やっぱ今のなし。俺の発案だと知れた日には、何されるか分かったもんじゃねえ」
「ははは」
「絶対実行に移すなよ! あとで俺が散々な目に遭うんだからな!」
「わーったって!」
「おい、俺の目ぇ見て言え! 銀!」

白煙の舞う街並みに、野太い笑い声が響く。
戯れ合う東雲と銀の姿を見た小炎が「げ」と舌を突き出すのに、そう時間は掛からなかった。

◇ ◇ ◇

僵屍に使われた遺体は、術の反動で灰すらも残らない。
勿論、梅雨も例外ではなく、彼女の遺骨は見つからなかった。
あるとすれば、身に纏っていた衣服や装飾品くらいだが、崩壊した地下室の中では、それすらも見つけることが出来なかった。

意気消沈する時雨に、東雲は己が身につけていた彼女の形見を差し出すことにした。

「黒燈に頼んで、形見分けとしてもらった耳飾りだ。――お前が着けていた方が、アイツも喜ぶ」

雫の形に模られたそれは、姉が生前母から譲り受けたと自慢げに語っていたものだ。

「……あ、りがとう」

さっきまで東雲が耳に着けていたからか、彼の体温がじんわりと残ったそれを時雨がぎゅっと掌の中で握りしめる。

「今度もまた、お姉ちゃんに頼まれたから、『仕方なく』時雨のこと助けにきてくれたの?」

少女の声は、吐き出される言葉の棘を感じさせないほど、弱く震えていた。
時雨の掌の中で、梅雨の耳飾りがしゃらり、と音を奏でる。

二人の間に、不自然な静けさが生まれた。

小さな瞳は不安に揺れている。
先に動いたのは勿論、東雲だった。
緊張と不安で冷たくなった時雨の頬に、そっと掌を這わす。

「最初はそうだった。でも、今は違う」

片手ですっぽりと収まった柔らかな肌の感触を確かめて、口元を和らげる。

「俺自身が、お前のことを大切に想っているんだ」

何を言われているのか分からない、と口を呆けて固まってしまった時雨に、東雲はますます笑みを深めた。

「……俺が心から助けたいと思ったのは、お前が初めてだよ」
「…………」
「嘘じゃない。何なら、お前の姉さんに誓ったっていい」

少女の頬に触れていた手を離して、やけに芝居がかった調子で宣誓のポーズを取った東雲に、時雨が何とも言えない表情を浮かべる。

「悪いな、梅雨。お前の妹は貰っていくぜ」

東雲が虚空に言葉を手向ける。
次いで予備動作の一つもなく、ひょいと簡単に身体を持ち上げられて、時雨は悲鳴を上げる暇もなかった。
すぐ傍に感じる東雲の葉巻の香りと、嗅ぎ慣れた硝煙のそれに、羞恥より先に安堵が募る。

「時雨」
「なに?」
「こっち向いてみ」

頭に疑問符を浮かべながら、素直に従うと、東雲の瞳と視線が交差する。
とん、と額同士がぶつかって、それから――。
掠めるように唇が触れた。

「…………え、」
「ははっ、お前でもそんな顔するんだな」

子どもみたいに笑う東雲とは反対に、時雨は顔中を、肌と言う肌を赤くして、あわあわと唇を震わせていた。

「いきなり、なに、」
「こうでもしないと『やっぱり、お姉ちゃんの代わりなのかも』って顔をしていたからだよ」
「う、ぐ」

痛いところを突かれて、時雨は黙る他ない。

「言い残すことがないなら、もう帰ろう。向こうで小炎たちが待っている」
「うん」

東雲は時雨の小さな応答を聞き逃すことはなかった。
返事をするや否や、長い脚が軽やかに歩み始める。

風に乗って流れてきた雨の匂いが、時雨の鼻腔を擽った。

◇ ◇ ◇

梅鼠の屋敷に戻ると、一行は久方ぶりの食事を目一杯堪能し、泥のように眠った。
戦闘続きの一日だったからか、男性陣においては翌日の昼を過ぎても目を覚まさず、時雨と小炎は困ったように顔を見合わせた。

約二日間、眠り続けた彼らは、驚くことに空腹で目を覚ました。
そして、起き抜けに鶏の丸焼きを一人一羽、その腹に収めてみせたのである。

「嘘デショ」

驚きに言葉を失った時雨を膝に抱えながら、小炎は呆れたように深いため息を吐き出した。
成人男性の食欲を侮っていたことは勿論だが、二日も飲み食いをしていなかった彼らの為に用意していた粥が飲み物、果実が氷菓子の如く消費されていくスピードに、眩暈を覚える。

「……っはあ~! 食った食った!!」
「小炎、酒は? 酒は無いのか?」

ちょっとは遠慮というものをしろ、と口を酸っぱくして言ってやりたかった。
だが、二人の功績を思えば今回ばかりは大目に見てやっても良いかもしれない。

「まだおかわりするの?」

ここにきて初めて口を開いた時雨に、東雲と銀が口を揃えて「おう!」と叫ぶ。

「東雲と銀の二人に、台所のご飯全部食べられちゃうね。潮」
『ふふ、そうね。またあとで一緒に炊きましょう』
「うん」

潮まで一緒になって楽しそうに笑うものだから、東雲は思わず毒気を抜かれてしまった。
時雨と初めて出会った日のことを思い出す。
床だとばかり思っていた場所の下から僅かに人の気配を感じて、銃弾を撃ち抜いた。
崩れた瓦礫の先には、手と足を鎖で繋がれた少女。
がりがりにやせ細った身体と、能面のような表情を浮かべて固まっていた姿を今でも鮮明に思い出せる。

「時雨」
「なに~?」

あの時の少女からは想像もつかない、柔らかい笑顔を向けられて、東雲は思わず目を細めた。
最近になって気付いたことだか、彼女の笑顔は姉の梅雨にとてもよく似ている。

「……おかえり」
「おかえり?」

首を傾げた少女の向こう側で銀と小炎が生温かい視線を送ってくるのをひしひしと感じながら、東雲は自分の頭を乱暴に掻きむしった。

「きひ、あのね、しーちゃん。こういう時は『ただいま、あなた』って言ってドンの胸に飛び込むんだヨ」
「そうそう。ほっぺにちゅーも忘れずにな」
「おい、こら。そこの『悪い大人』代表二人。妙なこと刷り込もうとすんな。間に受けたら、どうしてくれんだ」

頭痛に襲われた東雲が視線を逸らした一瞬で、時雨は間合いを詰めてきた。
懐に飛び込んできた殺気のない少女の動きに、僅かばかりに反応が遅れる。

「ただいま?」
「お、おう。おかえり」

もう一度、呟いた言葉に時雨が猫のように目を細める。

「うふ、おかえり。東雲」

言葉の意味を知らないとばかり思っていた東雲は、身体中の熱が沸騰するような錯覚に陥った。
真っ赤になった三十路近い男性の頬を撫でながら、時雨が可愛いと囁く。

「……ありゃあ、近いうちに尻に敷かれるな」
「間違いないネ」

他人事だと言わんばかりに、げらげらと腹を抱えて笑う二人の声を聞いて、東雲は漸く正気を取り戻した。

「た、だいま」
「うん」
「あー時雨さん?」
「?」

真っ直ぐに己を見つめる眼には、もう恐怖の感情は浮かんでいない。
代わりにきらきらとした眩い何かが無数に散りばめられていて、その輝きに眩暈がしそうだった。

「俺たちと居ても、また危ない目に合うかもしれない」
「うん」
「それでも、一緒にいきたいか?」

ドン、と小炎が東雲を咎めるが、そんな彼女の腕を銀が引き留めた。
幼い少女へ問いかける言葉でないことは、東雲自身が一番分かっている。
もうとっくに手放せないほど、東雲の中で時雨は大きな存在へと変わっていた。だからこそ、彼女の覚悟を聞いておきたかったのである。
晴れ渡った冬の朝空を閉じ込めたような色の瞳が、東雲を真っ直ぐ見つめた。

「いきたい。――皆と一緒に」

桜色の唇が紡いだ言葉に、東雲は眉尻を下げて笑った。
拙い想いをギュッと閉じ込めたその言葉に、華奢な身体をこれでもか、と抱きしめる。
胸元の部分が熱い。
少女の張り詰めていた心がゆっくりと溶けて、眦を濡らしている。
嬉しくても涙は出ることを知った彼女を、大人たちは優しく見守った。

繋いだ手を二度と離すまい、と少女と青年は、互いの手をきつく握りしめるのであった。

《完》