第1章『英雄の息子』3話

「何が悲しくて親戚巡りみたいなことをしないといけないんだ……」

 すっかり肩を落とし、意気消沈といった様子のシュラにジェットとラエルは思わず瞬きを落とした。この少年がここまで感情を露わにすることは滅多にない。

「まあ、そう言わずに……。大魔導士アメリア様に会えるなんて、滅多にないことよ? アンタと同じ班になって良かったと思える点の一つね」
「おい。今まさにその件で落ち込んでいる級友に掛ける言葉がそれか?」
「あら、慰めてほしかったの? 残念だけど、そういうのは不得意だから、エルヴィに任せるわ」

 うふ、と茶目っ気たっぷりに笑ったラエルの隣で、シュラの声音から不安が伝播したようにおろおろと慌てふためくエルヴィと視線が交差する。
 思わず片眉を上げて彼女を凝視してしまったが、特に何をするでもなく幼児のような足取りでシュラに近付いてきたかと思うと、そのまま彼のコートを遠慮がちに軽く抓んだ。

「何だよ」
「エル、わるい、ことした? 怒る?」
「……お前に怒っているわけじゃないから、離れろ」
「シュラ、怒る?」
「だから、怒ってないって言っているだろ!」

 途端に常の調子を取り戻したシュラにエルヴィは困惑しながらも、眦を和らげる。
 怒ったかと聞いてきたくせに、実際に怒られたら笑うってどういう神経をしているのだ。シュラはますます彼女のことが分からなくなりそうだった。

「はい。二人ともそこまで。試験期間に変わりはないんだから急がないと。取り敢えず、アメリア様を探そう」

 一人冷静なジェットに救われて、シュラは胸の中に巣食ったもやもやと一緒に深い息を吐き出した。

「この時間だとハーブ園に居ると思うんだが……」

 アメリアが考案した新しい結界魔導石に施された移動魔法のお陰で、あっという間にクラルテからカグラにやってきたシュラたちだったが、ごった返す人の波にあてられたことで、疲労は頂点に達しようとしている。

「支部の裏庭にハーブ園があるんだけど、今日はやけに人が多いな」

 豪華絢爛な建物を見る暇もなく目的の場所を探すシュラたちの前に、白い軍服に浅葱の腕章を付けた人物が手を振りながら駆け寄ってくるのが見えた。

「やあ、待っていたよ。シュラ」
「……こんにちは、レオン叔父上」
「ようこそ、カグラへ。アメリアさんなら、僕が確保しておいたから支部の待合室へ行くといい」

 流石はレオンである。
 アメリアのことだから、自分の仕事を優先して面会を渋ることを読んでいたのだろう。
 助かった、と思った反面、レオンが付いてくるのが気がかりだった。

「あの叔父上? 叔父上は任務に戻られた方が良いのでは?」
「少しくらい平気だとも」

 目が笑っていない。
 これはまたシアンが何かやらかしたのか、それともアメリア個人と話をするのが拙いのか判断が難しかった。
 冷や汗を浮かべながら叔父と相対するシュラの様子を後ろで見守っていたジェットたちであったが、不意に街中へ響いた警報音に顔を強張らせた。

――第二次警戒警報を発令! 繰り返す、第二次警戒警報を発令! 付近の騎士は対応にあたれ!

「……平気じゃなくなったね。悪いがアメリアを呼んできてくれ」
「分かりました」

 シュラは叔父の呼びかけに素早く応えた。
 学友たちにアイコンタクトを取り、エルヴィを任せると、時計塔が目立つ支部へ向かって走り始める。

「君たちには住民の避難誘導を任せる」

 レオンの命令に、ジェットとラエルは「はっ!」と敬礼を返す。
 より一層騒がしさを増したカグラの街を支部の窓からアメリアが退屈そうに見下ろしていた。

「アメリア叔母上!!」
「……その呼び方は止めてと何度言ったら分かるのかしらね」

 ふぅ、と短く息を吐き出したアメリアの傍らに、美しい白蛇が頭をもたげている。

『ご機嫌麗しゅう、シュラ様』
「フュルギヤ様、呑気に挨拶をしている暇はありません。お二人とも、すぐに叔父上の所へ向かってください!」

 シュラが焦った様子で話すのに、一人と一匹は悠然とその場に佇んでいた。

「落ち着きなさいな。騒ぐほどのことじゃないのだから。数日に一度の頻度で、世界樹の根が街の結界石を奪おうと地面を割っているのよ」

 ご覧なさい、とアメリアが示した先には、彼女が言ったようにカラカラに干からびた世界樹の根が割れた地面の中から顔を覗かせている。

「フュル」
『ああ』

 アメリアの声に応えるように、フュルギヤの目が赤く光った。
 しなやかな動きで窓から外へ出たかと思うと、根に向かって紫色の息を吹きかけている。

「ここまで入ってきたのは初めてだけれど、彼女が来ていたからだったのね」

 猫のように細められたアメリアの視線が射抜いていたのはエルヴィの姿だった。

「アレは人にあって人にあらず、旭日様もまた酷なことを……」
「どういう意味ですか?」
「形ばかり人に似せても、中身はそのままってことよ。器に入れただけで、蓋を閉めていないのですもの」

 ふるふる、と面倒くさそうに首を横に振ったアメリアが、何かを考え込むように眉間に皺を寄せる。次いで、至極嫌そうな顔をして、真っ白なローブを目深に被り直す。
アメリアは小さなため息を吐くと、シュラの肩をポンと軽く叩いた。

「あちらに合流した方が良さそうね」

 行きましょうか、と歩き始めた彼女の背を追って、シュラも部屋を後にする。
 階下では、どういうことなのかと説明を求めるレオンと、それを往なすフュルギヤの声が響いていた。

 ◇ ◇ ◇

 レオンの部下たちと一緒に壊れた建物や道の修復を終えると、訓練生たちはカグラ支部の応接室へと案内された。
 いつの間にか姿を消していたアメリアとお菓子を頬張るエルヴィがソファでくつろいでいる姿を見て、シュラが重いため息を吐きだす。

「よし、これで全員揃ったね」

 レオンの低い声が、広い部屋の中によく響いた。
 ごくり、と誰かが生唾を飲み込む音が続いて、ゆっくりとした動作でそれぞれがソファに腰を下ろす。
 ただ一人、レオンだけがアメリアの背後に立ったまま、笑顔でそれを見守っていた。

「少し気になることがあって、調べてみたのだけれど」

 レオンの圧に堪えかねたのか、アメリアがもそもそと小さい声で言葉を紡いだ。

「貴方たちがせっせと働いている間に、分かったことは二つ。一つ、ホロが立証した通り、彼女は自身で魔力を生成し、循環できない。その所為で、世界樹は自分が生成した魔力を彼女に流している状態になっている。もう一つは、開花に必要な魔力量が足りていないということ。このままでは、世界樹周辺の街や村が干上がるのも時間の問題ね」

 さらっと恐ろしい発言を落とすのは、アメリアの悪癖である。
 レオンが天井を仰ぐのと、シュラたち訓練生がローテーブルを睨みつけたのは、ほとんど同時だった。

「この辺りだと最初に被害を受けるのは、ラディカータかブランゴのどちらかじゃないかしら」
「そういう重要なことは、もっと早く教えてくださいといつも言っているはずなのですが?」
「あら。聞かれなかったのだから、答える義理はないんじゃなくって?」

 冷たい睨み合いが続くレオン夫妻に挟まれて、シュラは肩を竦めた。
 昔から何かにつけて小競り合いを起こす叔父夫婦には慣れたものだったが、重大な場面であるというのにも関わらず、常のやり取りを繰り広げる様子に呆れて物も言えない。

「……ラディカータには今、シャム君が里帰りをしているはずだ。ここからなら、そちらの方が近い。君たちには彼に現状の報告を任せたい」

 長い睨み合い――実際にはほんの数分の出来事であったが、シュラたち訓練生にとっては体感時間が一時間にも感じられた――の末、レオンが出した結論に訓練生が一様に頷きを返す。

「出立は明朝。それまでは待機時間とする」

 解散の命令を聞いて、漸く肩の力が抜けるとホッとしたシュラだったが、それは早計だった。先の世界樹襲撃によって家屋に被害を受けた住民たちを受け入れているため、部屋を借りる予定だった宿屋に空き部屋が一つしかないと告げられてしまったのである。

「仕方ない。俺とジェットは騎士団に戻って、空いている仮眠室でも探すか」
「そうだな。女子が部屋を使った方が良いだろう」

 男子が納得している横で、不安そうに顔を曇らせたのは意外にもラエルである。

「そうは言っても、もしエルヴィが暴走でも起こしたら、どうしたらいいわけ。シュラが居ないと死んだ魚の目みたいに瞳が濁って不気味なんだよ?」
「だからって、見た目は年頃の女性と一緒の部屋で寝るわけには……」
「一応、どこでも寝られるように訓練受けているでしょ。部屋にソファあるみたいだし、皆で雑魚寝しようよ」

 こういう押しの強いときの女子に逆らうな、とは経験則であった。
 今は寮で生活しているため、顔を合わせる機会はぐんと減ったが、気の強い妹たちの顔が浮かんできて、シュラは片手で瞼を押さえる。

「分かった。荷物を置いてくるから、先に食堂で待っていてくれ」
「了解。さ、エルヴィ。ご飯食べに行こう」

 先程は不気味だ何だと喚いていた相手に対して何の衒いもなく手を差し伸べたラエルに、シュラは思わず苦虫を噛み潰したような表情になる。
 隣で同じように困惑しているジェットと共に、渡された鍵を睨みつけて、階段を上がるのだった。
 
 食事を終えて、宿屋に戻る頃になると辺りはすっかり夜に覆われていた。
 夕闇の薄靄に、エルヴィの金色の髪がキラキラと反射して眩しい。

「カーテン、閉めるぞ」

 興味津々で出窓に腰掛け、外を眺めていた彼女にそう呼びかけると、常は爛々と輝いている瞳が髪と同じ色の睫毛に覆われている。

「エルヴィ?」

 どうかしたのか、と思わず彼女の隣に腰掛ければ、華奢な身体がゆっくりと傾き始める。
 柔らかな髪がインナー越しに触れたのと同時に伝わってきた少しだけ高い体温で、少女が眠っていることに気が付いた。

「あらあら、きっと疲れちゃったのね」
「そうみたいだな」
「運ぶの、手伝おうか」

 シュラとエルヴィが動かなくなったのを見て、近くにやって来たジェットとラエルに、緩く首を振る。

「カーテンも閉めたし、ここで寝るよ。悪いが、毛布を取ってくれるか?」
「うっかり、落ちてくれるなよ?」
「分かっているよ」

 くすくすと冗談を言いながら毛布を投げて寄越したジェットに、シュラも笑った。
 肩から伝わる振動で起こしてしまわないかと、一瞬だけひやりとしたが、規則正しい寝息に知れず眦が弧を描く。

「おやすみ、エルヴィ」

 穏やかな眠気に誘われて、シュラはゆっくりと瞼を閉じるのであった。