「お客さん? 食べるのは構わないけど、対価はしっかり払ってちょうだいね」
店主の女性が、怪訝そうに顔を顰めながら言った。
「おっと、これは失礼」
ハカリは慌てて、腰元を引っ掻くように革袋から淡い色合いの水晶――誰が見てもクズ石と分かる代物だった――を一つ取り出した。
「ちょっと、それはいくら何でも、」
ヴェレが言葉を詰まらせるも、ハカリは片目を瞑ってウィンクを投げて寄越した。
「大丈夫だよ、レディ。見ていて」
私は止めましたからね、と睨みながら肩を竦めるも、ハカリの表情は依然として笑顔を崩さない。
そうして、ハカリは悪びれる素振りも見せずに、店主へと小さな水晶を差し出した。
「これで、足りるかな?」
店主はしばらく固まっていたが、すぐににっこりと笑い、手を振った。
「あら、若夫婦さんったら気前が良いのね。こんなに綺麗な石を貰ったら、天秤がうちに傾いちゃうわ」
「じゃあ、もう少しだけ頂いても?」
「ええ、ええ! 勿論ですとも! ご一緒にお茶もいかが?」
予想外の展開に、ヴェレは呆気に取られた。
呆然としたまま、店主の後ろ姿とハカリを交互に見比べる。
「……なるほど。あれが《天秤座》式の買い物、というわけですね?」
「変わっているだろう? 物の価値は天秤次第。贈る側の『気持ち』で重さを決めるからね」
「他ではあまり見かけないやり取りですけど、個人的にはとても気に入りました」
テーブルに並んだお菓子を見つめながら、ヴェレは何気なく大通りの方へと視線を向けた。
周囲の賑わいと陽気な商人たちの話し声が、何とも心地良い。
ハカリも、時折ふうっと軽い息を漏らしては、ヴェレの隣でお茶を啜る。
こんな風に穏やかな朝を過ごすのはいつ振りだろうか。
ヴェレが残り少なくなったお茶を口につけた時だ――。
「ちょっと! そこの優男!! もしかしてハカリじゃない!?」
鮮やかな紅のジャケットを羽織った女性が、こちらに向かって手を振っていた。
ハカリが顔を上げると、彼女は馴れ馴れしく駆け寄ってくる。
「やっぱり、ハカリじゃないの! あなたをまたカイザールで見かける日が来るなんてね。――あら、こちらはどなた?」
ヴェレは反射的に姿勢を正し、やや警戒の色を滲ませた。
値踏みするように頭から爪先までをじろじろと眺められて、正直あまり気分はよろしくない。
「彼女はヴェレ。ただの旅仲間だよ。訳あってパーティに参加させてもらっているんだ」
「……ふ~ん?」
女はにやにやと笑ってヴェレとハカリを見比べると、わざとらしく目を細めて言った。
「旅仲間、ねえ。どう見ても、恋人旅行にしか見えないけど?」
「そ、それは誤解です。ねえ、ハカリ?」
「僕の方も、ついにこの日が来たかって思っているところさ」
ヴェレが戸惑いながらハカリへ視線を遣れば、彼は困ったように眉尻を下げた。
「否定してください!」
「そうしたいのは山々なんだけど、彼女はもう行ってしまったからねえ」
「え!? あ、ちょっと! 待ってください! 私とハカリは本当に何も……!」
「レディ? そんなに全力で拒否されると、流石に僕も傷付くのだけれど、」
よよよ、と芝居掛かった仕草で目元の涙を拭う振りをするハカリの頭をひっ叩くと、ヴェレは未だに魔導書の巣窟から姿を見せないシトラスに痺れを切らした。
「シトラス! いい加減になさい! もう行きますよ!!」
「え、え~~!? もうちょっと! もうちょっとだけ、選ばせてよぉ!!」
「…………二冊までと言ったのに、五冊も持っている子にはお仕置きが必要みたいですね?」
柔らかい表情を浮かべているが、ヴェレの目は笑っていない。
それどころか、旅の道中で嫌と言うほどよく見た――獲物を狩るときと同じ爛々とした光を宿す瞳に、シトラスは思わず両手を上げて降参の意を示した。
「これと、これにする!」
喜び勇んで店主の元へと駆け出した小さな後ろ姿を見送って、先ほど初めて見た《天秤座》の支払い方法がいつもと違うことを思い出す。
「……ハカリ」
「はいはい。全く、レディは人遣いが荒いなぁ」
ちら、と目配せすれば、ハカリは肩を竦めながらシトラスの跡を追っていった。
彼の姿も同じように見送ったヴェレだったが、その胸中は穏やかではなかった。
『どう見ても、恋人旅行にしか見えないけど?』
他人から見た自分とハカリの関係性はそんな風に見えるものなのだろうか。
首筋がちりちりと熱を帯びて、落ち着かない。
肯定も、否定もしなかったハカリの眼差しは、何故か眩しいものでも見るかのようにこちらに向けられていて。
(…………それこそ、まるで、恋人でも見つめているかのようだった)
――ドッ。
心臓が、やけに大きく脈打つ。
思考が良くない方へと走り出しそうになったところで、店内から陽気な笑い声が響き渡ってきた。
ひらひら、とこちらに手を振っているシトラスに、同じように手を振り返す。
星告げの鐘が、六つ星――正午を告げる鐘だ――の到来を声高に宣言する。
その甲高い音色にヴェレはそっと目を細めるのだった。
◇ ◇ ◇
鼻を衝く薬品の匂いに包まれたベッドで、クラレットは穏やかな寝息を立てていた。
そっと、彼女の身体に触れないよう気をつけながら、空いているスペースに腰を下ろしたヴェレが、傍目に見ても分かるほど大きなため息を漏らす。
「全く、人騒がせなところは昔からちっとも変わりませんね……」
本人は嫌味を言っているつもりなのだろうが、笑顔を浮かべたまま吐き出されたそれは心配の裏返しにしか聞こえなかった。
「彼女の容体は?」
「お連れさんが博識だったことに感謝したまえよ。聞けば《乙女座》の医師だって言うじゃないか」
「へ、へえ。それで、当の本人はどこへ?」
「疲れたから休むと言って、酒を片手に二階へ行ったが」
医師からもたらされた情報に、ハカリはちらとヴェレに視線を送った。
ハカリたちの会話を聞いていたらしい彼女もまた、眉間に皺を刻んでいる。
「……ハカリ」
「心得ているとも」
今や買ってもらったばかりの魔導書に夢中になっているシトラスは戦力外だ。
ここで戦闘になるのも避けたい。
そっと扉へと手をかけたハカリを嘲笑うかのように、その向こうから「くくく」と不気味な笑い声が響いた。
「心配せずとも、お主らに危害は加えんよ」
赤ら顔で姿を見せたフラーに、ハカリとヴェレはぎょっとした。
酒瓶を持っている右手とは反対の手で、女性の首根っこを引っ掴んでいたのだ。
「ど、どうしたんです、その人!」
思わずクラレットが寝ているのも忘れて大声を上げれば、それを嗜めるかのようにフラーが「静かにせい」と片眉を持ち上げる。
「何ぞ屋根の上で聞き耳を立てておったから、少し脅かしてやったら気絶しよったんじゃ。知り合いか?」
「ハカリ、この人、」
「……ああ。昼間会った、僕の友人だ」
はあ、と今度はハカリが大きなため息を吐き出す番だった。
「…………まずは、忍び込んだことに謝罪を」
「聞き届けよう」
ハカリが両手の掌を上に向けて、女性に差し出す。
すると、女性は渋々と言った表情で、彼の手に自身の両手を叩きつけた。
《天秤座》独特の仕草のようで、見ていた医師も苦笑いしている。
「痛っ!? 謝罪する人間の態度じゃないだろ、それ!」
「ごめんなさいねぇ。昼間は彼女の手前、立ち去ったけれど、やっぱりあなたの顔を見るといい気分がしなくって~~」
「…………っ」
子どもみたいに唇を尖らせて黙り込んでしまったハカリの姿と、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向く女性に、ヴェレたちは興味津々だった。
どういう関係なのか、と口火を切ろうとしたシトラスより先にその言葉を紡いだのは、意外にもヴェレである。
「昼間の方、ですよね。お知り合いだったのですか?」
「……幼馴染だよ。今は、兄さんの部下をしているみたいだけど、」
「ええ。誰かさんが居なくなった後も、この街を守るセラス様の部下をしています」
「いちいち棘を感じさせる物言いはよしてくれないか? レディたちに誤解を生んでしまうだろう」
「誤解も何も、事実しか話していないわよ」
「ノク!!」
それは悲鳴にも聞こえるような叫びだった。
じーんと耳に痛みを残すほどの大声に、シトラスは思わずヴェレの服の裾を掴む。
少年が怯えたようにこちらを見つめるのを視界の端に収めながら、ハカリは女性――ノクのことを鋭く睨んだ。
「……今のは、私が悪かったわよ。でも、あなたが戻ってきたと知ったタイミングでリュカ様の神殿が荒らされたって聞いたから、」
「何だって!?」
ハカリは一瞬、言葉を失った。
リュカの神殿――それは、裁定者としての覚悟を問われる場所。
自身が逃げていた問題とついに向き合わなければならないのか、と頸を嫌な汗が伝っていく。
「荒らされたって、一体どういうことなんだ?」
「本気で言っているの? あなた以外に、誰があの場所を、」
ノクの言葉に、ハカリは暫く黙り込んだ。
心当たりがあるだけに、どう伝えればノクを納得させられるのかが分からなかった。
「ハカリ」
それまで黙って二人のやり取りを見守っていたヴェレの声が、静かに部屋の中を満たしていった。
「――行くべきです」
その言葉に、ハカリはふっと息をついた。
「そうだね」
「あら、てっきり嫌がるとばかり思っていたけれど。容疑者は現場に戻りたがるっていう心理は本当なのね」
会話が進むうちに、彼の中で何かが決まりつつあった。
時間を無駄にするわけにはいかない。
「ただし、君も一緒だ。ノク」
ノクがにやりと笑って言う。
「もちろん。あなた一人じゃ、怖くて近付けもしないでしょうから」
ハカリは少しだけ顔を顰めたが、すぐに表情を戻して、頷いた。
「ああ。頼むよ。何せ、僕はリュカ兄さんに恨まれているだろうからね」
