三日月に蛇は微笑んだ

「それで? 私は一体どこに連れて行かれるのかしら?」

起き抜けに馬車へ放り込まれたかと思うと見知った顔が眼前に二つ。
アメリアは、はあと不快感と気怠さを身体から追いやるように深い溜め息を吐き出した。

「すみません、アメリアさん。急を要する案件でしたので、やむを得ず……」

苦笑を浮かべる桔梗に、アメリアは肩を竦めた。

「魔力制御装置を付けられた私に手伝いを求めるほど、聖騎士団は人手不足なのねぇ」
「まあ、貴女以上の適任が居なかったと言いますか……」
「?」

アメリアが首を傾げるのと同時に馬車が走り出す。
何の前触れもなく走り出した所為で、座席に後頭部を強打しそうになった。

「ちょっと、ウェルテクス。出すなら出すと言ってちょうだい! 危ないでしょう!」

馭者席に座っているはずのレオンに向けてアメリアが非難の声を上げるが、レオンには聞こえなかったのか、馬の荒い息が返ってくるだけだ。

「……まあ、今の私は騎士団の監視下にある罪人ですから、貴方たちの頼みを断ることのできる身分じゃないもの。大人しく従うわ」

寝癖のついた髪を手櫛で直しながら、アメリアは窓から見える景色を横目で眺めた。
そんな彼女の様子を桔梗は曖昧な表情で見つめることしか出来ない。
助けを求めるように隣に座っている上官を窺えば、ひやりとした空気の中で、平然と寝息を奏でる彼に重い溜め息が漏れ出るのであった。

クラルテから馬車に揺られること三時間。
一行が辿り着いたのは、世界樹の麓の街『タブ』であった。

「実はアメリアさんが各都市の結界魔導石を壊した影響で世界樹の魔力循環に異常をきたしているそうなんです。この街に瘴気――循環されて綺麗になるはずだった悪い魔力が充満しているみたいで……」
「なるほど、そういうことね」
「お願いできますか?」

桔梗の言に、アメリアは暫し考え込むように顎に手を添えた。
アメリアの身柄は現在、聖騎士団預かりとなっている。
本来であれば危険な魔法を扱った犯罪者は、元老院での裁判を経て、国際魔法局が管理している牢獄に入れられ、そこで一生を終えることになる。
アメリアも元老院に送られるはずだったのだが、それに待ったをかけた者が居た。

――この場に居る三人の騎士たちである。

アメリアにとっては憎むべき対象だった聖騎士団が今や命の恩人と言っても過言ではなかった。

「今の魔力で手伝える範囲で構わないなら」
「それについては、その……」
「今回だけ、特別に魔力制御装置を外す許可を得ました」

桔梗の言葉を遮ったのは、これまで無口を貫いていたレオンだった。
その表情はいつになく険しい。
常は彼の兄であるシアンの方が強面だが、今日はレオンの眉間に刻まれた皺の方がシアンのそれよりも深く溝を作っているような気がする。

「ふうん?」
「兄さんと桔梗は西側を、僕たちは東側を担当します。一時間後にここへ集合しましょう」

アメリアの視線を無視して、レオンは桔梗とシアンにそう指示を出すや否や我先に、と歩き出してしまった。

「大丈夫ですかね、レオン」
「何がだ?」
「……シアンのそういうところが嫌いです」
「はあ? だから、何がだよ」
「もう良いです。ほら、行きますよ。さっさと終わらせて二人と合流しましょう」

桔梗は呆れたように溜め息を吐いて、シアンより先に歩き始めてしまう。

「だから、何だって聞いているだろ! おい、桔梗!!」

赤い軍服の上に纏う白いマントが風に煽られる。
その隙間から覗いた右腕には先日宿ったばかりの白い龍が顔を見せていた。

「さて、と旭日様。お仕事の時間ですよ」
『……分かった』

刺青から現れた旭日はやや不機嫌そうな声で桔梗に応えた。

「先日の一件で、世界樹の幹に亀裂ができているみたいなんです。見える範囲で構いませんので、塞いでもらえますか?」
『ああ』

旭日はそう言って、桔梗とシアンの前に出ると右腕を世界樹の方にかかげた。
白い光が彼の手中に集まったかと思うと、無数の光弾となって世界樹に降り注ぐ。

「まさかとは思うが攻撃魔法を使ったんじゃないだろうな」
『馬鹿者。世界樹は我と華月の兄弟のようなものだ。傷付けるわけがないだろ』
「はあ? 自爆しようとしていた奴がいうセリフか、それ」

シアンがムッと唇を尖らせながら、景色の向こうが透けて見える旭日に睨みを利かせる。

「言われてみれば、そうですね」

クスクスとシアンに同調して笑い声を漏らす桔梗に、旭日は一瞬だけ天を仰ぐと再び世界樹に手をかざした。

『……反復(リフレクタ)』

旭日の低い声が、辺りに木霊した。
先程、光弾で調べた場所に向かって今度は黄金の光が飛んでいった。
幹に走っていた亀裂が見る間に修復されていく。
この調子なら後は街の結界をアメリアに張り直して貰うだけで済むはずだ。

「便利だな。お前ら二人だけで良かったんじゃねえのか?」
「それだとアメリアさんの魔力制御装置を外す許可が下りないから、シアンに同行を頼んだのでしょう?」
「あー……何だっけ? 元老院のジジイ共に三人以上の騎士を同行させろって言われたんだったか?」

シアンが小首を傾げるのに、桔梗は「そうですよ」と呆れたように返事を返す。

「それに、私は大規模な結界魔法を扱えません。桜花にも頼むことを考えましたが、あの子が扱えるのは防御結界といって、また種類が違うのだそうです」

そんな二人のやり取りを遠巻きに見ていた旭日はと言えば、用は済んだとばかりに、早々に刺青の中に引っ込んでしまった。

「あれ? 旭日様?」
『我は疲れた。慣れぬ身体で無茶をさせおって……。暫く起こすなよ』

厚顔無恥とは旭日のために生まれた言葉ではないのか、と桔梗は苦笑を噛み殺すと、シアンに向き直った。

「こちらは終わりましたし、レオンたちとの合流場所へ向かいますか?」
「そうだな。最近、身体を動かすような任務は入ってないし、向かいがてら近場の生態調査でもしておくか」
「も〜。また余計なことを思いつく〜」

シアンが嬉々とした様子で歩き始めた背中を睨みつけながら、桔梗はハッと息を呑んだ。

「そう言えば、今朝ユタさんに渡された調査報告書って、タブの街だったような……」

暴走した魔物の出現が相次いでいるから気をつけてと耳元でユタの声が反響を繰り返す。

「まあ、あの二人なら大丈夫よね」

すっかり小さくなり始めたシアンを追って、桔梗は地面を強く蹴った。

結論から言うと、桔梗の心配は的中した。
それというのも瘴気の所為で魔物が活性化しており、二人の行く手を阻んでいたのだ。

「ふざけないで!! 何なのよ、この魔物は!! こんな種類見たことがないわ!!」
「それは僕のセリフです!! 魔物が活性化しているなんて報告、少なくともカグラには届いていません!!」
「きゃ……!」

走ることに慣れていないアメリアが木の根に足を取られて、勢い良く転倒した。

「アメリアさん!」

魔物はそんなアメリアを見逃さなかった。
レオンが背負っていた大剣を抜刀する。
影のように捉えどころのない魔物を一閃。
断末魔を上げて消えた魔物にほっと息を吐き出したのも束の間、次の魔物がすぐ傍まで迫って来ていた。

「立てますか?」
「ええ――痛っ」

転んだ拍子に足首を痛めたのか、アメリアの足は赤く変色している。

「失礼します!」

一言断ってから、レオンはアメリアの華奢な身体を抱き上げた。
低い姿勢になったかと思うと、そのまま風のような速さで走り始める。

「このままの状態でも結界魔法を張れますよね?」
「……出来ないことはないけれど」
「なら、お願いします。桔梗たちが上手くやってくれたみたいなので」
「分かったわ」

レオンの視線が世界樹に向けられている。
その視線を辿って、瘴気が噴出していた穴が幹から消えていることにアメリアも気が付いた。
本来の予定では世界樹の中心で結界を張り、街に瘴気が漏れないようにすることだったが、これだけの魔物が居るのであれば街にのみ結界を張った方が効率は良い。
レオンの考えに、アメリアは感心するように頷いて、両手を組んだ。

「戒めの楔、十一の雷をもって邪を退けよ――《聖なる雷槍(ホーリーレイン)》」

アメリアの声に反応した魔力が無数の稲妻へと変化した。
空に円を描いて、かつて結界魔導石があった場所へ次々と流星のように落ちていく。

「……これで、結界陣は張れたはずだけれど、アレはどうするつもり?」

後を追ってくる魔物たちを横目で睨んだアメリアの顔が歪む。

「大丈夫です」
「え?」

レオンの額には大粒の汗が浮かんでいた。
けれど、その目に宿る光が揺らぐことは無い。

「兄さん!!!!」

普段は犬猿の仲である兄を、レオンは呼んだ。
彼ならば必ず自分の声に反応してくれると、知っているからこその呼びかけだった。

「おう!!」

待っていました、と言わんばかりに飛び出したシアンの顔はこれ以上ないほど嬉しそうに輝いている。

「空気と舞え――《重力因子(グラビティ・チャイルド)》!」

シアンの背後に浮かんだ大量の魔法陣から、フードを目深に被った影の子供たちが笑い声を上げて魔物に突撃していく。
子供が触れた魔物が次々に地面へとめり込んだ。

「オッラァ!!!」

銃剣の剣背で打ち上げるように身動きの取れなくなった魔物たちを吹き飛ばし始めたシアンを追って、桔梗が樹上から姿を現す。

「あ、ちょっと! もし変わった魔物を見つけたら経過観察用に一体は捕獲してこいって言われたじゃありませんか!! 全部倒さないでくださいよ!!」

そう言って己の刀を抜いた。

「泉の姫よ、彼の者を捕らえろ――《舞霜(ましも)》!!」

桔梗が飛び降りざまに一閃した剣跡から、顔の下半分を布で覆った少女が姿を見せる。
少女――舞霜の手には波のようにさざめく布が持たれていた。

『泡(あぶく)の舞』

その場で軽く回った舞霜の動きに反応して、布が唸る。
激しい川の流れのように布が揺れ、抵抗する魔物に飛びついた。
布はやがて水の玉に変化すると、舞霜の手元に収まった。
それを彼女から受け取った桔梗が、汗だくになったレオンと、ふうと一息吐き出したアメリアを振り返った。

「二人とも、大丈夫?」
「何とかね。あっ、でもアメリアさんが怪我をしてしまって……っ!!」

レオンはここにきて漸く自分がアメリアと身体を密着させている事実に気が付いて焦った。

「う、うわ!? す、すみません! す、すぐ下ろしますので!!」

いくら郊外に近い場所だとは言え、いつ人が来るかも分からない。
妙齢の女性に対して失礼な態度を取ってしまった、とレオンが猛省している横で、アメリアは桔梗と目を合わせて笑った。

「ふ、ふふ。さっきまでの真剣な顔が台無しじゃない」
「ウェルテクス家の人たちって、黙っていたら顔面偏差値高いですもんね」
「あら、珍しく貴女と意見が一致したわ」

くすくすと声を立てて笑う女性陣にレオンは居心地悪そうに肩を竦めた。
その後ろではシアンが未だ魔物と戦っている音が響いている。

「大佐〜〜! もうその辺にして、帰りましょうよ〜!」
「ああ! 少し待て! 最後の一匹だから!!」
「げっ……」

あんなにたくさん居た魔物の群れを、残り一体にまで追い詰めたらしい。
流石泣く子も黙る第一小隊の隊長殿、と桔梗が口元を引き攣らせる。
相変わらずな兄と幼馴染の様子を見て、レオンが小さく笑い声を漏らすと、隣に座るアメリアもそっと眦を和らげた。

カグラの再建活動が始まってからというもの、レオンは妙に落ち着かない様子で仮設本部に設けられた執務室の中を行ったり来たりしていた。
銀青とアメリアの所為ですっかりと以前の景観を失ったカグラではあるが、新たに温泉施設を増やすきっかけになったと住民たちは騎士団の心配も他所に張り切っている。

「……隊長。少しは落ち着いてください」

副隊長の声もレオンには届かない。
彼が何故こんなにもヤキモキしているのか、と言うと本日朝からアメリアの再審が行われているからだ。

「だーもうっ! 見ているこっちが鬱陶しい! おい、誰か! ウェルテクス隊長を本部まで送り届けてこい!!」

先に痺れを切らしたのは、普段は温厚なことで知られている副隊長の方だった。
ぐあ、と獅子の如き大きな口を開けて彼が叫べば、既に準備万端の隊員二人がレオンの片手を一人ずつ持ち上げて、行進を開始する。

「え、ちょ、何を!?」
「さ、隊長、クラルテまでひとっ飛びですからねぇ」
「ひとっ飛び? 転送用の水晶はまだ届いていないはずだろう? 一体、何を使って移動させるつもりなんだい――ってあれ、君たちは」

本部を出て少し歩くと、そこには赤い騎士服に身を包んだシャムと桜花が居た。

「お久しぶりです、レオン様。本日は桔梗様の命により、お迎えに上がりました」
「よろしくお願いします」

ぺこり、と礼儀正しく一礼した少年少女に「あ、どうも」と普段の様子からは考えもつかないような間抜けな声を発したレオンに、桜花がシャムと視線を合わせて苦笑する。

「ご心配なさらずともアメリア様の再審はまだ終わっていません。今頃、桔梗様が証人尋問に召喚されているはずですから、判決が下るまでにはクラルテに到着しますよ」

さ、どうぞ。
そう言って本来の姿へと戻った桜色の少女に、レオンは瞬きを繰り返す。
先日の一件があってから、桔梗は何かとレオンのことを気に掛けてくれていた。
本来であれば、アメリアの力を借りることに難色を示していたウェルテクス兄弟に桔梗は「目的は物騒ではありましたが、アメリアさんは研鑽を重ね、魔法を極めた――魔導士になった人です。彼女の在り方を『悪』だと決めつけるにはまだ早いんじゃないでしょうか」と言い切った。
確かに目的を果たしたと知るや否や、アメリアは抵抗をしなくなった。
それどころか、こちらが質問をすれば、ある程度は応じるようになったと審問官から報告も上がっている。

「……」
「レオンさんは、アメリアさんのことが大切なんですね」

シャムの言葉に、レオンは危うく桜花の背から転び落ちそうになった。
無垢な少年の瞳が真っ直ぐに己を捉える。

「た、大切、というか、その、不器用なところが、自分と重なってしまうんだ」
「不器用? レオンさんが?」
「昔から器用な誰かさんが身近に居た所為で、苦労したよ」

それが誰とは言わないが、シャムには伝わったらしい。
恐らくは青い騎士服に身を包む人物を想像したのだろう。まだ幼さを残す眦が優しく和らいだ。

「悪い人ではない、と思う。やり方を間違えてしまっただけで」
「はい」
「だから、放っておけないんだ」

傍に居て、彼女の支えになりたい。
もそもそ、と呟いたレオンに、シャムは八重歯を見せて笑った。

「分かります。僕も桜花のことが大切だから。傷付いた桜花を一人にしたくなくて、桔梗さんを呼んだ。結果的にはもっと苦しめることになってしまったかもしれないけれど、一人で傷付く桜花を見るくらいなら、その痛みを僕にも背負わせてほしかった」

とても十五歳には見えない、大人びた発言に、レオンの中で何かがストンと落ちた。

――傷付く姿を見たくない。

旭日に身も心も傷付けられたアメリアを見たとき、腹の底が怒りでカッと熱くなった。
気が付けば飛び出していたのは、そういう理由だったのか、と自分のことなのに、どこか他人事のように分析して、レオンは眼鏡をぐい、と上に持ち上げた。

「ありがとう、シャムくん。君のおかげで答えが出たよ」
「それは、良かった。それじゃあ、そろそろ出発しますから、しっかり掴まっていてくださいね! 桜花!」
『ええ!! 任せて!!』

桜色に輝く美しき翼がつむじ風を巻き起こす。
一瞬の跳躍で、見事空に舞い上がった桜花は、気流に乗ってクラルテを目指した。

今か、今かと判決を待ちわびているのは、レオンだけではない。
先程、証人尋問を終えた桔梗も、傍聴席で逸る気持ちを押さえながら、元老院の特別議長サダムが結論を出すのを待っていた。
今回の再審では、アメリアの素性から罪状の確認を行い、騎士団からの出動要請にきちんと従っていたか、監視中に問題行動を起こさなかったか、が重要視されていた。
前回は「要厳重監視」が言い渡され、騎士団が指定した建物に軟禁されることになったのだが、果たして今回はどのような判決を下すつもりなのだろうか。

「……う、桔梗ってば」
「うえ、はい!? なに!」
「しっ! 声が大きいよ」
「ご、ごめんなさい、ってレオン? 随分と遅かったじゃない。朝一番に桜花たちを迎えに送ったでしょう?」
「……さっきまで気が付かなくって」

あはは、と乾いた笑い声を漏らす幼馴染に、桔梗は、ハアと溜め息を零す。

「それで? 判決は?」
「まだよ。というか、判決が出ていたら、一も二もなく貴方に通信を入れるに決まっているでしょう?」
「あ、それもそうか。あはは」
「しっ。サダム様が出てきたわ」

他の元老院の議員たちと判決を相談する為、別室に籠っていたサダムが議長席に戻ってきた。
それまで、ざわざわと騒がしかった傍聴席が、彼の登場により夜の波のような静けさを取り戻す。

「判決を言い渡す。被告、アメリア・ヴァルツを軽監視、ならびに騎士団付き魔導士に任命する」

サダムの低いテノールがまるで神のお告げか何かのように、桔梗とレオンの鼓膜を震わせた。

「あ、ありがとうございます!!!」

思わず、傍聴席から叫んだレオンを、被告人席に居たアメリアがギョッとした顔で見つめた。

「な、ど、どうして、ウェルテクスがここに居るのよっ!」
「傍聴人と被告人は静かにしなさい。これにて閉廷致します。桔梗少佐には別室にて書類の作成を手伝って頂きたい」
「しょ、承知いたしました」

喜びのあまり、声が裏返ってしまうが、そんなことはどうでも良い。
要厳重監視から軽監視に変更。その上、騎士団付き魔導士となれば、アメリアの身柄は殆ど自由と言っても過言ではない。
自分のことのように喜ぶレオンに、桔梗は苦笑を零すと労いの意味を込めて彼の肩を叩いた。そして、サダムの後を追うべく、傍聴席を離れていった。

「今日はカグラで缶詰状態だと桔梗に聞いていたのに……」

要厳重監視の身分から解放されたアメリアはと言えば、手錠を外されながら何事かをブツブツと呟いている。

「アメリアさん? 何か言いました?」
「いいえ、何でも。それより、私はこれからどうなるのかしら? 監視されることに代わりがないのであれば、監視役は顔見知りにしてもらえると助かるのだけれど」
「と、言いますと?」
「元老院が派遣したお堅い騎士より、貴方の間抜け面を眺めている方がマシってことよ」

お馬鹿さん。
つん、と指先で眉間を押されたかと思うと、アメリアの笑い声が耳元に吹き込まれる。

「なぁに? 責任は取ってくれるんじゃなかったの?」
「せ、責任!?」
「あら、忘れたなんて言わせないわよ」
「な、何の話ですか! 全く身に覚えがありません!!」

慌てるレオンに、アメリアが小首を傾げた。

「本当に覚えていないの?」
「だ、だから、何のことですかと先程から……」
「クラルテに戻ってきたときに、貴方が言ったのでしょう?」
「え?」
「『もしも、再審で軽監視になれば、カグラに戻って来てもらえませんか? 貴女は元々、カグラ支部に協力してくれていた魔導士です。貴女の素性を把握できなかった僕にも落ち度はありますし、何より、身体に傷が残った責任を取らせてください』と、貴方そう言ったじゃないの」

それは、世界樹の結界魔法陣や魔物調査がひと段落した後のことだった。
報告書と捕まえた魔物について調べるため桔梗とシアンの二人と別れたレオンとアメリアは、アメリアの軟禁場所である聖騎士団が管理している塔に向かっていた。
確かにその時、話の流れでそんなことを言った気がする。
レオンは今この場に穴があったら入りたいような気持ちでアメリアの紫色の眼を見つめた。
幼子のように無邪気な光を帯びた視線が、心底楽しそうにレオンを見つめている。

「……からかわないでください」
「ふふ、相変わらず可愛くないわね」
「貴女に言われたくはありません」
「まあ、どういう意味かしら?」

心外だわ、と言ったアメリアの声音からは、まるで怒気を感じない。
女性の扱いに慣れていないレオンは、そんな彼女の行動に若干の恐怖と焦りを覚えた。

「それで? わざわざそんなことを言うってことは、赴任先はカグラを希望するということですか?」
「あら、鈍いのね」
「鈍い、とは?」
「……言わなければ、分からないの??」

スッと猫のように細められた眼が妖しく光る。
レオンは僅かに眉根を寄せると、アメリアが発した言葉を順に頭の中で整理した。
そして、辿り着いた答えに「そんな、まさか」と唇を噛み締める。

「……えっと、」
「分かった?」
「いや、その、」
「私から言っても良いけれど、こういうのは殿方から聞く方がロマンがあるでしょう? それに、本当は言うつもりなんてなかったのに、貴方が今日ここに来るのがいけないのよ」

伏せられた睫毛が風に吹かれてふるり、と揺れた。
今にも泣きだしてしまうのではないかと思えるほど、頼りない声に、レオンは自身の髪を乱雑にかき回す。

「…………[[rb:僕の所 > カグラ]]に、来て頂けませんか?」

少女を彷彿とさせる可愛らしい笑みを浮かべたアメリアに、レオンの心臓が痛いくらいに跳ねる。

「まあ、貴方にしては及第点かしらね」

アメリアはそう言って笑うと、レオンの胸板にそっと額を預けた。
伝わってくる心音はあり得ないくらいに早くて、それが少しだけ可笑しい。

「――レオン」
「ッ!?」

初めて紡いだ彼の名前は、ひどく甘美で、それでいて優しい音をアメリアに教えてくれた。

「ありがとう」

何が、とは言えない。
けれど、この青年には感謝の意を伝えておきたかった。
どこかスッキリとした表情になったアメリアとは裏腹に、レオンはあちこちに視線を右往左往させた。
アメリアの体温がじわり、と伝染するかのようにレオンの肌が赤く熱を帯びる。
どうすれば良いのか分からず、彼女に伸ばしかけた腕を宙に彷徨わせていると、先程サダムに連れられていったはずの桔梗がドアの隙間からこちらを覗いているのが見えた。
助けてくれ、と音を発さずに唇の動きだけで伝えれば、桔梗の目がにやりと意地の悪い形に細められる。

「が・ん・ば・れ!」

小声で告げられた言葉の意味が分からず、レオンは更に焦った。
この状況で、何をどう頑張れというのだ。
ぐるぐると目を回すレオンに、桔梗は片手を上げて去っていく。
はあ、と深い溜め息を吐き出すとレオンは意を決して、アメリアの肩に触れた。
そっと、距離を空け、アメリアの目と視線を合わせる。

「あの」
「何かしら」
「……やり直させてもらっても良いですか?」
「何を?」
「先程のやり取りを」
「?」

アメリアは訳が分からないと言った様子で小首を傾げた。
それから、数秒の間に渡り瞬きを繰り返すと面倒くさそうな顔をして「どうぞ?」と不満げな声を発する。
アメリアと視線を合わせたまま、レオンがその場に片膝をつく。
華奢な指先を壊さないよう、慎重に彼女の左手を右手で持ち上げると、まだ自覚したばかりの気持ちを確かめるために、空いている手で己の胸に問いかけた。
旭日に傷つけられたアメリアの姿を見たとき、どうしようもない怒りがレオンを支配した。
最初は、自分の無力さ故に人を守れなかったことに対する怒りだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
シャムとの会話、そして彼女に触れて、それは確信へと変わった。

「もう二度と、貴女が傷付く姿を見たくないんです」
「ウェルテクス?」

普段の呼び方に戻った彼女に、レオンは若干「惜しいな」と思った。
けれど、今は声が震えてしまう前に、伝えたいことを伝えなければならない。
ぐっと頬の裏側を噛んで、自分を律すると、アメリアの手を握る手に力を込めた。

「僕の妻になってください」

アメリアの、淡い色合いの二つの宝石が、零れ落ちんばかりに見開かれる。

「だめ、ですか?」

突然のプロポーズに、どこから突っ込めば良いのか分からず、アメリアは瞬きを繰り返した。
そして、そう言えばこの子はまだ十代だった、と気付いて、頭が痛くなる。

「もっと、相応しい相手がいるでしょうに……」
「結婚する相手くらい、自分で選びますよ」

それはレオンの立場を思っての言葉だと正しく彼に伝わったらしい。
アメリアは、再び溜め息を吐き出すと、未だ握られたままの掌が、緊張で少しだけ冷たくなっていることに気が付いた。
じっと、青色の眼に見つめられて、喉元まで出かけていた説き伏せるためのセリフが、深い溜め息となって空気中に溶けていく。

「……あとで文句を言っても、知らないわよ?」
「貴女が良い、と言ったつもりだったのですが、伝わらなかったみたいですね?」

とても今しがたプロポーズした方と、された方とは思えないギラギラとした視線が重なる。
どちらからともなく、笑い声を上げると、不意にレオンがアメリアの左手を引っ張った。
ちゅっと薬指に柔らかい何かが触れたかと思うと、レオンの顔が赤く色付いた。
唇を落とされたのだ、と気付いたアメリアの顔もじわりじわりと熟れたリンゴのように真っ赤に染まる。

「て、照れるくらいならしなければ良いでしょう!」
「指輪の代わり、と言うか、予約と言うか……。何にせよ、誓いの証が必要だと思ったので」
「さっきはダメダメだったのに。形を残したいなんて、妙なところはロマンチストなのね。貴方って」

アメリアがそう言って呆れたように笑うので、レオンも釣られて口元に弧を描いた。
緩慢な動作で立ち上がると、二人は手を繋いだまま廊下に通じる扉に手を掛けた。

「ウェルテクス」
「はい?」

振り向いた瞬間に、繋がれていた手を払う。
そして、彼の首に手を回すと、思いっきり引き寄せた。

「ロマンチストを気取るなら、これくらいしてみせなさいな」

噛みつくようにレオンの唇に自分のそれを重ねる。
チュッと軽いリップ音を残して離れた唇が、互いの唾液で銀色に光っていた。

「え、あ、」
「……もしかして、はじめてだった?」

悪戯っぽく口角を上げれば、レオンの顔は面白いくらい朱に染まった。
十代にも関わらず騎士団の中でも最も危険な支部を任されている青年だ。職業柄、接待などで花街には行き慣れているとばかり思っていた。

「……すみませんね。気が利かなくて」

拗ねたように顔を背けるレオンに、アメリアはクスクスと笑い声を上げた。

「いいえ、ウェルテクス。貴方らしくって、私は好きよ」
「……レオン」
「え?」
「レオンと呼んでください」

じとり、とした視線に睨まれて、アメリアは笑い声を引っ込める。次いで、再び近付いてきたレオンの顔に、ぎくり、と肩を竦ませた。

「ね? 呼んでくださいよ」
「わ、かったから、少し離れて」
「どうして?」
「近いのよ」

先程はそれ以上に近付いていたのだが、自分で近付くのと、他人に迫られるのでは心の持ちようが全然違う。
熱くなった頬を見られたくなくて、レオンから視線を逸らせば、彼がくくっと喉を鳴らすのが分かった。

「……悪趣味ね」
「そっくりそのまま、お返ししますよ」
「まあ、可愛くない!」

それから、遠慮がちに「レオン」と小さく囁けば、彼は満足そうに笑った。
額に落とされた唇に、アメリアが目を細めると、霞めるように唇が触れる。
一瞬の出来事に、触れたか触れていないかもきちんと認識出来なかった。
だが、真っ赤に染まった彼の横顔は、それが現実であることを告げていた。

「今夜はお赤飯ですね」
「いい加減にしないと後でどやされるぞ」
「そんなこと言って、シアンも見ていたくせに」
「……お前が無理矢理、連れて来たんだろうが」

何が悲しくて弟のラブシーンを見守らねばならんのだ、と憤慨した様子のシアンだったが、その横顔は優しさで満ちていた。
桔梗はシアンに気付かれないよう、小さく笑い声を零すと、逞しい腕に自らの腕を絡ませた。

「見つかる前に帰りましょうか」
「ああ」

のちに兄夫婦となる二人が、自分たちの告白シーンを見ていたとレオンたちが知るのは、もう少し先の話である。