四、
「……ッう」
扉に引きずり込まれたかと思うと、次いで桔梗の身体は勢い良く地面に叩き付けられた。
鈍い痛みが後頭部を襲う。
ふらつきながら頭を押さえて、桔梗はゆっくりと立ち上がると、辺りを見渡した。
先程の広間より少しだけ狭いが、天井の高さは比べ物にならないほど高い。それに広間よりもずっと闇が濃かった。
気が付くと桔梗の右手は、ギュッと左腕をきつく握っていた。
恐怖で奥歯がカタカタと不自然な音を立てる。そのまま暫く動けないでいると、辺りが急に明るくなった。
見れば、燭台に青白い炎が宿っている。うっすらと周りの様子が分かったことによって桔梗の震えは収まった。
「お、うか?」
恐る恐る名前を呼ぶ。すると、部屋の奥にある祭壇から声が聞こえた。
『ごめんなさい。人間も夜目が効くものだとばかり思っていて……。大丈夫?』
「平気よ。少し驚いただけだもの」
笑いながら答えれば、ホッと安堵の溜息が聞こえてきた気がする。
「そっちに行っても?」
『どうぞ』
桜花の声が少しだけ、固くなった。それを怪訝に思いながらも桔梗は祭壇の方へとゆっくり移動した。歩く度に彼女を導くように炎が次々と燭台を照らしていく。
祭壇の前に辿り着くとより大きな燭台が向かい合うように置かれていた。それにもボッと音を立てて炎が宿り、部屋全体が昼間のような明るさに変わる。
『座って』
「……ええ」
言われるままに祭壇の前へと腰を下ろす。見えない相手に向かって、どんな表情を浮かべて良いか分からず、取りあえず微笑を浮かべたまま正面に視線を遣った。
「どうしてシャムに会ってあげないの? とても心配していたわよ」
『好きでここから出ないんじゃないの。出られないのよ』
「どういうこと?」
床の軋む音がして、桔梗の顔に影が覆い被さった。祭壇の奥から現れたシャムの友達に、桔梗は目を見張り、息を飲む。
『禁忌を破って、祠主様を怒らせてしまったから……』
――桜色の鱗が美しい、龍がそこに居た。
鱗と同じ桜色の睫毛から僅かばかりに金の目を晒して、龍――桜花は続ける。
神々しい美しさに桔梗は口を開けたまま桜色の龍を見つめた。東の国に龍は生息するとされているが、こうして一対一で会話できるのは一生の内に数度あるかないかと言われるくらいだ。自然、胸が高鳴った。
そんな桔梗を余所に桜花は天井を見て少しだけ目を細めた。そこには先ほどの広間と同じく白い龍と黒い龍が寄り添うようにして描かれている。
「あれは?」
桔梗が白と黒の龍の周りを彩っている青い炎を指差して問う。
『青い炎は龍のを表しているの。龍は死してなお魂は生き続け、その身は炎となる』
桜花の目が、また瞼の下に伏せられる。
『そして、この祠に祀られている龍は生前呪術に長けていた』
緩慢な動きで身を起こすと桜花は翼を広げた。身体全体を覆う桜色の鱗があるとばかり思っていた桔梗の顔が見る間に驚愕のものに変わっていく。
広げられた翼は焼け爛れ、骨が剥き出しとなり、とても空を飛べる代物ではなかった。
「な!?」
『私たち龍は一つの感情に縛られてはいけない。これはその罰なのよ』
「だからって、そんな……」
口を押さえて、翼から視線を外した桔梗に桜花は苦笑した。
『例え同族であれ、激しい感情を持って祠にいることは許されない。だから、私は祠に穢れと見なされた』
「呪いを受けるほどの感情? それって一体……」
再び開かれた桜花の目には薄らと膜が張っていた。桜花が瞬きをすると、一筋の雫が桜色の鱗を伝って細い涙の川を作る。
『……恋を、恋をしたの』
「こ、い?」
桜花がこくりと首を縦に振る。
『私が焦がれたのは――』
桜色の唇を震わせて桜花が続きを紡ごうとした、その時――。
轟音と共に天井が落下した。
「何だ、今の音は!?」
「分かりません!! 桜花!? 桜花!!」
黄金の扉の前でシアンとシャムは顔を見合わせる。お互いに嫌な予感を胸に抱きながら必死に扉を叩いた。
やがて、それが無意味であることを思い出すとシアンは劣化が進んでいる壁に目を向けた。
音の類からして爆撃、もしくは炎系の魔法であろう。土でできた壁がパラパラと崩れ始めている。
「下がっていろ」
そう言うとシアンは背負っていた銃剣を構えた。
軽く呼吸を整えて、一気に振りかぶる。ヒビから衝撃が広がり、壁はあっけなく四散した。
扉のすぐ横に開いた穴へ、シアンとシャムは言葉も交わさずに飛び込む。
爆発の所為か熱風に煽られた埃が気管に入って、シャムは激しく咳き込んだ。
自らも埃で涙目になりながら、シアンが辺りを見渡す。
「桔梗!!」
シアンが叫ぶと、奥の方で人の気配がした。
「大丈夫です! 桜花にも怪我はありません!」
瓦礫の向こうで桔梗が防御魔法の結界を張っているのが見えた。
シアンとシャムが安堵の息を吐く。
「桜花!」
桜花と桔梗の方へ近付こうとしたシャムの肩をシアンが咎める。
不思議に思ってシャムが彼の顔を見ると眉間に深い皺を寄せ、未だ土煙舞う部屋の中央を睨んでいた。殺気すら感じられるシアンの表情にシャムの肩がびくりと震える。
「……やはり大型銃の扱いには慣れんな」
「だから俺がするって言ったのに~」
瓦礫の隙間から声が聞こえてきたかと思うと中から男が二人、姿を見せた。
男たちの会話から大型銃で天井が吹き飛んだことを悟った桔梗の顔が曇る。
祠守には森を守るための分厚い結界が張られている。その結界を魔法も使わずに破ったのだとすれば、相当な使い手だ。
シアンもそれに気が付いたのか、桔梗が視線を遣れば、より深く眉間に皺が寄った。
最初に声を発した体格のがっしりとした男の顔には犬面が、その後に出てきたやや猫背気味の男の顔には猿面が付けられていた。
「兄者、兄者。人が居る」
猿面の男が犬面の男の服を引っ張りながら男達の真正面に居たシアンの方を指差す。
シャムを庇うように背中に隠すとシアンは銃剣を男たちに向けた。
「……何者だ」
シアンの問いに犬面の男の肩が震える。
「何が可笑しい」
今度は桔梗がドスの効いた声を放った。
男は指摘されたことにより堪えきれなくなったのか、隠そうともせず大きな声で笑った。
そして一頻り笑うと、わざとらしく深々とお辞儀をして桔梗の方を振り返る。
「いやはや失敬。これから死に行く者に名乗る名など持ち合わせていないものでな」
「何?」
言うが早いか男たちが桔梗と桜花の方に向かって走り出した。
「桜花ッ!」
シャムの声に桜花が尻尾で男たちを掃い退けようとした。
だが、犬面の男がギリギリの所で身を逸らすと、猿面の男が桜花の尻尾を受け止めてしまう。そのまま放り投げようと力を込めた男に向かってシアンが銃剣を撃った。
篭手でそれを弾いた男がシアンに顔を向ける。瓦礫を挟んで、桔梗は犬面とシアンは猿面と対峙した。
「先にこいつらを片付けるぞ」
「アイアーイ。ブツはどうやって持ち帰ります? 意外に大きいですぜ?」
「余計なことは言わなくていい」
男たちの会話にシャムの顔が曇った。シアンの背に庇われながら、叫び声を上げる。
「ブツ? ブツって何のことだ!!」
「……答える義理は無いな」
犬面の男が肩を竦めてみせた。
ぎり、とシャムが歯軋りする。
「なら、答えたくなるようにしてあげるわ!!」
双刀を構え、走り出した桔梗が犬面の男との距離を詰めた。
右斜め上段から切り崩すように男へ二連撃加えると、男は懐に隠し持っていたスティレットで桔梗の刃を簡単に受け止めた。
金属の弾かれる音が耳にこびり付く。
「やれるものならやってみろ」
面の隙間から覗く挑発的な視線に、桔梗の額に青筋が浮かぶ。
深く息を吐くとそのまま地面を蹴って、男の顎目掛けて膝蹴りを放った。
篭手で弾かれてしまうが、それは予想の範疇だ。
にやりと人の悪い笑みで空中に浮かんだ刹那、桔梗が詠唱を紡ぐ。
「打ち鳴らすは、雷の息吹《雀蜂・乱舞》!」
男の頭上へ雷が球状になって現れる。
次いで針状に変化したそれが雨のように男へ降り注いだ。
真面に雷を喰らった男は、苦しそうにもがきながら地面へと倒れ込む。
まだ油断はできないと地面に着地した桔梗が一定の距離を取って、刀を構え直す。
「兄者!」
犬面が攻撃されたことで意識が逸れた猿面の男に向かって、シアンが銃剣を勢い良く振り下ろした。
「余所見をするな」
寸での所を篭手で受け止めた男に、シアンは桔梗と同じように顎へ向かって膝蹴りを仕掛けた。防御が間に合わなかった男の身体が人形の様に吹き飛ぶ。
雷を受けて倒れた犬面の隣に顔面から派手に地面へと激突した。
それを見た桔梗が刀を収めながら、少しだけ顔を顰める。
「真似しないで下さいよ」
「煩えな。俺の方が綺麗に決まっただろうが」
こんな時でも常と変わらぬ様子で会話をする騎士二人にシャムは呆けてい たが、やがてハッとすると桜花の元に駆け寄った。
シアンもシャムに続きゆっくりとした足取りで桔梗と桜花の方へ歩を進める。
この時点になって漸くシアンは桜花の姿に目を剥いたのだが、固まる彼を余所にシャムが桜花の額と自分の額を合わせた。
「大丈夫?」
シャムの声に桜花が彼の頬を鼻先で撫でることで、肯定の意を表示する。
すると、不気味な笑い声と共に倒れていたはずの犬面の男が勢い良く起き上がった。
その手には黒い魔力を纏い、形状がより鋭くなったスティレットが握られている。
「――その心臓貰い受けるぞ!!」
男の狙いに気が付いた桔梗の顔が青ざめ、シャムに擦り寄る桜花へ視線を遣った。
桜花も自分が狙われていることに気が付いたのか、シャムを遠くへ突き飛ばす。
「詰めが甘かったな。女騎士!!」
シアンが走りながら、何か叫んでいるのが聞こえる。
彼の言葉が耳に届くより早く、桔梗の身体は行動を起こしていた。
周りの光景がすべてスローモーションのようになって、桔梗の目に映った。
桜花の身体目がけて伸びてきたスティレットに向かい、刀を伸ばす。
ガキン、と鈍い音が部屋の中に響いた。
桔梗の刀が、男のスティレットを押し止めることに成功する。
間に合った、とその場に居た誰もがそう思った。
けれど、男は動じていなかった。むしろ、笑い声を上げて、犬の面から覗く濁った眼で桔梗を見据える。
男の手に力が籠った。
いくら騎士とはいえ、所詮は少女。
「何!?」
桔梗の身体はじわり、じわり、と後ろに後退するしかなかった。
やがて、男は桔梗の武器を弾き飛ばすと、彼女の身体ごと桜花の身体を刺し貫いた。
背中に感じる桜花の鱗の感触と左肩を突き刺す無機質な刃を認識した桔梗の顔が、見る見る苦しそうなものへと変わる。
「ぐあああ……っ!!」
桜花の身体にも刃の先端が突き刺さり、桜色の綺麗な顔立ちを歪めた。
低い唸り声を上げながら、尻尾で男を薙ぎ払う。
部屋の隅まで吹っ飛んだ男を霞んだ目で見ていると、傷口から身体に纏わりついてきた黒い魔力に桔梗が吐血した。呪いか毒魔法の類らしく、全身の節々がズキズキと痛みを帯び始める。
「大丈夫ですか!?」
駆け寄ってきたシャムに苦笑いしてみせると、珍しく本気で怒っているらしいシアンと目が合った。
「す、みません……。仕留め、損ないました」
息も絶え絶えにそう言えばシアンは無言で桔梗に回復魔法を掛けた。傷口が塞がり、幾分か呼吸が楽になる。
「…………貴様」
シアンが口を開く。
すると、辺りの気温が一気に下がった気がした。
背筋が震えるほどの殺気に、桔梗は口元を綻ばせる。シアンが本気で怒る時、それ即ち敵の殲滅を意味する。
「俺の仲間に傷をつけたこと、後悔させてやる」
「ハッ、何を言っ――!?」
シアンは男の言葉が終わるのを待たず、地面を蹴った。
瞬きする僅かな一瞬で男との距離を詰め、胸倉を掴みあげる。
「ぐッ」
「言え。誰の差し金だ」
「……答えるとでも思っているのかッ!」
往生際悪く男は指を鳴らした。
猿面の男がむくりと起き上がり犬面に吸い寄せられるように猛スピードで向かってくる。
だがそれを簡単に許すシアンではない。
「夜を彩りし者よ、彼の者を捕えろ――《影道化師》」
シアンの影から造られた無数の手が猿面の男に向かって次々と向かって行く。
だが、男はそれを軽やかなステップでも踏むような動作で避け、シアンとの間合いを詰めた。速い、と認識するより先に下段からの鋭い蹴りがシアンを襲う。
銃剣で防御するものの壁に叩き付けられて、シアンは衝撃に喉を詰まらせた。
その隙を衝き、犬面の男の元まで辿り着いた猿面に、犬面がそっと手を伸ばす。
「アレをする。暫し耐えろ」
「あ……に、じゃ……」
犬面の男はそう言うと猿面の男の胸に自分の腕を突き刺した。
何をする気だとシアンと桔梗が見つめる中、猿面の男の身体が影へと変わり犬面の男の中へ取り込まれる。
ぐちゃぐちゃとあまり聞きたくはない音を立てながら男の身体が大きく変化した。
「グルルルルル……」
犬の身体に狒々の手足。それから犬と猿の二つの頭を持つ、巨大な化け物と化した男たちがシアンを見下ろす。
そして、次の瞬間。
何の前触れもなく、化け物がその右手をシアンへ振り下ろした。
咄嗟に後方へ飛ぶことで避ける。
だが、次いで左腕が薙ぎ払うようにして、シアン目がけて飛んできた。
「チッ!」
舌打ちしながらシアンは銃剣で攻撃の軌道を逸らす。
派手な音を立てて、拳が地面にめり込む。
それを見たシアンは目を細めた。
地面がまるで、柔らかい粘土のように抉れていたのだ。
もう少しで自分がああなっていたかと思うと僅かばかりに鳥肌が立った。
口角を上げて化け物を見据える。
「……まずは腕だな」
銃剣を構えると、シアンは地面を蹴った。
銃口から放たれた弾丸のような速さで、化け物の懐に飛び込む。
ふっと軽く息を吐き出す。
銃剣を両手に持ち直し、力任せに振り切った。
そのまま、一周するように両手足を切断する。
「ギャアアアア……!!」
化け物の悲痛な叫びが部屋に響くが、シアンは攻撃の手を緩めない。
倒れてきた化け物の下敷きにされる前に距離を取ると、地面に銃剣を突き刺した。
柄を握っていたシアンの手に力が籠められると、彼の足元に魔法陣が浮かび上がる。
「咎の審判よ、欲深き罪人に戒めを与えたまえ」
シアンの声に答えるように、化け物の身体の上に巨大な魔法陣が光を帯びて出現した。
魔法陣から発動した重力魔法により、ゴンッと鈍い音を放って化け物の身体が地面に押し潰される。それを待っていたのか、今度はシアンの足元から影で造られた巨大な手が現れシアンを上空へと誘った。
銃剣が紫色の、闇魔法を意味する光を放つ。そして、影の手を蹴り、シアンは空中に飛び出した。
「――重力断罪!!」
重力魔法を自身に纏わせ、シアンはまるで放たれた弓矢の如く銃剣で化け物を貫いた。
銃剣で貫かれた場所から影の手が現れて、化け物を影の中へ引きずり込んでいく。
止めにシアンが足場として使っていた巨大な影の手が化け物へと振り下ろされる。
バキッと化け物の顔が割れる音がして煙を出したかと思うと、男たちの姿に戻った。
「……後悔するのはお前たちの方だ」
影に吸い込まれながら、犬面の男が不気味に笑う。
「どういう意味だ」
シアンが聞き返すと、既に犬面と猿面の二人は暗い闇の中に沈んだ後だった。