五、
「大丈夫か?」
差し出されたシアンの腕に桔梗は素直に従った。
撫でるように触った左肩は回復魔法のおかげか、痛みはほどんど感じなかった。
「大佐は大丈夫ですか?」
「誰に言っているんだ、貴様は」
落ちてきた軽い拳骨に桔梗は笑うと桜花とシャムを振り返った。
土煙と瓦礫の所為で所々汚れていたがシャムには怪我がないようで、ほっと安堵する。
ちら、と桜花を見れば左胸の上部、刺された場所を気にするように視線を這わせていた。
「桜花?」
シャムもそれに気が付いたのか、心配そうな顔で桜花を見上げる。
『少し、ピリピリする』
「どこ? 見せて」
桜花の言葉に容体を確認しようと桔梗が近付くと、それを咎めるかのように 燭台に灯っていた炎が全て消えてしまった。
咄嗟にシャムたちを庇うようにシアンと桔梗が武器を手に取るが、敵の気配はない。
シアンが何かに気が付いたように崩れ落ちた天井の下を指差した。
「おい、アレ!」
シアンの視線を目で追って、桔梗は固まった。
月明かりの覗く穴の下、青い炎が宙に浮いている。
『……それを生かすことは、我が許さぬ』
直接頭の中に響いた声にその場に居た全員が青い炎に釘付けになる。
そして、桜花が咽るようにして吐血した。
慌ててそちらへ視線を戻せば、三つに分かれた青い炎が桜花の腹に深々と突き刺さっていた。
シャムが引き抜こうとするが手は炎を通り抜けて、触れることさえままならない。
「やめて!!」
思わず桔梗が叫べば、青白い炎は桔梗の周りをぐるぐると浮遊する。
「どうしてこんな酷いことを!」
『酷い? ここは我の住処ぞ。そこにこれが後から入って来ただけだ。汚れた住処を掃除して何が悪い』
心なしか棘の含まれている声が、止めと言わんばかりに桜花に突き刺さる。
青い炎が桔梗たちの周りを縫うようにった。
『ここから立ち去れ。今なら貴様らの命は助けてやろう』
「……桜花のことを助けるまで、俺はここから出ない」
シャムが鋭い目で青い炎を睨んだ。芯の通った声に、青い炎が僅かに揺らめく。
『ならぬと言ったはずだが?』
シャムの眼前まで近付くと、青い炎の声が低く響いた。
「友達を助けるのに何でアンタの言うことを聞かなくちゃならないんだ」
『……』
「アンタがどんだけ偉かったのかなんて、俺は知らない。だけど、桜花は俺の大事な友達だ。それを放って立ち去れと言われ、はいそうですかと引き下がるわけにはいかない」
その目には赤い焔が揺らめいていた。押し黙った青い炎にシャムがゆっくりと歩み寄る。
「桜花をここから出してよ」
『黙れ、小童』
「良いって言うまで黙らない」
『ならぬと言っておろうがッ!!!!』
青い炎から巨大な火の玉が発せられた。
青白く唸りを上げた炎の塊がシャムへと飛んでいく。
防御の体勢を取ったまま、目を瞑ったシャムの前へ、咄嗟に桔梗が飛び出す。
『シャム!』
「桔梗!」
シアンと桜花が血相を変えて二人の名前を呼ぶが、炎は激しさを増し、轟々と音を立てて二人へと距離を詰める。
桔梗が防御魔法を唱えようと両手を炎に翳した、次の瞬間――炎が黒く色を変え蒸発した。それを見た、桜花と青い炎が息を飲む。
『貴様、今の力は……』
「え、何? どうして炎が消えて、」
「は? お前、自分で消したんじゃないのか!?」
「私、何もしてないですよ!!」
烏が戯れるように言い合うシアンと桔梗の二人を見ながら、青い炎は彼らの周りをぐるりと浮遊した。
『……』
「何?」
『……これを許そう。だが一つ条件がある』
「?」
桔梗が頭に疑問符を浮かべれば、青い炎はシアンの前にふわふわと漂いながら、桜花の腹に刺さっていた炎を鎮火した。
『童、我を使役しろ』
「はあッ!?」
桔梗とシアンの驚いた声が重なった。
今の今まで反対していたくせにどういうつもりだ、と桔梗が警戒の眼差しで青い炎を睨む。
『我はこの娘に興味が沸いた。だが、こやつは既に何体もの精霊を使役している。だから貴様が我を使役しろ』
「ちょっと待て、俺の意見は無視か」
『貴様が断れば、我はあれをここから出せぬよう更に呪いをかけるぞ』
ほぼ、脅しに近い文句を言うと青い炎はシアンの答えを急かすように、彼の周りをぐるぐると忙しなく浮遊した。
「……分かった。ただし、俺からも条件を出させてもらうぞ」
『申してみよ』
「これから、俺たちがすることを手伝ってもらう」
シアンが何をしようとしているのか分からず桔梗は彼を凝視したまま、眉根を寄せた。
「返事は」
『いいだろう』
「取引成立だな」
そう言って子供みたいに笑うとシアンは桔梗から順にシャム、桜花へと視線を移す。
「桔梗、お前『血の契約』をしたことは?」
「なッ!? あ、あるわけないじゃないですか!! 零級の禁忌魔法ですよ!!」
「そうだな。だが、確実に桜花を助けるにはそれしか方法はない」
シアンの言葉に桔梗はグッと詰まった。龍の炎は高位の魔法に匹敵するものだ。
桔梗の回復魔法では、翼や腹の傷が完全に治るとは言い難い。
「……分かりました。文献で読んだことはあるので、微力ですがお手伝いします」
「よし、魔法陣の方はお前に任せる」
桔梗が一礼して部屋の中央に行くのを見届けるとシアンは、シャムと桜花の前に立った。
真剣な面持ちで自分と桜花を見る彼にシャムが固唾を飲む。
「桜花を助けたいか?」
「俺に出来ることがあるなら、何でもやります」
己が死んでも構わない、とシャムの表情が物語っていた。それを見たシアンが笑う。褐色の肌に白い歯が良く映えて、まるで舞台俳優のような綺麗な笑顔だった。
「よく言った。だが、お前一人では本当に死んでしまうかもしれない。俺たちが全力でサポートする。いいか?」
「はい!」
嬉しそうに笑うシャムとは反対に桜花の顔から色が消えた。かた、と震え始めた桜花を宥めるようにシャムが優しく手を触れる。
「大丈夫だよ。桜花は俺が守るから」
桜花の目に薄い膜が張る。シャムがにっこり微笑むと桜花はそれに応えるように彼の手に頬をすり寄せた。
「……と言う訳だが、やってくれるか?」
『我は既に貴様との契約に応じた。断るのは理に反する』
シアンが青い炎に確認を取れば、青い炎は意外にも素直に了承の意を示した。
「清き魂よ、新たに生まれ変わり、我が剣となりたまえ!」
シアンは青い炎へと己の武器を向けた。銃剣がシアンの声に反応し、淡い光を帯びた魔力を炎へと放つ。
青い炎がそれを吸収したかと思うと、眩い閃光が辺りを覆った。
そして光が晴れ、元の静けさを取り戻した頃にはそこに青い炎の姿はなかった。
代わりに煌びやかに輝く衣を纏った長身の美しい女性が宙に浮いている。
『我は月と夜の精霊、ニドルナなり』
「ん、よろしく」
シアンが右手を翳せば、彼の手に三日月の紋章が浮かび上がった。ニドルナの額にも同じ紋章が浮かぶ。
「大佐、お待たせしました!」
契約を終えたのを見計らってか、桔梗が部屋の中央から手を上げてシアンたちに声をかけた。シアンはこくりと頷くとシャムと桜花に向き直る。
「これから行うのは『血の契約』と呼ばれる禁忌契約の一つだ。一歩間違えば、本当に命がない。……それでも、やるか?」
本来、人と龍が契約関係を結ぶことは出来ない。その力の大きさ故、古来より彼らを使役することは許されていないのだ。それを可能にするのが『禁忌』と呼ばれている契約方法の一つ。
――『血の契約』である。
お互いの血液を垂らし、魔力を融合させ、それを再びお互いに戻す。そしてお互いの魔力を得ることで、本来は契約することのできない高位の生物である龍との契約を可能にするものだった。少しでも魔力が反発、拒絶反応を起こした場合、双方の命を落とすこともある。
危険な契約方法の為、今では騎士団が取り締まる罪状の一つにも上げられているほどであった。
「もちろん!」
迷いのない答えだった。シアンと桔梗が目を合わせて頷く。
「ニドルナ。頼む」
『御意』
ニドルナは一礼すると桔梗の書いた魔法陣の中央に飛んでいき、両手を合わせた。
青白い魔力が部屋中に広がり、ほのかな温もりが桔梗たちを包んだ。
ふわり、と天井の穴から夜風が花の匂いを纏わせて部屋の中に充満する。
やがて魔法陣が、ニドルナの魔力に反応して薄らと光を帯びた。
『……失敗すれば楽になれるぞ』
そう言って冗談交じりに笑うニドルナに桜花は微笑む。そして緩慢な動作で彼女に近付くと頭を垂れた。シャムも桜花に習ってニドルナへとお辞儀する。
「自分の血を垂らして」
桔梗が緊張して震えた声でシャムに伝えた。
ニドルナの言う通り失敗すれば、二人の命が危うい。自分が少しでも指示するタイミングを間違えば、と思うと額に冷や汗が浮かんだ。
桔梗の指示に従いシャムはナイフで指の先を斬り、桜花は牙で唇の部分を噛んだ。
ぽつり、ぽつりと魔法陣の上に二人の赤い血液が落ちた。
「お互いの手を重ねたら、魔力を込めて」
言われた通りに大きさの違う手を二人はゆっくり重ね合わせた。魔力を込めて瞼を閉じる。
すると、魔法陣に垂らした血が彼らの魔力に反応して宙に浮いた。シャムの血と桜花の血が空中で量を増しながら混ざり始める。そうしてあっという間に魔法陣の中が血の海で見えなくなってしまった。
焦った桔梗が魔法陣へ入ろうとするのをシアンが咎める。
「大佐!」
「信じろ! アイツらも俺達を信じて契約を望んだんだ!」
「ですが!!」
「お前だけが心配しているとでも思うな!」
「……ッ!」
シアンの声と肩に触れる力強い手に押し黙ると、桔梗は口を閉ざして魔法陣の中を見つめた。
「お、うかっ……」
「シャ……ム……」
苦しい。息が出来ない。――助けて。
お互いの名前を呼びながらシャムと桜花は握る手に力を込めた。
(離れたくない)
(ずっと彼の傍に)
――二つの想いが重なる。
『やれやれ、見てはおれぬな』
ニドルナが両手を天井に掲げるとそれに従い、燭台の炎が魔法陣の中へ吸い込まれていく。
血の海と化した魔法陣の中でシャムと桜花を見つけると、燭台の青い炎は彼らの周りをくるくると回った。
炎の魔力によって徐々に落ち着き始めた血液が、それぞれの持ち主の元へと戻っていく。
もう一度お互いの存在を確かめるようにシャムと桜花が手を握った。
すると、魔法陣が桜色の光を放って輝く。次いで辺りを灰色の煙が覆い隠してしまった。
天井に開いた穴から吹き込んだ風の所為で、真面に煙を吸い込んだシャムが咽ながらに桜花の名を叫ぶ。
「桜花ッ!!」
シャムの焦った声に、桔梗とシアンが桜花のがないことに気付き息を飲む。
「大丈夫よ」
凛と、聞き覚えのある声に桔梗は耳を疑う。
自分にしか聞こえていなかったはずの声が、耳に馴染むように空気を震わせて聞こえてきたからだ。
「お、桜花?」
シャムが恐る恐ると言った風に声をかけた。
煙が晴れた先に、桜色の龍は居なかった。
先程まで桜花が腰を据えていた場所、シャムの前にへたり込む桜色の髪を靡かせた美しい少女にその場に居た全員が叫ぶ。
「えええええええええええええええ!!?」
全員の視線に微笑みを浮かべると、桜花はシャムに抱き着いた。
「ありがとう、本当にありがとう」
大好き、と耳元で囁かれた最後の言葉に、シャムの顔は真っ赤に染まった。
微笑ましい光景にずっと見ていたいと思っていた桔梗だったが、天井からパラパラと落ちてくる埃に舌打ちを零した。
「あー……。イチャイチャしている所、悪いんだけど」
「い、イチャッ!?」
「あははは! 可愛いなーもー」
「き、桔梗さん!」
この~と肘でシャムを突いてからかう桔梗に、シアンが深い溜息を吐き出す。
「押し潰されたくなかったら遊んでないでさっさとしろ。後、その子に何か着せてやれ」
「はーい」
笑いながら自分の軍服の上着を桜花に着せてやると桔梗はシャムの右腕を確認した。
桜色の龍が巻き付く紋章が浮かび上がっているのを見て、にんまりと笑う。
「良かったわね。ニドルナに感謝しなきゃ」
「え」
「ニドルナのお蔭で魔力が安定したんだもの」
桔梗は言いながらニドルナに人の悪い笑みを向けた。
妙な視線を受けた彼女の顔がみるみる不機嫌な物に変わる。
『何じゃ』
「いいえ~何も~」
『何じゃはっきり言え』
「何でもないったら~」
カラカラと笑いながらはぐらかした桔梗をニドルナが追い回す。
その様子を見て桜花がくすりと笑みを零した。
根は優しい同族なのだ。
そうでなければ呪いに苦しむ自分を気にして、何度も忠告をしてくれる訳がない。
すっかり元気になった桜花は、徐に立ち上がるとその姿を本来の物へと変えた。
「乗ってください! 全員運びます」
元の美しい桜色の翼を羽ばたかせ、天井に開いた巨大な穴から桔梗達を乗せ、桜花は空へと飛んだ。
まるで桔梗たちが出るのを待っていたかのように神殿が音を立てて崩れていく。
優しく闇を照らす月が、シャムと桜花を見守るように夜の森を淡く照らした。
「私が恋をした相手は、シャムなんです」
後でこっそりと桜花が桔梗に耳打ちした話の続きは、二人だけの秘密になった。