灯龍祭-黎明-

「桔梗の君、ご入場!」

割れんばかりの歓声に出迎えられ、桔梗はグッと奥歯を噛み締めた。
昼食後、腹ごなしに街を散策するフリをしてこっそり帰ろうとしていたところを子どもたちに捕獲されたかと思えば、あれよあれよという間に闘技場の門を無理やり潜らされてしまったのである。
特に病み上がり――昨晩帰ってきたばかりの荊月までもが、桔梗の出国を良しとはせず、一番肩を怒らせていたのがトドメだった。

「父上め……」

桔梗の行動を予測している藤月の差金であることは明白だ。
子どもたちだけならまだしも、本調子ではないはずの荊月を持ち出されてしまえば、絆される以外の選択肢はなかった。
まんまと父の罠にハマった桔梗は、仕方なく弟妹の願いを聞き入れることにしたのである。

蘭月と鈴蘭の願い――それは、桔梗と刃を交えることだった。

旭日との戦いが一段落し、騎士団から長期休暇を押し付けられて半ば強引に祖国へ帰省を余儀なくされた桔梗は、暇を持て余していた。
そして、時間があるのを良いことに、弟妹たちに請われるまま彼らの稽古に付き合ってやったのだ。
それは中央の国へ戻る当日の昼まで続いたが、五人の弟妹たちは終ぞ姉に一太刀も入れることが出来なかった。

ここで桔梗が予期していなかったのは、弟妹たちが彼女と同じかそれ以上に『負けず嫌い』だったことである。
それから数年の間、帰国する度に稽古をせがまれ大変だったが、シュラの妊娠を機にそれはパタリと止んだ。

すっかり形を潜めたとばかり思っていたが、母の霙から蘭月が出会い頭にシュラと刃を交えたと聞いて、鈍い頭痛が桔梗を襲ったのは言うまでもない。

「ふふっ。また姉上と戦えるだなんて、夢みたいです」

恍惚の表情を浮かべながら、鈴蘭が自身の得物を鞘から引き抜く。
奇しくも彼女は桔梗と同じ双刀使いだった。
逆手持ちで刃を構えたやる気満々な妹の姿に、深いため息が桔梗の口から零れ落ちる。

「まったく、貴方たちと来たら」
「こうでもしないと、参加していただけないでしょう?」

蘭月の手には槍が握られていた。
幅広の穂先のすぐ下に、黒い布が巻かれている。

「ちょっと、それ……! お祖父様の『夜哭(やこく)』じゃない! そんな物まで、持ち出して、」
「今年はお祖父様が亡くなって十年の節目ですからね。姉上の『雨』と刃を交えるとなれば、お祖父様も喜んでくださるかと」
「屁理屈ばかり上手くなるのだから……。一体、誰に似たのかしら」
「あら、それは姉上もよくご存知の方ですよ」

鈴蘭が八重歯を見せて笑いながら、貴賓席の中央に座す藤月に視線を送った。
不穏な気配を感じ取ったのか、その眉間には深い皺が刻まれている。
彼を囲むように桔梗の子どもたち、そしてラエルやジェットが座っていた。
皆、興味津々でこちらを見下ろしている。

(無様なところは見せられないわね)

子どもたちは勿論のことだが、騎士候補生の前で膝を折るなど絶対にしたくない。
シュラの負けず嫌いは桔梗由来であることが確定した瞬間だった。

「それでは、特別演舞開始です!!」

審判の声と共に銅鑼が鳴り響く。
先に地面を蹴ったのは、双子の弟妹だった。

唸りを上げる矢の如き速さで肉薄した彼らの姿に、桔梗は再びため息を漏らした。
昔と変わらず猪突猛進、一撃必殺が透けて見える戦法に、重心を低く下げて備える。

「――打ち鳴らすは雷の息吹《雀蜂・乱舞》!」

抜刀と同時に二人へ攻撃を仕掛けた桔梗に、観声が沸く。
それはシュラたちも一緒だった。

「あの速さに合わせて攻撃を出すなんて、母上やばいな」
「それに今の、わざと重心を下げて狙ってたね。別方向からの攻撃を往なした上に、攻撃を重ねるなんて、桔梗ちゃん相当目が良いよ」

シュラが「げ」と舌を突き出せば、隣に座っていたミアが感心したように頷いた。
それを聞いた藤月が嬉しそうに口元を綻ばせる。

「ヴァルツの娘よ。お主なら、どう桔梗を攻略する?」
「う~ん……。私ならまず足を狙うかな。桔梗ちゃん、すばしっこいから早めに動きを封じときたい」
「で、あるか。シュラはどうだ」
「俺は足を狙うのは悪手だと思います。だって、母上は――」

――ドゴンッ!

激しい衝撃音に、会場が一瞬静まり返る。
土煙の上がる中心には、桔梗が立っていた。
ひび割れた地面を見てミアからサッと血の気が引く。

「蹴りが一番えげつないんだ。顎に膝蹴りなんか喰らってみろ。真面に動けるようになるまで最低でも三日はかかる」

うんざりした顔を隠そうともしないシュラとその弟妹たちの姿に、ヴァルツ姉弟、ジェット、ラエルの四人が「うへえ……」と今回の被害者である地面と彼らとを交互に見遣った。

「よ、よく今まで無事だったね」
「……何だろう。多分、同じ血が半分流れてるのと、父上の打たれ強さを受け継いだお陰で、生かされてきたような気がする」

ミアの言葉にシィナが遠くを見つめながら答える。
ウェルテクス兄弟は、満場一致で次女の意見に力強く頷いた。

藤月の笑い声が響く観客席を一瞥し、桔梗は眉根を寄せた。
五官が鋭いのは桔梗とて同じこと。
だが、龍の魔力操作に長けた彼女はシュラたちと違って、任意の場所を絞って音を拾うことが出来た。
今までの会話を一言一句漏らさず聞いていたのである。

帰ったら全員お説教ね、と愛刀の柄を握る手に力を込める。

「余所見とは、随分余裕がおありのようで!」

土煙に紛れて背後から姿を見せた鈴蘭の攻撃を、跳躍することで躱す。

「姉上! お覚悟を!」

桔梗が空中へ飛び上がるのを待っていましたと言わんばかりに、少し離れた位置から蘭月が槍を投擲した。
自分を標的に飛んでくる槍を見て、桔梗が目を細める。

祖父が使ったこの槍は、狙った得物を逃さないことで有名な業物だった。

夜哭の異名がついたのも、投擲される際に発する風切り音が鳥の鳴き声に聞こえたから、だと言われている。

ピィイイー!

逸話通りの音に、桔梗は小さく笑みを溢した。
数えるほどしか会ったことのない祖父が、得意そうに話していた槍をこの目で見ることが出来て心躍ったのだ。

「二対一なのだから、これくらいは許してちょうだいね」

舞霜、と精霊の名を刻んだ桔梗に、観客席からアンナが身体を乗り出して喰い付いた。

「舞霜ちゃんだ!」

それはアンナが一番気に入っている精霊の名前だった。
その名の通り美しい舞姫の姿を象った精霊が桔梗の身体を庇うように槍の前へ躍り出る。

「いいなあ! 私も水属性に適正あったら、契約してもらえたのに……!」
「お前、それ以上、精霊増やしてどうすんだよ。二体も居るんだから、十分だろ」
「ハヤテとライコウのことは気に入ってるけど、女の子の精霊とも契約したかったの! 特に、舞霜ちゃんみたいな綺麗な精霊と……!」
「翠月じゃ不満なのか?」
「翠ちゃんは、癒し枠だから違うの」
「あっそう」

妹の力説に、シュラが気圧されているのと時を同じくして、舞霜は巨大な水泡で夜哭を包み込んだ。

「ほら、お返しよ」

パチン、と桔梗が指を鳴らす。
舞霜は主人の命に従って、水泡の中の槍を水流で押し出した。
勢い良く吹き出した水と共に噴射された槍に、蘭月が目を丸くする。

(水圧で押し出したのか……!)

夜哭を包み込んでいた水泡がみるみる萎んでいく。
ビュン、と耳のすぐ脇を掠めていった槍に、蘭月は笑った。
姉の考えは一枚も二枚も上手過ぎて全く読めない。
だが、それが酷く楽しかった。

「流石です、姉上。ですが、何かお忘れでは?」
「ん?」
「鈴蘭は、どうされたのです」
「!」

先ほど身を捩って攻撃を躱して以来、鈴蘭の気配は形を潜めていた。

(しまった!)

地面に這う紫電の軌跡に、桔梗が頭上を仰ぐ。
『三日月』の構えを取った鈴蘭が、桔梗目掛けて落ちてくる。

「獲ったァ!!」

王族にあるまじき、野蛮な叫び声を上げた妹の姿に、桔梗は静かに瞼を閉じた。
一人ずつ仕留めようと考えていたが、その考えは甘かったらしい。
手加減など、最初から必要なかったようだ。

「本気には本気で応えるのが礼儀ってもんよね」

そう言って不敵に笑った桔梗の手から双刀が姿を消す。
次いで、現れたのは黒い刃が鈍く光る長刀だった。

「連ねるは天の咆哮、遍く轟き、その軌跡をここへ――《嵐歌轟々(らんかごうごう)》!!」

舞いながら一閃。
円を描いたその一撃は、嵐のような風圧を刀から生み出したかと思うと、稲妻の斬撃が蘭月と鈴蘭の二人を撃ち抜いた。

「ぐあ!?」
「がはっ!!」

空中の鈴蘭は勿論、丸腰の蘭月が逃げられるはずもない。
文字通り嵐のような攻撃が闘技場を襲った。

「……そっ、それまで!」

簡易的な防護結界石を装備していたおかげで、唯一無事だった審判が震える声で宣言する。
完全に伸びてしまった双子の弟妹に走り寄ると、桔梗は「ごめんごめん」とすぐに回復魔法を施した。

「ま、まだ痺れてます」
「ふふっ、楽しかったですねえ」

口を開くも全く違う感想を述べた彼らに、桔梗が目を細める。

「これに懲りたら、妙な連中に好き勝手させないように」
「シュラたちを危険に巻き込んだ、報いというわけですね」
「当たり前でしょう。――東の王が軽んじられたのだから、気分も悪いわ」

言外にしっかりしろ、と言われ、蘭月は思わず鈴蘭の顔を見遣った。
姉にしては珍しく静かな怒りを燃やしている。
ぱちぱち、と互いに瞬きを繰り返す双子の頭を桔梗は乱暴に引っ叩いた。

「立ちなさい。いつまで無様な姿を晒しているつもりですか」
「姉上の所為でこうなったのでは……」
「何か言った?」

真顔で笑う美人の恐ろしさと言ったらない。
蘭月と鈴蘭はぶるぶると首を横に振って「何も言ってません」と声を揃えた。

「母上!!」

今年の灯龍祭は一日中止を挟んでしまったため、国民や観客の投票によって剣舞を舞う者が決まったと聞く。
奇しくもその一人に選ばれた息子が、出場者用の門の前で嬉しそうに駆け寄ってくる姿を見て、桔梗は眦を緩めた。

「悪かったわねぇ。足癖が悪くて」
「き、聞こえてたんですか?」
「当たり前でしょう。私を誰だと思っているの」
「あははっ。あの距離で聞こえるとは、流石母上。――お疲れ様でした。かっこよかったですよ」
「なあに? ご機嫌取りでもしてお説教を短く済ませようとしてる?」
「まさか!」

純粋に心からの賛辞である。
シュラはもう一度「本当にかっこよかったです。叔父上たちを一撃で伸してしまうなんて!」と母の健闘を讃えた。

「……なら、貴方も覚えてみる?」
「え?」
「貴方が貰った八雷神なら《嵐歌轟々》を使いこなせると思うわよ」
「!!」

爛々と期待に輝きを帯びたシュラの瞳に、桔梗がクッと喉の奥を鳴らした。
すっかり成長して、背丈もとうに抜かされてしまったというのに、こういうふとした時に見せる子どもっぽさは年相応に可愛らしい。
まるで昔のシアンを見ているようだ、と息子に気付かれないよう笑いを噛み殺す。

「――だが、間違っても弟妹に向けて放つなよ、シュラ」
「そうですよ。暫く痺れと痛みが残るほどの威力なんですから」

ぬっと桔梗の背後から顔を出した叔父と叔母に、シュラのみならず桔梗も「わっ」と声を漏らした。
余程痛かったのだろう。
未だ帯電しているらしい二人の髪や衣服からパチパチと静電気の弾ける音が響いた。

「一度ならず二度までも甥に八つ当たりするな。みっともない」
「……八つ当たりではありません。愚痴を聞いてもらっていただけです」

戻りの遅い桔梗を案じた藤月が子どもたちを連れ立って、シュラの後ろから歩いてくる。
それに蘭月が不機嫌そうな顔を隠そうともせず唇を尖らせるものだから、間近で彼の顔を視界に収めた桔梗が「あはは!」と声高に笑った。

「一国の王が大人気ないわよ、蘭月。早くシュラとミアを連れて剣舞を披露していらっしゃい」
「姉上にだけは言われたくありません」
「あら? まだ雷を浴びたかったの? 仕方ないわねぇ」
「それだけはご勘弁を! 行くぞ、お前たち! ここに居ては、また地面と接吻させられてしまう!」

甥と義理の姪の腕を引っ張ると、蘭月は放たれた矢のような速さでその場から逃げ出した。
小さくなった後ろ姿を、残された一同がぽかんとした表情で見送る。

「あれほどまでに見事な《嵐歌轟々》は初めて見た。やはり、鳴雷の威力は凄まじいな」

藤月が素直に感心したと告げるも、桔梗の表情は浮かない。

「……私のことは褒めてくださらないのですか?」

先ほどの蘭月のように唇を尖らせた桔梗に、今度は藤月と鈴蘭の笑い声が闘技場の廊下に響き渡るのであった。

◇ ◇ ◇

雪国である東の国は、夏でも日が短い。
夕方の五時を過ぎて薄闇を纏い始めた空の下、王都ミツバの中央に組み立てられた儀礼用の舞台に三人分の影が伸びていた。

鬼灯を模した灯籠の光が、橙色の影をあちこちに落とす。

ぼんやりと浮かび上がる炎の姿に、桔梗はほうとため息を溢した。

「綺麗……」
「ああ、本当に綺麗だ」
「えっ!? シアン!?」

聞き慣れた声に驚いて隣を見ると、うっとりと目を細める夫の姿がそこにあった。

「藤月様からお呼び出しを喰らってな。せっかくだから、と少し早めに業務を切り上げてきた」
「も~! ちゃんとユタに説明してきたんでしょうねぇ……?」
「うぐっ……」

厄介ごとを押し付ける天才であるシアンを、桔梗が鋭く睨む。
だが、今回は珍しくきちんと業務を終えてから参戦したようで、通信を受けたユタがきゃらきゃらと娘時代を彷彿とさせる笑い声を上げた。

『もうね、可笑しいったらないのよ! 午後から国境に視察の任務が入っていたのに、珍しく「お前に任せる」って言うんだもの。そっちへ行きたくて仕方なかったのね』
「本当にすみません。他に何かやらかしたり、とか……」
『ないない! 珍しくね! 私としてはもう少しだけ書類仕事をやっていってほしかったくらいだけど、藤月様直々のお呼び出しだもの。機嫌良く送り出さないわけには、いかないでしょう?』
「それなら、良いんですけど。いつもごめんね、ユタ」
『いいえ。宮様も偶には羽を伸ばしてきてください。何ならお二人揃って明日は公休にしておきますよ』
「え、でも、それは……」

ちら、と隣を伺えば、シアンが「俺はどっちでもいいぞ」と返事を寄越す。

「………………じゃあ、お願いします」
『はい。藤月様や霙様に、よろしくお伝えください』
「ありがとう。皆にも何かお土産を買って帰るわね」
『楽しみにしています。それでは』

鼻歌でも歌い出しそうな声音で通信を切ったユタに、桔梗が苦笑する。

「全くもう。私にくらい一言掛けてくれても良かったんじゃない?」
「久しぶりの帰省だろ。邪魔したくなかったんだよ」
「それは、そうだけど、」
「それに珍しいもんも見られたしな」
「え、」

まさか、と桔梗が目を丸くすれば、シアンは悪戯が成功した子どものような顔で笑った。

「お前が鳴雷を振り回している姿なんて、早々拝めないだろ」
「な、なっ! い、いつ来たのよ!」
「午後イチ」
「バカ!!」

思わず罵倒と共に足が出る。
桔梗の繰り出した膝蹴りは然して、シアンに当たらなかった。
大きな掌が桔梗の膝を受け止めたのである。

「シュラに足癖悪いって思われているのも納得だな」
「誰の所為で足癖が悪くなったと思ってるんです」
「……さあ、な」
「あ、こら! どこ触ろうとして――やめなさい! 往来で!」

衣服の隙間を縫って太腿に触れようとした夫の不埒な手を、桔梗は捻り上げた。
いてて、と呻くシアンを他所に、涼やかな音が鳴り響く。

「ほら、始まりましたよ。せっかくです。もっと近くで見ましょう」
「そうだな。誰かさんのおかげで、明日は公休になったし、息子と義弟の剣舞を堪能するか」
「あら、貴方の姪っ子も踊る予定ですよ」
「……ったく、あのお転婆は誰に似たんだ誰に」
「自分の胸に手を当てて考えてみたら?」
「少なくとも、俺じゃないことは確かだ」

至極真面目な顔でそんなことを言うものだから、桔梗は笑い声を抑えることが出来なかった。
行き交う人々が、シアンと桔梗の顔を横目にわらわらと剣舞が行われている舞台に吸い寄せられていく。

「私たちも行きましょ」
「ああ」

差し出された桔梗の手に、シアンは迷いなく自分のそれを重ねた。
幾度となく戦いを経た小さな掌は、よく見れば剣ダコや傷跡まみれで、お世辞にも美しいとは言えない。
けれど、シアンはそんな彼女の手を愛していた。

「桔梗」
「何ですか」
「――来年はお前の剣舞が見たいな」
「それ、遠回しに優勝しろって言ってます?」

舞台上で、シュラが八雷神を天高く振り上げる。
その勇ましい姿と妻の困った顔を見比べて、シアンは豪快に笑い飛ばすのであった。