第3章『開花の刻』2話

 桔梗の雷を真正面から受けたにも関わらず、ピンピンしているシアンを加えた聖騎士団一行は、空間魔法を使って世界樹の麓にやって来ていた。
 ここに来るのは二度目だ、とシュラが眼光鋭く世界樹を見上げていると、その隣に立ったエルヴィが不安そうに彼の腕を引っ張った。
 亜熱帯のようなじっとりとした暑さが身体に纏わりつく不快さに、シュラは一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐにいつもの顔に戻るとエルヴィの掌に自分のそれを絡める。

「大丈夫だ。俺が付いている」

 言ってから、しまったと顔を歪めるも、眼前を歩いていた両親の耳にはしっかりと息子の声が届いていたらしい。

「半人前のくせに、女を口説いているぞ」
「あら、貴方だって昔似たようなこと言っていたじゃない」

 生暖かい目が自分を襲うのにシュラは無視を決め込むことにした。
 慌ただしく準備が進められていく様子をジッと凝視する。

「……エルヴィ、こっちへ」

 桔梗がエルヴィに手を伸ばすも、彼女はそれに応じようとしなかった。
 いつもなら、雛鳥よろしく桔梗に従うはずなのに、今の彼女は身体を小刻みに震わせて怯えている。

「エル。大丈夫だから」
「シュラ、一緒がいい」

 お決まりのセリフを並べられて、シュラは溜め息を吐き出した。
 ちら、と母を見れば、仕方がないと肩を竦めて、陣へと入るように促される。

「……分かった。俺も一緒に行くよ」

 術の対象者はエルヴィだけだから大丈夫だろうと言うホロの見解に微かな不安を抱きながら、特殊な塗料を用いて地面に描かれた巨大な陣の中へと少年少女が足を踏み入れた。

「詠唱の間、絶対に陣から出ないでね」
「分かりました」
「それから、」

 翡翠の目が、鋭く光る。

「決してエルヴィの手を離さないこと」

 いいわね、と念を押されて、シュラは力強く頷いた。

「全員、持ち場についたな――始めるぞ!」

 シアンの一声に、薄氷の上を渡るような緊張感が辺り一帯を覆った。
 魔導士と第三小隊による詠唱が始まる。
 詠唱とは言葉に魔力を乗せることを意味している。魔導士の中には、アメリアのように詠唱を必要とせず魔力だけで魔法を発動する規格外の魔導士も存在しているが、今回のように複雑な魔法陣を発動させるためには詠唱が必要不可欠であった。
 五つに重ねられた円が外側から順にゆっくりと光を帯び始める。
 それが三つ目に到達しようとした時だった。

「ぐッ」

 エルヴィが突然、胸を抱き込むように苦しみ始めたのだ。

「どうした!?」
「い、痛い」

 苦悶の表情を浮かべるエルヴィを落ち着かせるために、ゆっくりとその場にしゃがみ込ませる。対応を求めるために、両親の方を振り返るが、彼らは黙ってこちらを見つめ返すだけだ。

(母上たちは、俺に何をさせようとしているんだ)

 固く繋がれたままの手を、シュラはギュッと強く握り直すことしか出来なかった。

「……同調し始めたみたい」
「ああ」
「シュラはどうすると思う?」

 桔梗の問いにシアンは細君の横顔をちらと盗み見た。
 彼女はこの先で何が起こるかを全て知っている。
 知っていて尚、息子にその役目を果たさせようとしているのだ。

「可愛げがなくなったよな、お前」
「質問の答えになっていないわよ」
「いいや。これが俺の答えだ」

 可愛げのあった頃の――昔の桔梗によく似ている息子ならきっと、自分たちが望む答えを見せてくれるはずだとシアンが苦虫を噛み潰したような表情でぼそりと呟く。

「私より貴方によく似ているわよ」
「なら、心配する必要はないだろう」
「でも、」
「……何を選んだとしても、俺はアイツの味方だ」

 ニッと歯を見せて笑ったシアンの表情は、子供の頃から変わらずに眩しくて、桔梗は呆れたように苦笑した。

「いたい、いたいよ、シュラ」
「大丈夫。大丈夫だ。俺が傍に居るから」

 光が近付いてくるほどに、エルヴィの顔は険しくなっていった。
 遂には泣き始めた彼女の身体を抱え込むように、シュラは魔法陣の中心で胡坐を掻くことになってしまった。

「……終わったら渡そうと思っていたんだけど、仕方ないな」

 シュラは困ったように曖昧な笑みを浮かべると、エルヴィの手を握っていない方の手で自分のポーチを弄った。目的のものを掴むことに成功すると、それをエルヴィの前に翳してみせる。

「ここに来る途中で作っておいたんだ。欲しいって言っていただろ?」

 しゃらり、と涼し気な音を奏でたのは、二人で一緒に取りに行った宵闇の水晶だった。小粒に加工されたそれはシンプルだが美しい銀細工と一つになって、髪飾りにされていた。

「きれい」

 ミシミシと身体を蝕んでいた痛みも忘れて、エルヴィが髪飾りを受け取る。
 子どものように瞳を輝かせて喜ぶ彼女に、シュラがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。
 魔法陣を包んでいた光が最後の円に到達した。

「――があああああああ!」

 エルヴィが獣のような叫び声を上げる。
 口から泡を吹きだし、気絶してしまった彼女の身体をシュラが強く抱きしめる。

「しっかりしろ! おい、エル!!」

 がくがくと震える身体を抱きしめることしか出来ず、シュラはパニックに陥った。
 詠唱が続いている間は魔法陣から絶対に出るな、と桔梗に言われている。
 だが、こんな状態のエルヴィをいつまでもこの中に入れていていいのか、と頭の中で非難を始めたもう一人の自分に首を振った。

「桔梗ちゃん」

 助けを求めるように大人たちを見つめるシュラを一瞥して、ホロが桔梗に近寄った。

「本当に良いんだね」
「ええ」

 計画に変更は無いと桔梗の目が語っている。
 ホロは珍しく溜め息を吐き出すと、部下に合図を送った。
 訓練生たちが採取してきた素材を機械に放り込み、結界石の生成を始める。

「母上! もう無理です! エルヴィが!」
「……あと少しで終わるわ。それまで何とか持ちこたえなさい」

 非情に聞こえる母の冷たい声にシュラは眩暈がした。
 いつもの桔梗ならそんなこと絶対に言わない。
 どうして突き放すようなことばかり言うのだ、と責めようとして、シュラはハッとした。
 これは『卒業試験』の一環であると。
 世界樹の蕾を調査してほしい、とシアンは言った。
 なら、今の状況もそれに当てはまるのではないかと腕の中で気絶している少女に視線を向ける。

「気付いたみたいね」

 桔梗が嬉しそうに笑っている姿が光の隙間から見えたような気がした。

「……魔力を循環させるなら、まずエルヴィの身体を世界樹と同化させる必要がある。なら、今の状態は世界樹の状態と同じってことだ。世界樹の周りに設置された結界石に魔力が生成される前にエルヴィが気絶した。なら、俺がすることは一つ」

 最初からおかしいと思っていたのだ。
 本来はエルヴィ一人だけが魔法陣の中に入る予定だった。
 そこにシュラも入るとなると、魔法陣に綻びが生じてしまい、結界魔法陣が構築できなくなる可能性もあったはずなのに。
 桔梗たちは反対する素振りも見せなかったのだから。
 シュラは、蒼月に言われたことを思い出していた。
 世界樹に選ばれたのは、自分が東と西の国の血を受け継ぐものだからだと。だが、その条件は中央の国に住む者なら八割以上クリアしてしまうことになる。
 だから、考えた。
 自分に、否――桔梗とシアンの子どもたちにだけ与えられた何かがあるのではないかと。

「蒼月」

 右手の甲、今はエルヴィの手を固く握りしめているそこに描かれた蒼き龍の名前を呼ぶ。
 答える代わりに刺青が青く光った。

「……そういうことかよ」

 答えは初めから出されていた。
 旭日がエルヴィに『少女』の形を与えたときから、全て決められていたのだ。

「これが、俺の答えだ」

 シュラは右手に意識を集中させた。
 蒼月の宿る刺青が光を増し、やがて彼が姿を見せる。
 だが、シュラはそれには構わずに、右手へ魔力を集めることだけに全意識を注いだ。
 蒼月も依り代であり、友でもある少年が何をしているのか理解しているようで、静かに彼の行動を見守っている。

「龍王が俺にお前を宿したと言うのなら、俺の魔力でエルヴィを開花させることが出来るんだろ」
『弟妹が選ばれなかった理由が分かったみたいだな』
「ああ。俺たちの中で条件に達していたのは俺だけだった。ずっと不思議だったんだ。弟妹でも良かったとお前は言ったが、どうして俺が選ばれたのかってな。単純なことだ――基準に達していたのが俺だけだった。違うか?」
『ああ。シアンと桔梗様の子らの中で、お前の魔力量だけが条件に適していた。だが、本来であれば、もう少し先になるはずだったのだ。蕾とお前が出会うのはな』

 蕾――瞼を閉じたエルヴィの顔に視線を落とす。
 夜明けの光を吸収した髪がきらきらと乱反射して眩しかった。
 動かなくなった少女は、美術品のように美しい。けれど、シュラは知っていた。
 彼女の美しさが容姿だけではないことを。

「エル」

 二人だけの秘密の呼び方に、少女の睫毛がふるりと震えた。だが、瞼が持ち上がることはなく、未だぐったりとした身体をシュラに預けている。

「……エル」

 起きろ、と願いを込めて、彼女の額に自分の額を合わせた。
 思っていたよりも冷たい体温に、シュラの顔が険しくなる。

「一緒がいいと言ったのは、お前だろ」

 蚊の鳴くような小さな声でそう呟くと、シュラはグッと唇を噛み締めた。
 初めてのキスが大衆の前でなんて、と眩暈を感じながら、ゆっくりと少女の唇に顔を寄せる。
 柔らかい感触を味わうように啄むと、右手に集中させていた魔力をエルヴィへ送った。
 緩慢な動作で口付けと手を握ることを何度か繰り返し、少女の身体に変化が訪れることを祈る。
 ひゃああ、と黄色い悲鳴があちこちから聞こえてくるも、シュラはそれを無視してキスを続けた。
 桃のような甘さが咥内に充満していく。
 これが童話なら良かった。
 意識のない相手に無体を働いている罪悪感から、シュラは現実逃避のように頭の中で妹たちに読み聞かせてやったことのある絵本を思い返していた。
 呪われたお姫様に騎士が口付けると、呪いは解けてハッピーエンドを迎える。
 確か、エルヴィにもせがまれて読んだことがあった。
 あの話を覚えているのなら、目を覚ませ。
 頼むから、と唇だけではなく、顔中にキスの雨を降らせてみても、腕の中の少女はピクリとも動かない。

「……宮様。全ての結界石の生成が完了しました」
「分かりました。次の段階に移行してください」
「はっ」

 光のカーテンで覆われている所為で、こちらから魔法陣の外は見えない。
 騒がしくなった周りの音だけを頼りに、シュラは眉間に皺を寄せた。

「蒼月、頼みがあるんだ」
『それがどういうことか、分かって言っているのか』
「ああ」
『……媒介となるものを、』
「これで、どうだ」

 エルヴィが握りしめたままの髪飾りを示せば、蒼月の表情は曇る。

『五分五分だぞ』
「それでも良い。手伝ってくれ」

 このままだと、眠り姫を起こせないから。
 そう言って笑ったシュラに、蒼月が呆れたように肩を竦ませる。

『直に魔法陣は完成する。集中せよ、シュラ』
「ああ」
『いくぞ』

 エルヴィの手を握っている右手に力を込める。
 蒼月の魔力がシュラの魔力と一つになり、エルヴィの身体に広がっていった。
 青い、海のような光が少女の身体を覆ったのを合図に、シュラの意識が遠のく。
 遠くで、母が自分を呼んでいるような気がした。

 目を覚ますと、真っ白な空間に放り出されていた。
 何もない空間の中に、シュラだけが一人存在している。

「エル?」

 呼びかけるも、自分の声が木霊するだけで返事はない。
 どうしたものか、と片眉を上げたシュラの前に、蒼月がパっと姿を現した。

『長くは保てん。魔法陣が完成する前に戻れ』
「そんなこと言われても、アイツがどこにいるのか分からないんだ」
『お前が見ようとしていないだけだ。蕾はこの場に存在している』

 そう言われて、シュラは唸り声を上げた。
 確かにエルヴィの気配を感じるものの、彼女がどこにいるのか全く見当がつかないのだ。
 こういうときは深呼吸だ。
 深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
 それを何度か繰り返していると、少しばかり冷静さを取り戻したような気がした。

「離すな、と母上は言った。それなら、」

 繋いでいたはずの右手に視線を向ける。
 すると、黄金の光がシュラの右手を覆った。
 世界樹の魔力だ、と認識するより早く、エルヴィの姿がそこに現れる。

「よく、ここが分かりましたね」

 エルヴィの姿で世界樹が笑った。

「エルを返してくれ」
「おかしなことを言う。この子は私の、私たちの蕾ですよ」
「ああ。でも、俺の『番』なんだ」

 知っているだろう、とシュラが言えば、世界樹は驚いたように目を丸くした。

「守り人になることを嫌がっていたはずでは?」
「ああ。そうだな」
「……人とは、本当に不可解なものですね」

 エルヴィの顔で流暢に言葉を発されると落ち着かない。
 シュラの動揺が伝わったのか、世界樹の纏っていた空気が少しだけ柔らかくなる。

「貴方はこの子を返せと言う。そして、この子もまた貴方の元へ返りたがっている」

 世界樹がゆっくりと瞼を閉じた。
 真っ白だった空間が景色を変え、世界樹自身の姿を映し出した。

「これはかつて、旭日たちの仲が良かった頃の私」

 ぱちん、と世界樹が指を鳴らす。
 眩い光が視界を覆ったかと思うと、次に映し出されたのは枝や幹が焼け焦げた世界樹だった。

「人が産まれたことによって、旭日はひどく苦しめられた。華月もまた、傷付いていた。私は、彼らのように人と話す力を持っていなかったから見ていることしか出来なかった」

 ここが世界樹によって造られた世界だからなのか、エルヴィの姿をした世界樹は、傷付いた自身の幹にそっと額を預けた。
 シュラも左手で幹の筋を優しく撫でた。
 ふふ、とエルヴィの声で擽ったそうに笑う世界樹に何とも言えない感情が込み上げてくる。

「だから考えた。私も話せるようになれば、二人を助けることが出来たんじゃないかと」

 世界樹が再び指を鳴らす。
 今度は、シュラも見たことがある大きな蕾が二人の間を割くように出現した。

『阿呆なことを』
『……健気ではないですか』

 どこからともなく姿を見せた旭日と華月に、シュラと蒼月がびくりと肩を震わせる。
 一ミリも気配を感じさせずに登場することに定評のある創世龍の二匹に、世界樹の顔が綻んだ。

「人になろうとは思わない。でも、彼らのようになれば争いを止められると思った」
『俺が言えた義理ではないが、それはお前の領分ではない』
『私たちが悪かったとは言え、今回の件はやりすぎです』

 創世龍に責められて、世界樹は悲しそうに睫毛を伏せた。
 つう、と伝っていった雫を見て、シュラが思わず彼女の肩を抱き寄せる。

「悪気があったわけではないのですから、」
『似なくて良いところばかり、親に似るのね。全く貴方たちときたら』

 華月が疲れたように溜め息を吐き出す。
 同じように険しい表情を浮かべてこちらを睨む旭日に、シュラはグッと押し黙った。

『ここへ来たということは、蕾を開花させる覚悟が出来たのか』

 旭日の問いに、シュラは彼の一つしかない眼を見つめ返した。
 口を閉ざしたまま、然してその目には燃えるように確かな意志を宿した少年に、かつて世界を滅ぼそうとした白龍が牙を見せて豪快に笑った。

『流石はアレの息子と言うべきか否か! ははは! 良いだろう。これに賭けてみようではないか』
『……また、無茶なことを。あとで桔梗に文句を言われても妾は知りませんよ』
『監督不行き届きだったのはアレも同じこと。アレの小言など、痛くも痒くもないわ』
『まあ、そうですね。あの子に借りを返すなら、これくらいのことはしなくては』

 二人だけで何かを納得したようにうんうんと頷き合ったかと思うと、次の瞬間にはシュラの両腕を片方ずつ取った創世龍がにっこりと笑いながら物騒な台詞を吐き出すとは夢にも思っていなかった。

『桔梗の雷より痛いかもしれんが、死ぬことはない。安心せよ』
『大丈夫ですよ、シュラ。ただ妾たちに身体を貸してくれるだけですぐに済みますから』
「え、あの、はあ――っ!?」

 身体を貸すということは即ち、龍を身体に下ろすということだ。
 桔梗ですら華月に身体を預けることを躊躇したと聞く。それなのに、旭日と一緒に身体へ入るだけだからと何の屈託もなく言い放った黒龍に、意識を手放しそうになったのを寸でのところで堪えた。

「いやいやいや! 俺は母上と違って東の直系じゃありません。母上でも数分が限界だったのに、お二人を同時になんて、無茶ですよ!」
『大事ないと言っているだろう。我の媒介となる西の血族と華月の媒介となる東の血族の血が上手く混ざり合ったお前なら、我らを二人宿したところでちょっと動けなくなるくらいで済むはずだ』
「絶対、ちょっとじゃないでしょ!?」
『ええい。煩いな。黙って大人しくしていろ!』

 痺れを切らした旭日が、シュラの口の中に手を突っ込むと言う暴挙を繰り出したお陰で、今度こそシュラは意識を手放した。

『……やはりな。これの身体はアレよりもよく馴染む』
『妾は桔梗の方が落ち着くのですが、こればかりは致し方ありませんね』

 シュラの身体の中で、二人の龍が悪戯っ子のように笑い合う。

『目覚めたときには全て元通りだ』
『安心なさい、シュラ』

 不安しかない、と心の中で叫んだシュラに、創世龍がまたカラカラと笑い声を上げるのだった。

 身体に電流が走ったような感覚だった。
 否、そんな可愛らしい表現では物足りない。
 身を引き裂かれるような鋭い痛みがシュラを襲った。

「グアアアアアアアアアアッ!!」

 それは、龍の咆哮に似ていた。
 桔梗が驚きに目を見開くのと、息子の身体から創世龍が現れたのは殆ど同時だった。

「嘘でしょ!?」

 二人が同時に受肉しているところは初めて見る。
 ましてやそれが息子の身体を使ってというのだから、奥歯を噛み締めることで気を失ってしまいそうになるのを堪えるのがやっとだった。

「何をするつもりですか!」

 桔梗の声に、創世龍が笑みを零す。

『黙って見ていろ』

 かつて、世界を滅ぼしかけた龍とは思えないほど穏やかな表情で旭日が笑った。隣に並ぶ華月もまた、同じように穏やかな表情を浮かべている。
 二頭は翼をはためかせると世界樹の上空へと向かった。
 代を重ねるごとに大きさを増していった樹の先は、雲の向こうに突き出しており、人間の目で捉えることは叶わない。

『この辺りで良いか』
『そうですね。ここが良いかと』

 そう言って旭日と華月は、太く逞しい枝に着地すると、人型に姿を変えた。
 互いの掌を重ね、にっこりと微笑み合う。

『妾が壊したものすべて、貴方に捧げます』
『ならば、我はそのすべてを造りかえると誓おう』

 ゆっくりと指を絡ませると同時に、華月が破壊の魔力を世界樹に降り注いだ。
 上空で何が起こっているのか分からず不安を募らせていた桔梗たちであったが、不意にバラバラと降ってきた樹皮を見て血相を変えた。

「一体何をするつもりなの……」

 不安そうに空を見上げる桔梗にシアンが寄り添う。

「あの二人なら大丈夫だろ」
「そうは言っても、シュラの身体で受肉するなんて、」
「お前の子だ。死ぬわけがない」

 空を見つめるシアンの目に曇りはなかった。
 どこまでも澄んだ青い海のように美しい双眸が苛烈な焔を宿しながらも押し黙っている様子に、桔梗は何も口にすることが出来なかった。

『頃合いか?』
『ええ。あとはお好きなように』
『応』

 華月の魔力が地面まで浸透しきったのを確認してから、今度は旭日が魔力を集中させた。
 白い光が世界樹全体を包んだかと思うと、先程バラバラと雪のように降ってきていた樹皮が浮いて、元の場所まで戻っていく。

『見ているのだろう、桔梗。これが済めば、あとはお前の仕事だぞ』

 胸の内から聞こえてきた声に、桔梗はパチリと瞬きを落とす。
 次いで、旭日が何を言いたかったのかを遅れて理解すると、右手を高く掲げて叫んだ。

「第二段階、結界石を起動して!!」

 通信機を起動する時間も惜しいと言わんばかりに大声で叫んだ桔梗を見て、シアンとホロが顔を見合わせて笑った。
 ぽつぽつと下方で光を帯び始めた結界石を見定めて、旭日と華月がゆっくりと下降を始める。

『この阿呆が。何を呆けて我らを見ておったのだ』
「いやだって、びっくりするでしょう!? 息子の身体から二人が出てきたんですから!」
『ふふ、ごめんなさいね。でもほら、お陰で上手くいったみたいよ』

 そう言って華月が後ろを振り返った。
 魔法陣が緑色に光り、それに呼応するように結界石も同じ色の光を放っている。
 それは魔力循環及び、エルヴィと世界樹の同化が上手くいったことを示していた。