10話 暁闇に咲く - 1/2

 旭日たち銀龍会の手引きで、郵便部一同は真夜中のとある港に足を踏み入れていた。
 コンテナが迷路のように複雑に積み上げられているにも関わらず、ホロやユタはまるで慣れた家路を辿るかの如くスイスイと進んでいく。
 やがて、赤色のコンテナが一同の前に立ち塞がった。

 道を間違えたのか、と首を捻った理世とシアンに、ホロがしたり顔でコンテナをノックする。

「コード・ネイヴェス。錆びたナイフに気をつけろ」

 軽快なリズムと共にそう告げたホロに対し、コンテナが中から左右に開いた。

「お待ちしておりました。大家。既に手筈は整っております」

 姿を見せた青年に、桔梗の顔が一瞬だけ強張る。

「あ、貴方は、」
「昨日は手荒な真似をして申し訳ありません。取引が行われない、という可能性を消すために、ああする他なく……」

 深々と桔梗の前に頭を垂れたのは、昨日の朝方、桔梗を誘拐した張本人である。

「これは俺の右腕だ。こいつらの兄でもある」
「アギアと申します。以後、お見知りおきを」

 にっこり、と笑った青年からは昨日の物騒な雰囲気は欠片も感じられない。
 それがまた一層恐ろしくて、桔梗は苦笑いを浮かべながら、誰にも気づかれないようにそっとシアンの腕に抱きついた。

「ダミーは用意したのか?」
「せっかくです。皆様にお任せしようかと」
「……それは構わんが、後始末が面倒になるぞ」
「大家の後始末に比べたら可愛いものでしょう? 問題ありませんよ」

 派手な漢服に身を包んだ異国の青年は袖で口元を覆うとクスクスと笑ってみせた。
 旭日が呆れて肩を竦めるという稀に見る場面に桔梗は気を取られていたのだが、理世やシアンの注目はそこではなかった。

「俺たちは何をすれば?」
「そう焦るな。直に黒塗りが何台かそこの埠頭に入ってくる。小娘らは商品に、お前たちは護衛に扮して取引をぶち壊せ」

 実にシンプルな命令だった。
 たった一言のそれに、郵便部部員たちの顔がそれぞれに喜色ばんだ。

「計画を台無しにされたときの校長の顔が見ものだね」

 時刻は真夜中の二時半を示していた。
 暗闇の中で光る理世の眼に応えるように、一同の瞳が瞬く。

「さあ、仕上げと行こうじゃないか!」

 珍しく声を張り上げた理世に「おお!!」と誰からともなく歓声が上がった。

 

 旭日の言葉通り、それから半刻ほど時を置いて、十台ほどの車が埠頭に姿を見せた。
 銀龍会からも何名か女性のメンバーが『商品』に化けて護衛達に囲まれながらアギアの後ろに控えた。

 校長が体格の良い護衛に囲まれながら、重い足取りでアギアたちに近付いてくる。

「今回はまた上玉が揃ったみたいだな。ところで、兄者はどうした?」
「あちらに」

 ひらり、とアギアが袖を振った先。
 そこにはクレーンに吊るされた校長の兄の姿があった。

「き、貴様! どういうつもりだ! こんなことをしてタダで済むと……っ」
「お前こそ、誰に牙を向けたか分かっているのか? 銀龍の前で頭も垂れぬとは、身の程知らずにもほどがある」

 銀龍、という言葉に、校長の顔からみるみる血の気が失われていく。
 目を白黒させて、今降りたばかりの車に舞い戻ろうとしたその頼りのない背中に、理世が堪えかねたように噴き出した。

「敵前逃亡とは恐れ入る! 自分の力量も分からず、常陸に喧嘩を売ったこと、後悔すると良いよ」

 パチン、と彼が指を鳴らす。
 その合図に、郵便部部員が姿勢を低くし、それこそ『獣』のような俊敏さを以て、校長の周りに控えていた男たちを次々に地面へ転がしていく。

「まずは、学友たちを返してもらおうか」
「き、貴様は……!」
「そうとも。ご存知、郵便部部長の常陸理世だ。そもそも『常陸』という名前に心当たりがない時点でお前たちは僕に喧嘩を売ったも同然。今までの借りも含めて、倍にして返してあげるから楽しみにしてなよ」

 ゆるく微笑む姿はまるで絵画に描かれた天使のようなのに、並べられた台詞が物騒以外の何ものでもなくて、紗七以外の全員が微妙な表情で校長に憐みの眼差しを向けた。

「ふざけるな! 私の完璧な計画を台無しにして!お前たちこそ、生きて帰れると思うなよ!」

 校長の怒号に釣られて、停まっていた車から次々と手下たちが顔を見せる。
 倍の数の敵が現れても郵便部と銀龍会の面々が怯むことはなかった。
 むしろ、今までの鬱憤をここで晴らさんと言わんばかりに、その瞳には爛々とした炎が宿っている。

「分かっているとは思うけど、最優先は校長だからね。手下も生け捕りが基本。壊していいのは腕と足、それぞれ一本ずつまでだから」

 冷たい声で告げられた理世の命令に、部員たちは苦笑を浮かべる。

「今までで一番こわーい命令な気がするのは俺だけ??」と夜雨が告げれば。

「ほどほどにしないとこっちが怒られるわよ」と桔梗が同級生を嗜める。

「まあ、ストレス発散には丁度良さそうな人数だよな」と後輩たちのやり取りを尻目にシアンが首を回す。

「ばあちゃんから刀借りてくればよかったなぁ」と借り物の武器がしっくりこないことに柚月が眉根を寄せる横で、紗七が「柚月なら大丈夫だヨ。夜雨先輩もいるしね」と微笑んだ。

「さて。死にたい奴は順に掛かって来なよ。じっくりたっぷり遊んであげるからさァ!!」

 生け捕りが基本と宣った口で更に物騒な台詞を吐く辺り理世も相当興奮しているのだろう。

「あんな若者がうようよと居るのかと思うと、この国は本当に物騒だな」
「多分、理世くんが特別なだけでーす」
「兄さんの意見に同意するのは嫌だけど、私もそう思います」

 双子がげーっと顔を顰めながら、楽しそうに血飛沫の雨を降らせる同輩に視線を送る。
 黙っていれば美しいその横顔が返り血で汚れていく。
 いいなあ、と口を滑らせたホロに、アギアは苦笑した。

「後で手伝ってくれるなら混ざってきてもいいよ」
「本当!? やった! 愛しているよ兄さん!」

 こんなときばかり愛を囁く弟の後姿と隣に立つ旭日を交互に見遣ると、アギアは嬉しそうに破顔した。

「お言葉の割に、随分と嬉しそうな顔をしておられますよ」
「……そう、見えるか」
「是、大家。まるで、新しい玩具を見つけた子どもみたいです」
「お前は年々、可愛げがなくなる」
「誉め言葉として受け取っておきます」

 長兄とボスのやり取りをはらはらとして見守っていたユタであったが、乱痴気騒ぎの会場から「ぎゃー」と上がった悲鳴に、ホロがやらかした気配を察知して、すぐにそちらへと駆け付ける羽目になった。

「おいユタ! こいつに首輪でも付けて押さえとけ! 勢い余って俺まで斬ろうとしやがった!」

 シアンが額に青筋を浮かべながらホロをユタに投げつける。

「馬鹿なの?!」
「疑うな! 馬鹿だろ!!」
「二人してあんまりじゃない!?」

 ぎゃんぎゃんと騒がしさを増す戦場の中、校長が数名の護衛を引き連れて逃げようとしているのを視界の端に捉えた旭日が拳銃を手にした。

「大家。皆に当たってしまいますよ」
「誰がアレを狙うと言った。こういうときにこそ『人質』を役立てるのだ」
「……なるほど」

 そう言って主がクレーンの方に銃口を向けたのを見て、アギアはほくそ笑む。
 年齢こそ差異はあれど、アギアもネイヴェスの血を引く者だ。
 争いと混沌を大好物とするのは最早遺伝と言っていい。
 ダァン、と存外に大きく響いた銃声が辺り一帯を心地よく包み込んだ。

「兄を置いて逃げるとは、貴様には人の心が無いと見た」

 肩から血を流しぐったりとしている中年男の姿に、校長が悲鳴を上げる。

「止めろ!!」
「ならば、武器を捨て投降しろ」

 一つしかない瞳の目力に圧倒されて、校長は旭日の指示に従った。
 ボロボロになっているほとんどが自分の手下であることに、鼓動が速くなる。

「アレを下ろしてこい。後のことはこちらで引き受ける」
「ですが、旭日様……っ」
「これしきの血で興奮しているようでは、まだまだだな。俺が何とお前に言ったか忘れたのか?」

 詰め寄ってきた理世を旭日は言葉一つで制した。
 以前告げられた言葉が理世の胸中をぐるぐると支配する。

「引き上げるよ、みんな。『子どもの時間』は終わりみたいだ」
「……いいのか?」

 やけにあっさりと引き下がった理世に、シアンが心配そうに肩を叩く。

「ああ。少なくとも旭日様は手柄を独り占めするような人じゃない。そうだろ、桔梗?」
「はい」

 満面の笑みを浮かべた後輩女子に釣られて、理世も笑顔を零す。

「帰ろうか。僕たちの学園に」

 今度こそ、平和な学園生活を送るために、と郵便部はあちこちを返り血に汚しながら帰路へついた。

「はい、お土産~!」

 旧校舎の改装という名目で学園閉鎖されてから五日後。
 桔梗の実家に厄介になっていた一同の前に再び姿を見せたホロに、まずシアンが悲鳴を上げた。

「飯食ってるときにキモイもん見せんな!」

 ホロがお土産と称したのは、じっとりと布地に赤が染み込んだ大きな包みだった。

「これ、腕? それとも足?」
「こらこらこら〜。紗七も悪乗りしないの」

 興味津々と言った様子でそれに近付こうとする婚約者を押さえながら、理世が視線だけでどういうことかをホロに促す。

「校長の腕とその兄の腕が一本ずつ。これは『常陸理世』の手柄だ。好きに使うといいって大家からの伝言」

「こんな生臭いお土産貰ってもなぁ~……」
「ただのお土産じゃないよ? 蓋を開けてみてからのお楽しみ付きさ」

 じゃ、楽しんでね。

 来たときと同様に軽やかな足取りで姿を消した彼に、桔梗と夜雨が思わず顔を見合わせる。

「この年代、まともな人いなくね?」
「しッ! 馬鹿! 聞こえたらどうすんのよ!」
「やべっ」

 こそこそ、と小さな声での応酬は恐らく耳に入っているのであろうが、理世はそのことについて何も言わなかった。
 包みの中に入っていた『あるもの』に視線が釘付けになっていたのである。

「……流石は天下の銀龍会。こんなものを僕なんかに回すとは、」
「何が入ってたの?」
「んー? 僕にとって、都合の良いもの、かな?」

 腕一本どころか、そこには生首が二つ綺麗に並べられていた。

 朝から見るには何ともショッキングな光景であるが、けろりともせず食事を続ける後輩たちに理世は苦笑を噛み殺す。
 彼の手には、真珠色の美しい盃が握られていた。
 それは、銀龍会の一員に迎えられた証にして、旭日が理世に付くという常陸家に対する宣戦布告であった。

⦅完⦆