9話 勝利の盃

 麻袋に詰められた汚物――校長の兄――を連れて、旭日率いる郵便部の一同がやってきたのは、別の旧校舎だった。
「……敷地、広すぎやしません?」
 うんざりとした口調で言った夜雨に、理世も苦笑を浮かべる。
「うちの学校は元々、軍事施設も兼ねていたからね。桔梗の実家ほどではないけれど、この辺り一体は昔の施設がそのまま残っているんだよ」
「補足すると、ここの地下はまだ非公認で稼働しているぞ。校長とその一味がアジトとして使っている」
 旭日が落とした爆弾に一同の顔に緊張が走った。
「心配せずとも今はいない。この男を使って、取引の時間をずらしたのを忘れたのか?」
「なるほど。さっきのはそういうことだったんですね」
「常陸の小鬼も、観察眼が鈍いと見える」
 カッカッカと豪快に笑う旭日をよそに、先輩に対して『小鬼』などという呼称を遠慮なく使う彼に桔梗は内心ヒヤヒヤものである。
「セキュリティなどは、そこの子狐どもが切っているからな。好きに動くと良い」
「……ご配慮感謝します」
 こんなにも動くのが楽だと思ったことは初めてだ。
 いつもはシアンと二人で、後輩たちの負担を減らすために電気系統を担当しているため、少しだけお株を奪われたようで悔しかったが、その分、時間に余裕がある。
「ドンが時間を稼いでくれたおかげで、ここの捜索に時間が割ける。みんな、準備はいいかい?」
 こくり、とそれぞれが頷きを返す。
「桔梗の他にも、今日あちらに送られる予定の人が居るはずだ。桔梗のように途中で目覚めたことがある人間が居ないのなら、ここに運ぶのも簡単なことだろう」
「設計図を見る限り、人を収容できそうな部屋はいくつもあります。校長たちが戻ってくるまでに全部を探すのは難しいかと……」
 遠慮がちに手を上げた桔梗の意見に、理世の目が孤を描く。
「心配いらないよ、桔梗。制御室を押さえてあるのなら、カメラがあるだろ?」
 向こうにしてみれば、大事な商品である。
 監視カメラを設置していてもなんら不思議はなかった。
「流石、理世くん。そう言うと思って、スマホに接続しておきました〜」
「ん。助かるよ」
 ホロから受け取ったスマホには、校長たちが使用されていると思われるフロアの画像が六つ映し出されていた。
「人が居るのはここだけみたいだ。どうするシアン?」
 遠回しに、桔梗についていてやれ、と言われたような気がして、シアンは顔を顰めた。
 対する理世も、彼の表情から全てを察し、両手を上げ悪かったのポーズを取る。
「愚問だったね。今回は助っ人も居るし、手短に済ませよう」
 その後の組み分けは早かった。
 隠密・索敵チームは理世・夜雨・ホロ・ユタ・紗七の五人。もしもの場合――校長たちがやってきた場合――に備えて、迎撃チームには、シアン・桔梗・柚月の三人に旭日が加わる。
「……こっちのメンバーに不安しかないんですけど、ユタさん何でそっち行っちゃうんですか」
「ふふ。大丈夫よ、桔梗。ドンはああ見えて、理性的だから」
「アレのどこが理性的って言うんですかっ!!」
 アレ、と桔梗が称した旭日はと言えば、目が覚めて喚きはじめた校長の兄の口に銃口を突っ込んでいる。
「俺は刀で皮膚を剥ぐ拷問が一番得意なんだがな、今回は時間の都合上、そうも言っていられない」
 意味が分かるな。
 独眼の男が絵画の中から飛び出てきたかのような妖艶な仕草で、美しく微笑む。
 それを見慣れている桔梗やホロたちはまだしも、今回初見である理世以下郵便部の面々は、思わずほうっと息も忘れて、その光景に夢中になっていた。
「……はい、みなさーん。戻ってきてくださーい。やっていることは、えげつない拷問ですからねー」
 桔梗の声に、全員が正気を取り戻すと、それぞれが持ち場へ向かう
「桔梗よ」
「はい、兄さん」
「傷は痛むか?」
「ええ、少し」
「ふむ」
 旭日は男の口から銃口を抜くと、何の衒いもなく男の足を撃ち抜いた。
「ぐあッ!?」
「ああ、すまない。俺の『妹』が随分と世話になったようだからな。つい、手が滑ってしまった」
 まったく悪びれもせず、そう言ってみせた旭日に、桔梗がまた呆れたようにため息を落とす。
「ドン、殺さないように気をつけてくださいね」
 理世が苦笑を落とす、なんて珍しい光景も、旭日が来てからはすっかり見慣れたものになりはじめていた。
「心得ているとも」
 ギリギリを攻めるのは得意だと、ひどく物騒なことを宣いながら、またしても銃弾が男を貫く。
 男の荒い息が、埃くさい部屋の中に木霊した。

「さて、と。今回は、バックに銀竜会が居ることだし、武器の使用を許可する。ただし、バレないように気をつけてね」
 それこそ、朝飯前である。
 それぞれが人の悪い笑みを浮かべるのに、理世の目に楽しそうな光が宿った。
「……常陸の小僧よ」
 今にも踏み出さん、とした理世を呼び止めたのは、先程まで楽しそうに男を甚振っていた旭日である。
「お前、酒は飲めるクチか?」
「一応、成人してますって前にもお伝えしたつもりなんですけど」
 どこか拗ねたような口調で言った理世に、旭日が歯を見せて笑う。
「気に入った。戻れば、俺の杯をやる」
「え、」
「お前となら、盃を交わしてみるのも悪くないと言ったのだ」
 ひらり、と言うだけ言って満足した旭日は、血溜まりの中で痙攣している男の方へと戻っていく。
「りい、今のって、」
「……銀竜会が俺の後ろについてくれるってこと、かな」
 驚きを隠せない、次期常陸家当主とその妻に、桔梗がしたり顔で言った。
「兄さんが、自分から盃を交わしたのは華月姉さんくらいです。よっぽど、先輩のことを気に入ったみたいですね」
「それは、光栄だな」
 俄然、やる気に満ちた表情になった理世の背後では再び物騒な尋問が再開している。
 今度こそ、人質を救出すべく、理世たちは大きな一歩を踏み出した

 それから、理世たちが人質を連れて戻ってきたのは、およそ二時間後だった。
 目的のものも、無事に手に入れたとのことで、桔梗たちはホッと胸を撫で下ろす。
「帳簿をアジトに置いたまま出るなんて、間抜けだニャー、なんちって」
 夜雨がペラペラと雑誌でも捲るかのように、退屈そうな動作で、これまで行われてきた人身売買の売り上げを眺める。
「それにしても、今までこんなに売られた人が居ったなんて……」
「良かったなぁ、柚月。お前、郵便部に入ってなかったら、今頃売られてたかもよ」
「もー! 何でそんな怖いこと言うんよ! やめてや!」
「いやいや、マジで。だってさ、お前――――」
 こしょこしょ、と柚月の耳に直接吹き込むあたり、どうせ「可愛いから、ターゲットにされちゃうって」などと、甘ったるい言葉でも吹き込んでいるのであろう。
 全員が生易しい目で見守る中、案の定、顔を真っ赤に染めた柚月が夜雨の頬をこれでもか、と引っ張っている。
「あの二人っていつもあんな感じなの?」
 ユタが、胸焼けでも起こしたような表情で、桔梗の側にやってきた
「付き合いだしてからずっとあんな感じですよ。ちなみに、付き合う前からあんまり変わってません」
「……もう、お腹いっぱいだわ」
「同感です」
 ふう、と肩をすくめて、美女二人は天井を仰いだ。
「桔梗」
 振り返れば、旭日が楽しそうに笑っている。
「こちらも準備が整った」
「分かりました。理世先輩、どうしますか?」
 桔梗の問いに、理世は思わず、隣に並ぶシアンに視線を移した。
 彼は、じっと理世の目を見ると小さく笑ってみせる。
「もちろん。最後まで、お供させていただきますとも」
 やけに芝居がかった口調でそう告げた彼に、理世が喉を逸らして笑う。
「いきましょう、ドン・旭日。常陸の名にかけて、このゴミを日本から消し去ります」
「カカ。良いだろう。おい、ホロ。アギアに連絡を取れ。少し早いが、こちらから行くと」
「是、大家」
 ホロは深々と旭日の前に、頭を垂れると、皆から少し距離を置いて、誰かに連絡をとり始めた。
「何だか、去年の今頃が懐かしいねぇ」
 不意に理世がぽつりと呟いた。
 空気の中にゆっくりと溶けていった言葉に反応したのは、やはりというか、何というか、長年彼の右腕を務めてきたシアンだった。
「もうすぐ、新入生が入ってくる季節だな」
 上級生二人のしんみりとしたやり取りに、桔梗と夜雨は思わず苦笑を零した。
「二人とも、ハッピーエンド感満載のところ、言いにくいんですけど、本番はこれからですよ?」
「そうですよ。先輩方にシャキッとしてもらわないと、俺らのやる気も出ませんって」
 すっかり逞しくなった後輩からの激励に、野太い笑い声が二つ、静かに響き渡るのであった。