5話『もしもし』

あれから一週間。
世間一般ではお盆を迎え、夏祭りや花火大会で賑わっているところ、侑里はお通夜のような心境に浸っていた。
実兄が面白おかしく囃し立ててくれたおかげで、隠していた――侑里としては上手く隠せているつもりだった――はずの恋心を本人の前で暴露され、あまつさえフォローまでさせてしまった。
言及が無かったことを鑑みるに、遠回しに振られたのではと脳内でぐるぐると同じことばかりを考えてしまう。

「……はあ、」

性格が悪いことなんて、自分が一番よく分かっている。
兄やその友人を見て育ったこともあり、不良に対する嫌悪感ばかりが肥大化し、偏見を持っているのも事実だ。
実際、教師に桃麻のことを押し付けられたときも「面倒だな」という感想が真っ先に浮かんだくらいである。
それが何をどう間違えば好意を抱くのか。

「そりゃ、柏原くんもああいう反応になりますよね、」

自分で自分がよく分からない。
はあ、と今日何度目になるのか分からないため息を吐き出して、万年床と化した布団に背中から倒れ込む。

「お兄ちゃんのバカ」

陸があんなこと言わなければ、この好意(きもち)に名前を付けることなんてなかったのに。

――ピロン。

唸り声を上げて、寝返りを繰り返していた侑里を現実に引き戻したのは、アプリの通知音だった。
ちら、と横目にスマホの画面を見れば、ピンク色のアイコンがロック画面に浮かび上がっている。

「…………げ、」

自分でもどうかと思うが、片思いの相手から連絡が来て出すような声ではない。
そのおかげで少しだけ冷静さを取り戻すことが出来た侑里は、筋トレ用のダンベルを持ち上げるようにゆっくりとスマホを手に取った。

『今、だいじょーぶ?』

大丈夫じゃない。
たった一言メッセージが送られてきただけで《嬉しい》とそわそわしてしまっているから。

『何の用ですか』

可愛くない返信を送り返しながら、またため息を溢す。
侑里の苦悩を他所に、返信にすぐ既読が付いた。
え、と目を瞬かせた侑里に追い討ちをかけるように、電話の着信音がけたたましく鳴った。

「はい!? も、もしもし?」
『ぶふっ』
「…………ちょっと、」
『はははっ! ごめんごめん。だって声裏返ってたからさぁ』
「それは、急に電話が鳴ったからびっくりして」
『んふふ、ごめんねぇ』

電話越しに桃麻が笑う。
いつもと違う彼の声に、耳裏がじわりと熱を持った。

「何の用ですか」

メッセージと同じ。
無愛想に返事をすれば、電話の向こうで「ふふっ」と擽ったそうな笑い声が響く。

「何、笑って」
『……可愛いな、と思って』
「はあ!?」
『わ、びっくりした。急におっきい声、出さないでよぉ~~』
「だ、ばっ、か、かか、柏原くんが変なこと言うからですよ!」
『変なことって?』
「へ、変なこと、言ったじゃないですか」
『可愛いって変なの?』
「すっ、少なくとも私に向ける言葉じゃないでしょう」

柏原くんも少し前までは言ってたじゃありませんか。

拗ねた口調でそう言われて桃麻は、はた、と目を見開いた。
そう言われてみれば、確かに「可愛くない」と面と向かって、言ったことがあったかもしれない。

「気にしてたの? 俺に言われたから?」

揶揄うように口遊めば、侑里が言葉に詰まるのが伝わってきた。

「んふふ」

黙っちゃって可愛い、と更に言葉を重ねれば、弱々しい声で「うるさいです」と返ってくる。

『……それで、用件は何です?』

少しだけ低くなった声に、機嫌を損ねたのを悟る。

「にいに、さっきから誰としゃべってるの??」

膝の間に座っていた陽菜が遂に我慢の限界を迎えた。
「だれ~だれ~?」と歌うように繰り返す妹の口を塞ぎながら、何と切り出すかを考える。

『……陽菜ちゃんと一緒にいるんですね』
「ん~、そう。聞こえた?」
『はい』
「ちょっと喋る?」
『え、』
「喜ぶと思うよ。委員長のこと、好きだから」

――ゴン。

鈍い音が反響を繰り返す。
委員長、ともう一度彼女を呼ぶも、返事はない。

「凄い音したけど、大丈夫?」
『……大丈夫じゃありません』
「どっか打った?」
『頭を壁に打つけました』
「も~気を付けなよ」
『誰のせいだと、』
「ゆうちゃんの声だ!」
「あ、こらバカ! 返せって!」

痺れを切らした陽菜が、桃麻の手からスマホを奪い取った。
もしもし~と間延びした声で、嬉しそうに侑里と話す姿に、思わず唇を引き結ぶ。
先ほどまでの自分も似たような顔で電話をしていたのだろうか、と思うと途端に恥ずかしさが募った。

「ゆうちゃん! お祭り一緒に行こうよ!」

電話した理由を、妹に奪われてしまった。

「うん! そう、日曜日のやつ! にいにも一緒だよ! 三人で行こうね! あ、にいにに変わるね!!」

はい、と渡されたスマホにゆっくりと耳を押し当てる。

「……もしもし?」
『どうしたんです、改まって』
「何か、陽菜と話してる方が楽しそうだったな、と思って複雑な気持ちになってたとこ」
『…………バカじゃないですか』
「だーってさ! 俺と話してるときより、声のトーン高かったじゃん!」
『それは、』

緊張するからです、とはとても言えなかった。
言葉を詰まらせた侑里を、桃麻はそれ以上言及しなかった。
代わりにお互いが無言の時間がやけにゆっくりと流れていく。

『……祭り、一緒に行ってくれる?』

口火を切ったのは、桃麻だった。
その聞き方は狡い、と侑里は思わず唇を噛み締めた。

「い、いですけど、」
『じゃあ、来週の日曜日に』
「はい」
『家まで迎えに行くよ』
「そんな、悪いです。中間地点で――」
『俺が』

続けようとした言葉は桃麻の声に遮られて言えなかった。
驚いて息を呑んだ侑里に畳み掛けるように、言葉が被せられる。

『俺が、ちょっとでも長く藤田と一緒に居たいんだ』

初めて名字を呼ばれた。

心臓が一際大きく跳ねる。
どくどくと激しく脈打つ鼓動に、ぎゅっと目を瞑ることで何とか堪えた。

「……分かりました。じゃあ、また日曜日に」

そう呟くのが、やっとだった。

気が付けば、スマホの画面には通話終了の文字が表示されている。
遠くから花火の音が聞こえてくるのをぼんやりと聞きながら、唇を噛み締めた。

「……何なのよ、もう!!」

嬉しさと困惑が混ざり合った何とも言えない感情が、侑里の思考をゆっくりと侵していくのだった。