灯龍祭-言祝-

シュラたちが無事に荊月を救出し、会場へ戻ると、満面の笑みを浮かべた桔梗が彼らを出迎えた。
だが、その目だけが笑っていない。
冷たく、肌を刺すような鋭い殺気を一身に受けて、シュラは思わず上擦った悲鳴を漏らした。

「ひっ……! は、母上、」
「おかえりなさい」
「た、ただいま戻りました」
「言いたいことは色々あるけれど――まずは、王族を代表して礼を述べます」
「!」

その言葉にシュラは反射的に膝を折った。
彼らの異様な雰囲気に呑まれ、同行していたものたち全員がシュラに倣ってその場へ跪く。

「荊月を無事に救出し、騒ぎを最小限に抑えて事態を収拾したこと。並の騎士でもここまで迅速に対応は出来ません」
「……っ」

母の言葉を噛み締めるシュラの横顔に、両隣に跪いていたジェットとラエルの胸も思わず熱くなった。

「ですが、一つだけ貴方たちは過ちを犯しました。どうして、大人に相談しなかったのです。貴方たちは卒業が決まっているとは言え、まだ『騎士候補生』。それに同行していた弟妹たちも『学生』でしょう。一歩間違えば、誰かが命を落としていてもおかしくなかったのよ」

シュラ、と母の声が優しく長男の名前を紡いだ。

「貴方やジェット、ラエルはそれをよく分かっているでしょう」

先の、世界樹を巡る戦いのことを言っているのだと、三人はすぐに分かった。
こくり、と頷いた三人の『騎士候補生』の姿に、桔梗が漸く口元を緩める。

「――荊月」
「は、はい! 伯母上!」

アンナとラエルが回復魔法を施したお陰ですっかり元気になった荊月が、顔を上げた。
真っ直ぐに自分を見つめる甥っ子の瞳は、弟と同じく紅蓮の虹彩を宿している。

「無事で何よりです。蘭月たちに顔を見せに行きましょう」
「わかりました」
「薊、貴女もですよ」
「は、はい」

桔梗は甥と姪を両脇に携えると、未だ跪いたままの息子たちに視線を戻した。

「……今日は疲れたでしょう。灯龍祭も一時中断となりました。部屋に戻ってゆっくり休みなさい」

労いの言葉を受けて、やっと立ち上がった彼らの姿に、桔梗が苦笑を噛み殺す。

「それから、シュラ」
「はっ、はい!」
「お祖父様から貴方に話があるそうです。落ち着いたら霊王宮へ上がりなさい」
「……わ、分かりました」

霊王宮とは、桔梗に宿る創世龍が一対『華月』の祠である。
限られた王族と従者しか入ることを許されない場所へ招待された意味が分からず、シュラの疲弊した頭は白煙を立ち上らせるのだった。

◇ ◇ ◇

エルヴィと二人で訪ねて以来の霊峰キリは、以前に比べると少しだけ寒さが緩和されていた。
恐らく麓の季節が関係しているのだろう。
以前は分からなかったが、薄くなった銀雪の絨毯の合間を縫うように、建造物が登山道のあちこちに散見している。

「待っていたぞ」

藤月は、石造りの階段の上でシュラを待っていた。

「見なさい」

今まで登ってきた階段を振り返る。
夕闇を纏った東の国が、視界一面に広がっていた。

「……お祖父様の国は、美しいですね」
「ふふっ。やはり、親子だな。あの子と同じことを言う」
「え?」
「ここから見える景色を、お前にも見せたかったのだ。あの子が――桔梗が過ごしたこの霊王宮を」

そう言って藤月は、華月の神子に選ばれた者が辿る生涯を短く語った。

「神子は必ず王族に縁ある娘から選出される。そして選ばれた娘はその存在を秘匿され、この霊王宮で一生を過ごす。歴代の神子のほとんどが、華月様の魔力を蓄える媒介となって、旭日様の封印を維持することに尽力し、その命を捧げてきた」

自分の叔母に次いで、娘が選ばれたとき、身を引き裂かれるような痛みが藤月を襲った。
妻である霙へ身籠っている娘が華月様の神子に選ばれたと伝えるのにも随分と時間を要したほどだ。
先代の国王――自身の父が亡くなったときでさえ、ここまで憔悴しなかった。

けれど、藤月は決してそれらを桔梗には悟らせなかった。
この閉ざされた霊王宮で生涯を終えることになるであろう娘を思うと、自身の痛みなど大したものではないと彼女の寝顔を見て己に強く言い聞かせた。

「けれど、アレは私の心配を跳ね除けて見せた。華月様の手を引いて、旭日様の心を取り戻したのだ」
「……」
「無論、お前の父が居たからこそだが」
「こ、こそばゆいです」
「ふふっ。シュラよ。今年で幾つになる」
「十六になりました」
「そうか。もう、十六になったか」

藤月は孫の髪をくしゃりと乱暴に撫で回した。
そして、彼の腕を引いて、霊王宮の中へ歩みを寄せる。

「構えろ」

漆が塗り込められた真っ黒な建物を背に、藤月は己の刀を抜いた。
シュラの顔へ一気に緊張が走る。

「お、お祖父様! 一体何を!」
「構えろ、と言うておる。お前に『東』の刀を預けるに相応しいか、見極めるためだ」

殊更『東』という言葉を強調した藤月を訝しみながら、シュラは言われるがまま長刀を鞘から抜刀した。

「その得物は、自分で選んだのか?」
「はい。父上やレオン叔父上のような大剣は、俺にはまだ早いと言われたので」
「ほう……」

藤月がやおら目を細める。
次いで、シュラの頬を切先が掠めた。

「!?」

布擦れの音一つ立てずに、一瞬で距離を詰められたことに、シュラの頸を冷たい汗が流れていく。
ごくり、と飲み込んだ生唾の音がやけに大きく響いた。

「簡単に間合いへ入られているようでは、お前に合っているとは思えんが」
「……っ」
「どうした? 同輩と戦っていたときは、もっと動けていただろう」
「は、はいっ!」

気を取り直して、藤月との間に距離を置く。
今度は、簡単に間合いを取られないように、とシュラはその切先を藤月へ向けた。

母を少し男っぽくしたような面立ちの祖父をじっと凝視する。
柄を握った手に汗が滲むのも構わずに、シュラは唇を噛み締めた。

一歩踏み出そうとするだけで、全身に突き刺さるような殺気が突き刺さって、身動きが取れなくなった。
ふう、と短く息を吐き出す。

シュラは、長刀を反転させると、それを逆手持ちにした。
藤月が驚いたように目を丸くするのを合図に、地面を力強く蹴った。

「轟くは業火の咆哮。その牙を突き立てよ――獅子焰牙!」

逆手に持った長刀を軸に、半回転。
炎を纏った獅子が、刀から飛び出した。

咄嗟に身体を捩った藤月の髪を、火の粉が煽る。

「見事。私の身体に技を当てるとは、恐れ入った」
「……毛先を掠めただけですよ」
「それでも、だ。私に一太刀浴びせたことに変わりない――のう、桔梗よ」

藤月の言葉に振り返ると、門柱に凭れかかった桔梗がこちらを見ていた。

「父上ったら大人気ないですよ。縮地を使って距離を詰めるだなんて。シュラに父上の縮地が追えるはずもないのに」
「だが無意識の内に顔を逸らしていたぞ。反射神経が良いところはお前に似たようだな」
「買い被りすぎです」

こんな風に穏やかな表情で話す母を初めて見た気がする。
シュラは物珍しいものでも見るように、桔梗を凝視した。
息子の視線に気付いた桔梗がゆるり、と眦を和らげる。

「なあに、じっと見て。母上が綺麗だからって見惚れてたのかしら?」
「……いつも思うんですけど、一体どこから来るんです。その自信は」
「華月様から」

そう言って子どものような笑い声を上げた桔梗の左腕から、黒い靄が立ち上った。

『確かに妾は貴女の自尊心を助長させてきましたが、容姿に関して何か言及した覚えはありませんよ』

華月が心外だ、と困ったように眉を顰めながら姿を現す。

「あら、そうでしたっけ?」
『この太々しい態度。見た目からは想像もできんな。――ウェルテクスの小倅はコレのどこを気に入ったのか』

今度は桔梗の右腕に巻き付いた白い龍が首を持ち上げる番だった。
桔梗の頬を突きながら、旭日が呆れたようにため息を吐き出す。

『のう、藤月』
「私も気になったので尋ねたことがあるのですが、確か『芯の強いところに惹かれた』と言っておりました」
『……「我が強い」の間違いではないか?』
『それも、否定できませんね。もしくは紙一重、でしょうか』

うんうん、と頷き合う創世龍と父親の三人に、桔梗の頬に怒りの紅が差す。

「もうっ! シュラの前で妙なことを言わないでください!」

誰かに転がされている母を見る機会はそう多くない。
シュラは日頃揉まれる立場なのを良いことに、恨みを晴らさんばかりにその様子を具に眺めていた。

「……それで? 私の息子は『元服の儀』を無事に達成できたのでしょうか?」
『なるほど、それで妾の宮に』
『まあ、元服させても問題はないだろうな。世界樹の蕾を開花させた男だぞ』

一つしかない碧眼が、シュラを捉える。

『赤子のお前を抱えて飛んだ日を懐かしむ時が来ようとは、』
『ええ、本当に』

創世龍二人の間に閉じ込められて、シュラは瞬きを繰り返すことしかできなかった。
面映い気持ちが胸を満たしていく。
何か言葉を返さなければと思うのに、唇からは上擦った声が漏れ出るばかりだ。

「シュラ」

藤月が、旭日と華月に挟まれてしどろもどろになっているシュラの前に膝を折った。
お祖父様、と呼びかけようとしたシュラの肩を旭日が咎める。

「桔梗に男子が生まれたら、これを譲ろうと思っていた」

その手には、先ほどまでシュラに切先が向けられていた刀が鞘に収められた状態で握られていた。

「号を雷震(らいしん)、通称は『八雷神(やくさいかづちのかみ)』と言う。桔梗の持つ『鳴雷(なるいかずち)』の兄弟刀だ。ぜひ、お前に受け取ってもらいたい」

先ほどは藤月に気圧され、刀を見る余裕など全くなかった。
その所為で、今になって初めて、その刃が黒く染まっていることに気が付く。

『妾の鱗から造った刀ですよ』

華月が嬉しそうに目を細める。
つつ、と華奢な指先が懐かしむように八雷神の刀身を撫でた。

「お、俺には勿体ないです」

震える声でそう告げるのがやっとだった。
指先を握り込んで動かなくなったシュラの姿に、藤月が桔梗に視線を這わす。
父親の意を汲んだ桔梗が、藤月の隣に並び立ったかと思うと、次いで――シュラの前に跪いた。

「この刀は代々、東の国『長子』に受け継がれてきたもの。王家に名前が記されていないとは言え、父上の長子は『私』。だから、蘭月はこれの受け取りを拒否した」
「え、」
「受け継ぐ者が居なければ、八雷神は父上が亡くなった後、共に埋葬される手筈になっている」
「……」
「私も、貴方にこの刀を受け取ってもらいたい」

祖父と母、二人の視線に見上げられて、シュラは瞑目した。
口の中がカラカラに乾いて、上手く声が出せない。

「シュラよ」
「……はい」

藤月は優しく孫を見つめ返した。

「この刀はな、華月様の神子を守るために造られたものだ。だが、私はこれを用いて、お前の母を守ることは叶わなんだ」
「父上、」

桔梗が藤月の腕を引くも、彼は首を振って言葉を続ける。

「それに私は既に前線を退いた身。お前の母には父が付いているから何も心配はしておらん。だが、お前はどうだ?」

守りたいものがあるのではないか、とその目が語っていた。
祖父の眼差しを受けて、シュラの脳裏で金色が弾けた。
出窓に腰掛け、夕暮れを眺めて微笑むエルヴィの横顔が、瞼の裏にこびりついて離れない。

『シュラ』

顔を上げれば、柔和に微笑んだ華月と目が合った。
彼女の隣には言葉無く旭日が寄り添っている。

かつて敵対していた彼らの手を、母・桔梗は再び取り持った。
そこに至るまで、長い永い時を要したことを、この刀は刻んでいる。

ごくり、と生唾を飲んだのは誰だったか。

シュラは一呼吸置いて、その手を祖父に伸ばした。

「――東の血を受け継ぐ、黒き龍の愛し子よ。雷震の防人として、『修羅』の名を戴く者。その名と刀に恥じぬよう、強くあれ」

藤月の声が、霊王宮の中に凛と響いた。
黒き龍の鱗を宿した刀がシュラの手の中で、ずしりと重みを増す。

――黒き龍を宿す者。我が血を分けた娘よ。この二振りの『雨』がお前の道行きを切り開く助けとなることを願う。

父の言葉に、懐かしい記憶が桔梗の中に蘇る。
あの日――十五歳になった桔梗は、父王から元服の祝いに二振りの『雨』を賜った。

東の刀の中でも特に造りの良いものはいつの頃からか、華月が生み出した『鳴雷』に肖って、『雷』『雨』『雲』の名を刻まれるようになった。

国一番の刀鍛冶が打った桔梗の刀の名は『村雨』と『時雨』。
黒雷の化身である華月を宿す彼女の供に相応しい雨の名を刻んだ二振りは、今でも当時と変わらぬ姿でその腰に帯刀されている。

「雫ノ宮」

感慨に耽っていると、藤月が懐かしい名を口遊んだ。

「はい、父上」
「お前は灯龍祭を最後まで見たことが無かったな」
「え、ええ。それがどうかなさいましたか?」
「――いや何、偶には蘭月と鈴蘭の願いを叶えてやろうと思ったまでのこと」

猫のように目を細めた藤月に、桔梗の頸を冷たい汗が流れる。
そんな桔梗を他所に、シュラは貰ったばかりの刀をそっと鞘から抜いた。
月明かりを反射した黒刀が、シュラの顔に影を落とす。

「よろしくな」

シュラの声に応えるように、八雷神は鈍い輝きを放った。