シーツの上を唸る金色の大海に、シュラはそっと目を窄めた。
真新しい朝日を吸収して、目が眩みそうなほどの輝きを放つそれに、少しだけ眉間に力が籠る。
「……今、何時だ」
ベッドサイドに置いてあるはずの時計を手探りで見つけると、約束の時間まで二時間は余裕があった。
すうすう、と健やかな寝息を奏でている片割れを起こすのは忍びなく、ついベッドに逆戻りしてしまう。
髪と同じ金色の睫毛が、シュラの身動ぎに釣られて、小さく震えを帯びた。
「ん、」
「わり、起こしたか?」
「シュラ」
「まだ、寝てても平気だ」
言いながら、肩まで布団を掛けようと腕を持ち上げたシュラに、寝惚け眼の片割れ――エルヴィがそっと身を寄せた。
懐に飛び込んできた彼女の無防備な姿に、思わず「え、」と情けない声がシュラの唇から溢れ落ちる。
「…………」
「エル、」
「………………間違えた」
違うの、夢だと思って。
一体どんな夢を見ていたのか。
顔を真っ赤にして狼狽えるエルヴィに、シュラは思わず天井を仰いだ。
「怒った?」
「怒ってないよ」
「でも、」
「……可愛くてびっくりしただけだ」
「な、」
おはよう、と今更ながらに口付けを贈れば、たったそれだけのことで、彼女は破顔した。
嬉しそうなエルヴィの姿に胸がいっぱいになって、そっと寝台の上にひっくり返す。
昔よりも長くなった彼女の髪が、シーツの上を撫でるように広がっていく様に、今度はシュラがゆるりと笑みを浮かべる番だった。
「エル」
「な、なあに」
「分かってんだろ」
「……っ」
鼻先を触れ合わせておねだりすれば、昨夜の情事を思い出したのであろうエルヴィの顔が、先ほどまでとは比べ物にもならないほど真っ赤に染まる。
困ったように眉根を寄せるその表情すらも愛おしい。
「ちょっとだけ、な?」
「ちょ、ちょっとって、どれくらい?」
「俺が飽きるまで、キスさせて」
「それ、ちょっとで済む? ……いやだって言ったら、止めて、ね?」
「……努力は、する」
虹彩の異なる双眸が、猫のように細められる。
それを了承の意として捉えると、シュラは再び彼女の唇を柔く食むのだった。
◇ ◇ ◇
「お、やっと来た」
遅いよ、とラエルのお小言にシュラは手を上げることで詫びると、隣を歩いていたエルヴィが彼女の元へと走り出すのを黙って見送った。
「久しぶり! ラエル!」
「本当にね! すっかり綺麗になっちゃって、まあ! 元気そうで安心したわ!」
手に手を取って再開を喜ぶ二人の姿を横目に、少し離れた場所でコーヒーを飲んでいたジェットにシュラは歩みを寄せた。
「桔梗様には報告したのか?」
「それが、ここに来るまで色々あってな。実はまだなんだ」
「……大丈夫なのか、それ」
「エルヴィの魔力が活性化していることには気付いているはずだから、平気だろ」
母の身体には、魔力探知に長けた二人の創世龍が宿っている。
世界樹が目覚めたことに、あの二人が気付かないはずもない。
それにエルヴィが目覚めるまで、五年も待ったのだ。
少しくらい寄り道をしても、怒られる謂れはない。
「お前が良いなら、俺たちは構わないが……」
「ああ、平気だ」
「そ、そうか」
はっきりと言い放ったシュラに、ジェットが苦笑いを浮かべる。
学生の時分は、素直じゃないことに定評のあった《あの》シュラが、開き直っている姿を見るのは実に愉快だった。
「それより、お前たちの方はどうなんだ?」
「何が?」
「……ラエルに交際を申し込んだと噂になっていたぞ」
「はあ!?」
昼下がりとはいえ、表通りにはちらほらと通行人が歩いている。
突然の雄叫びに注目したのは彼らだけではない。
渦中のラエルも小首を傾げながら、男性陣が向かい合って座るテーブルまでエルヴィを引き連れてやってきた。
「ちょっと、何。急に大きな声出して」
「な、何でもない。何でもないから、少し離れてくれないか」
まごついてるジェットの様子に、ラエルの眉間に深い皺が刻まれる。
ギッと鋭い視線を向けられて、シュラは観念したかのように両手を持ち上げて、自白することにした。
「少し前にタヴの支部で噂を聞いたんだ。演習後にジェットがお前に告白した、と」
「シュラ!!」
慌ててジェットが止めに入るも、時既に遅い。
エルヴィの「え」という声と、ラエルの息を呑む音が綺麗に二重奏を奏でた。
「……ふ~ん?」
楽しい、と言わんばかりに、愉悦で表情を色濃くしたシュラの姿に、ジェットとラエルの二人を目眩が襲う。
「シュラ。揶揄ったらダメだよ」
「揶揄ってない。事実確認をしているだけだ」
「それを揶揄っているって言うんじゃ、」
シュラとエルヴィの小声のやり取りが、ジェットとラエルには棘のようにグサグサと突き刺さった。
告白をされたのは、事実である。
けれど、返答は少し先送りにしてもらっていた。
互いに向けられる好意には気付いていたものの、いざそれを言葉にするのは何となく気恥ずかしさが勝って、波打ち際の浅瀬を歩くような、そんなやり取りを楽しんでいた二人だ。
ジェットが告白したのも、ラエルが自分に勝てたら一晩過ごしてやると他の騎士に言っているところを見てしまったからで。
もっと言い方があっただろうに、ほとんど弾みのような形で告げられた想いを、互いに上手く消化できずにいるのである。
しん、と静まり返った雰囲気を見て、エルヴィは自身の番を睨んだ。
せっかく、二人に会えたのに、これでは再会を喜ぶどころの話ではない。
「あのね、ラエル」
「な、なに」
あの頃よりもずっと流暢に話せるようになったエルヴィに、どきりと肩を竦ませる。
陽の光を吸い込んだ美しい金色を纏いながら、彼女はうっとりするほど美しい微笑みを携えていた。
「気持ちを伝えるのって、言葉だけが正解じゃないんだよ」
「え?」
「だって、エルヴィもそうだったもの」
「どういう意味?」
「エルヴィ、最初は上手く話せなかったでしょう? だから、行動でシュラのことが好きって、いっぱい頑張って伝えたの」
二ヶ月にも満たない、夢のような、懐かしい旅路がラエルの脳裏に蘇る。
思い返した彼女の姿のほとんどが心のままに行動していたものばかりで、肩に圧しかかっていた重しが少しだけ軽くなった気がした。
ちら、と窺うようにジェットへと視線を移す。
恥ずかしいのか、首まで真っ赤に染まった彼と目が合って、ラエルは唇を尖らせた。
「そ、れは、どういう表情なんだ」
「うっさいわね! こっちだって一杯一杯なのよ!」
「え~……」
「手、出して」
「?」
「いいから、手出しなさいよ! バカ!」
「そんな横暴な……」
ここで素直に応じなければあとが怖い。
仕方なく右手を差し出せば「左手ェ!!」と物騒な声が返ってくる。
おずおずと眼前に差し出された、骨筋張った男の手を見て、ラエルが満足そうに目を細めた。
「いい? 一回しか言わないからね」
「なに、」
何を、と告げるはずだったジェットの声は音にならなかった。
柔らかな感触が、予期せず手の甲に落とされた所為である。
「……あんたとなら、一緒に歳を取るのも悪くないわ」
聞いているこっちが羞恥でどうにかなりそうだった。
もはや空気と化したシュラとエルヴィは叫び出しそうになるのを、お互いの口元を手で覆うことで何とか堪えると、ジェットの反応を今か今かと注視する。
あんぐりと口を開けたまま放心状態でラエルを見つめ返す間抜けな男の姿に、二人は心の中で「頑張れ」を繰り返した。
「可愛くて格好いいとか狡いな」
「ちょっと、まさかそれが返事なわけ?」
「まさか!」
歌うように言葉を並べたジェットが、握ったままになっていた彼女の手を自分の方へと引き寄せる。
「おはようからおやすみまで、全部君にあげるよ」
「……くっさ。言っていて、恥ずかしくないの?」
「仕方ないだろ。君より格好いい台詞が思い浮かばなかったんだ」
きゃあ、と色めき立ったのは、シュラとエルヴィだけではない。
いつの間にかカフェテラスの周りは、見物客でごった返していた。
「エル」
「なあに?」
「二人にぴったりな贈り物があるんじゃないか?」
「……ああ! ふふっ。任せて!」
祝福ムードの中、真っ赤になって萎縮する二人に、シュラとエルヴィは悪戯っ子のように顔を見合わせて笑みを浮かべた。
パチン、とエルヴィが指を鳴らせば、世界樹にしか咲かない鮮やかな赤い花が現れ、宙を舞った。
「綺麗、」
誰からともなく溢された感嘆の声に、エルヴィが眦を和らげた。
次いで、ジェットたちの前に跪き、両手を組んで祝詞を唱える。
「世界樹が春を、芽吹きを、そして祝福を告げる。彼らに幸多き日が続かんことを」
エルヴィの魔力がぶわり、と膨れ上がったかと思うと、頭上で舞っていた花々もそれに反応して色を変えた。
世界樹と同じ、金色に染まったそれらが、青空に浮かんでは消え、幻想的な光景を生み出す。
少し早い春の訪れを、皆が眩しそうに見つめていた。