灯龍祭-行燈-

――どうしてこうなった!

鼻先を掠めた太刀の先。
不敵に微笑んだ叔父――蘭月(らんげつ)の姿に、シュラは舌打ちを溢した。

「正気ですか……! 叔父上!」
「姉上から、主席で卒業が決まったと聞いたのでな。お前の実力がどんなものか試してみたくなったのだ」
「だからと言って、こんないきなり……っ!?」
「ほう、今のを往なすか! 中々やるな!」

会話の途中であるというのに、蘭月の猛攻は止まない。
それどころか酷くなる一方だ。
応接間ではなく、中庭に案内された時点で叔父の意図に気が付くべきだった。
じり、と後退ったシュラの背後には、弟妹や同輩たちが控えている。

(……負けず嫌いなのもお見通しってわけか)

痛みを訴え始めた蟀谷に、シュラはグッと奥歯を噛み締めた。
ここで負けてはウェルテクスの名が廃ると言うものだ。
相手が王族でも関係ない。

無様な姿を晒すわけにはいかなかった。

「ふう、」

呼吸を整えるように、ゆっくりと息を吐き出した。
背中に背負っていた鞘を抜いて、抜刀の構えを取る。

「……やれ、懐かしい。姉上の得意な構えじゃないか」

母である桔梗は小太刀の双刀を愛刀としていたが、太刀の扱いにも長けていた。
シュラも普段であれば長刀を武器にしている。
だが、今手にしているそれは、突然蘭月に投げて渡された一般的な長さの太刀だった。
戦場では自分の武器が壊れる可能性もある。
使い慣れないものにも慣れておけ、というのが、シアンや桔梗の教育方針だった。

「母上に仕込まれましたので、」
「ふふっ。それは恐ろしいな」

その場の全員が固唾を飲んで、シュラと蘭月の対決を見守っていた。
ひゅう、と雪国特有の少し冷たい風が肌を撫でる。

「……いきます」

そう告げるや否や、シュラの姿が消えた。
桔梗と同じようにはいかないと宣った口で、彼女に引けを取らない速さを披露されて、蘭月の口元が引き攣る。

トン。
トトン。

空気を蹴る音が二度響いた。
ふっと、影が差したことで、漸くシュラの姿を捉えることが出来た蘭月は、甥の美しい構えに思わず息を飲む。

「やはり、姉上と同じ……!」

太刀を振りかぶるように構えたシュラが宙に浮いている。
次いで、それは美しい弧を描きながら、落ちてきた。

「――《三日月》!」

軌跡を目で追うのがやっとだった。
刀の背で受けた所為で、刃に亀裂が走る。

ここから反撃するには、シュラの脇腹に蹴りを入れるしか――。

蘭月が足を持ち上げたその時。

「そこまでだ」

低く、重い声が、その場を支配した。

「父上」

冷や汗を浮かべながら、蘭月が声のした方を振り返る。
そこには、一昨年王座を退いた藤月(とうげつ)が苦い顔をして立っていた。

「騒がしいと思って来てみれば、甥相手に何をムキになっている」
「も、申し訳ありません。――ですが、流石シアン殿と姉上の子です。してやられました」
「そのようだな」

藤月が緩慢な動作で二人の元に近付いてくる。
シュラは慌てて太刀を鞘に納め、その場で膝を折った。

「お、お久しぶりです。お祖父様」
「良い。楽にせよ。蘭月がすまなかった。お前たちの到着を霙と二人で出迎えようと来てみれば、中庭に案内されたと聞いたので、まさかと思ってな」
「い、いえ」
「ご学友たちもよく来られた。離宮に部屋を用意させてある。今宵はゆるりと休まれよ」

藤月の計らいに、ラエルとジェットは声を揃えて「恐悦至極です」と応えた。

「さて、シュラたちは私の宮に来なさい。――蘭月。お前には後で話がある」
「御意」

これは朝まで説教かもな、と子どもの時分以来の藤月の怒り口調に、蘭月は苦笑いを返す。

「叔父上、」
「ん~?」
「不本意な形ではありましたが、お手合わせ頂きありがとうございました」
「……ああ」

随分と目線が近くなった甥の姿に、蘭月は胸に込み上げた温かい衝動のまま、彼の頭を乱暴に撫でつけた。
また後で、と短く告げて去っていった彼らの後ろ姿を見送って、口元を綻ばせる。

「今年の『灯龍祭(とうりゅうさい)』は賑やかになりそうだな、鈴蘭(すずらん)」
「…………全く、貴方は懲りないわねぇ」

柱の影から姿を見せた双子の妹に、蘭月は白い歯を見せて、少年のように笑うのだった。

◇ ◇ ◇

シュラたちが東の国にやってきたのには理由があった。
毎年、夏の初めに開催される慰霊祭――『灯龍祭』に参加しないか、と蘭月直々に誘いがあったからだ。
卒業式を待つばかりとなり、手持ち無沙汰だったシュラはラエルとジェットを誘い、三人で参加しようと思っていた。
だが、それをどこから聞きつけたのか――恐らくは母、桔梗の仕業である――弟妹たちや従兄弟たちも気が付けば列車の旅に加わっており、五日間の旅を終え、つい先ほど王都ミツバに到着したのである。

「つ、疲れた……」

まさか到着初日から、叔父と手合わせすることになろうとは夢にも思っていなかった。
鍛錬は続けていたとは言え、久しぶりの実戦である。
あらぬ筋肉が悲鳴を上げていた。

「これくらいでバテていたら身が保たないな」

ふう、とため息を吐いたタイミングで、襖越しに遠慮がちな声が掛けられる。

「シュラ従兄上(あにうえ)、少しよろしいですか?」

聞き慣れないそれは、自身の弟妹よりも少し低い音色で奏でられており、尋ね人が誰かをシュラに知らせた。

「荊月(しづき)殿下。どうされたんです。こんな夜更けに」

蘭月の息子、荊月が暗い顔で廊下に立っている。

「折入ってご相談があるのです。お祖父様や父上には内密にしていただきたくて、」

嫌な予感が、シュラの背中を撫でた。
取り敢えず、部屋の中へ荊月を通すと、シュラはラエルとジェットを自身の部屋に呼び出した。

「彼らは俺の同輩です。口は硬いのでご安心ください」
「何よ、その言い方。他も頼りになるっての」
「……ラエル。今はそんなこと言い合っている場合じゃないだろ。すみません、殿下。どうぞ、ご用件をお話しください」

ジェットがラエルを肘で小突きながら、荊月に促す。
荊月はグッと唇を引き結ぶと、両手を組んで、何事かを口走った。
眩い光が荊月を包み込む。

「…………私は、荊月様ではありません」

光が止むと同時に、荊月の姿が変わっていた。
少女と大人の間を揺蕩う、美しい容姿の持ち主が、先ほどまで荊月の座っていた場所に鎮座している。

「薊(あざみ)、様?」

シュラの呼びかけに、少女がこくりと頷いた。
桔梗を幼くしたような面立ちの少女は名を薊と言った。
蘭月の双子の妹、鈴蘭の娘である。

「どういうことです。一体何が、」
「……従兄様が今年の『灯龍祭』に参加されると聞き、我らも伯父上に参加を表明しました」

薊曰く、シュラが来ると知った荊月が自身も『灯龍祭』に参加したいと願ったが、それは素気なく却下されたらしい。

「我らは元服の儀を果たしていない故、『灯龍祭』に参加する資格を持たないと」
「なるほど……。ですが、どうして荊月様のフリを?」

シュラの問いに、薊は唇をきゅっと強く引き結んだ。
それから、この場に居る三人の顔を順に見遣ると、意を決したように口を開く。

「一昨日のことです。星露宮をこっそり抜け出した私たちは『灯龍祭』の支度をしている様子を眺めていました。参加が叶わずとも『灯龍祭』が好きなことに変わりはなかったので、」

薊はそこで一旦言葉を区切ると、窓の向こうを彩る橙色の光に眦を和らげた。

「従兄様はもう灯籠をご覧になられましたか?」
「いいえ。実はまだ見ていません。叔父上に当日まで楽しみにしておけ、と言われてしまったので」
「ふふっ。伯父上らしい」

そう言って笑った薊だったが、次いでその目を涙で滲ませた。

「いつものように、祭の準備を見ていただけでした。もう少し近くで、と荊月様と共に街中へ入った途端……」

荊月様が拐かされてしまったのです。

さめざめと泣く薊の姿に、一同はハッと息を呑んだ。

「泣かないでください、薊姫。姫が荊月様に成り代わっていたことで、混乱を未然に防げたのですから」

最初に動いたのは同性であるラエルだった。
小さな肩に圧しかかった不安と恐怖を拭うように、そっと薊の手を取る。

「ああ。実に賢明なご判断でした。薊様はお風邪を召されたと聞いていましたが、そう言った事情だったとは、」

常はお転婆なところが目立つラエルの姿を見て、シュラは瞑目しながらも五つ下の従姉妹の頭を優しく撫でた。

「で、ですが、私が殿下のフリを続けるにも限界があります。――本日、これが星露宮に届きました」

ラエルの手を遠慮がちに離すと、薊は懐に忍ばせていた書簡を取り出した。
シュラはそれを受け取ると、隣に立つジェットにも内容が見えるようにそれを広げる。

「……これは、」
「脅迫状、だろうな」
「ここに書かれている『白い牙』って、確か」
「ああ。昔、ホロ先生が旭日様を復活させるために組織した団体だ」

署名されている名前に見覚えがあったシュラとジェットは、互いに顔を見合わせると深いため息を吐き出した。

「殿下を返して欲しければ、クラルテに収監されている同胞を解放しろ、か。よくこんな面倒なことを思いつくもんだ……」
「ああ。人質を交換しろなんて言う誘拐犯がまだ居るなんてな。時代遅れも甚だしい」

男性陣が天を仰ぎ見ている隙に書簡の内容を見たラエルも「うげっ」と舌を突き出す。

「それで? どうする、シュラ」

うんうん唸るシュラに、ジェットが声を掛ける。
その目には好奇と享楽の光が僅かに宿っていた。

「……聞いたからには、何とかしないとな」
「ああ!」
「もちろん、手伝ってくれるだろ?」
「白々しいわね。そのために、同席させたくせに」

ジェットとラエルが異口同音に肯定の意を示す。
シュラは、軽く息を吐き出すと、泣きじゃくりながら彼らの動向を見守っていた薊の前に膝を折った。

「ということで、もう少しだけ殿下のフリをお願いできませんか」
「えっ」
「誰にも気付かれず、殿下を奪還するためです」
「で、ですが、どうやって?」
「この日時をご覧ください。灯龍祭の当日と被っているでしょう?」

シュラは書簡のある部分に注目していた。
奇しくも、灯龍祭が開催されるその日に、荊月と収監されている白い牙のメンバーを交換しろと書かれている。

「東の国、各地には強力な結界魔法が施されています。よって転送魔法は使えません。人質を交換するにも、ここからクラルテまでは遠い」
「た、確かに」
「ですが、灯龍祭の日は各国の要人を来賓として迎え入れるために、一時的に結界を緩めるはずです。犯人はそれに乗じてクラルテへ転送することを考えているのでしょう」

東の秘宝と謳われた桔梗の息子がニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
その顔は、父であるシアンを彷彿とさせ、両隣に並んだ同輩が楽しそうに眦を和らげる。

「灯龍祭が終わるまでに犯人を見つけ出して、荊月様を奪還しましょう」
「……はいっ!」

こうして、シュラたちの卒業旅行は波乱の幕開けを迎えるのであった。

◇ ◇ ◇

灯龍祭まであと二日。
シュラはまず、薊が荊月に変装していることを弟妹と従姉妹たちに伝えることにした。
妙に感の鋭いミアは勿論のこと、ウェルテクスの血がそうさせるのか余計なことに首を突っ込みたがる性分の弟妹たちに隠しごとをするのは得策ではないと判断してのことである。

「へえ。興味深い魔法だね。幻影魔法は分かるとして、声帯や肉感は何で補っているの?」

ミアの第一声にシュラの眉間に皺が寄る。
一刻の皇子が誘拐されているにも関わらず、通常運転の彼女に思わず脱力した。

「え、えっと、私のは幻影魔法ではなく、龍の魔法を用いておりまして、」
「龍の魔法!? え、何それ、詳しく!!」
「……あ、従兄(あに)様」

姿形は荊月を模した薊が泣きそうな顔でシュラを仰ぐ。

「そこまでだ、ミア。姫が困ってるだろ」
「え~~。だって気になるじゃん」
「全部終わったら、説明してやるから」

まずは荊月と彼を連れ去った犯人の捜索が最優先である。
シュラの言に、部屋に集まった全員の顔に緊張が走った。

「索敵はジェットとミア、アンナ、シィナの四人に任せる。残りは姫の護衛だ」
「質問」
「何だ、クオン」
「どうしてお前が仕切ってんだよ」
「……お前ら姉弟は話の腰を折るのが大好きだなあ」

ミアの弟・クオンの頭にぐりぐりと拳を押し付ければ、腕の中で「痛い!」と非難の声が上がる。

「勝手に付いてきたお前らの分まで部屋を頼んでやったのは誰だったかもう忘れたのか?」
「う、ぐ……」
「レオン叔父上に告げ口されたくなければ、大人しく従え」

最悪のカードを持ち出されて、クオンは喘ぐように唇を閉ざした。
怒らせると一番面倒臭いのがレオンであることを熟知しているシュラに挑んだのが間違いである。

「薊姫が荊月殿下に紛していることを知っているのは俺たちだけだ。殿下が従兄弟である俺たちと市井を歩いても、普通は観光案内しているようにしか見えない。だが、犯人はどうだ?」
「捕まえたはずの荊月殿下が逃げ出したんじゃないか、もしくは影武者であることを疑うわね」

ラエルがシュラの言にこくり、と頷く。

「そうだ。索敵班以外の仕事は不審な人物の炙り出し。――出来るか?」

桔梗によく似た不敵な眼差しが、弟妹と従兄弟たち、それから同輩に向けられる。
長兄の爛々と輝く瞳に、アンナは肩を竦めて笑ってみせた。

「兄上ったら、誰に言ってるの?」
「本当よ。出来ないなんて、私たちが言うとでも?」

妹たちの不遜な態度に、シュラが口元を綻ばせた。
次いで、双子の弟たちを見遣る。

「それって、兄上たちと一緒に任務できるってこと!?」
「まあ、言い方を変えれば極秘任務と言えんこともないが、」

リオラが嬉しそうに破顔する様子に、シュラは彼の頭をくしゃりと撫でつけた。

「キヨ、頑張る……!」
「ほどほどにな」

もう一人の弟の頭も優しく撫でてやると、問題児のヴァルツ姉弟に目を移す。

「お前たちは必要以上に騒がないでくれ」
「失礼だな、シュラくんは。流石に国際問題を起こすほど馬鹿じゃないよ」
「……フンっ」

頬を膨らませるミアと鼻を鳴らしたクオンに一抹の不安を抱えながらも、シュラは全員の顔を見回した。
そして、荊月に変装している薊の前に頭を下げる。

「我ら一同、殿下の救出に尽力いたします。どうか姫もお力添えください」
「は、はい。従兄様」
「タイムリミットは明後日の日没。それまでに何としても見つけ出すぞ」

――おう!

全員の声が、綺麗に重なって空気中に溶けていった。

◇ ◇ ◇

王都ミツバは橙色の提灯で溢れていた。
赤い布地が家々を繋ぎ、その合間を縫うように提灯が所狭しと飾られている。

「あれは?」

シュラが興味本位で提灯を指差せば、荊月が心得たように頷いた。

「『鬼灯』という花を象ったものです。東の国では、死者を導く灯りとして言い伝えられていて、鬼灯の花を棺に入れる風習があります」
「へえ」
「従兄上は、灯龍祭の由来をご存知ですか?」

首を横に振ったシュラに、荊月がやおら目を細めた。

「もともとは、先祖供養の慰霊祭だったと言われています。それがいつしか歴代の王や国を守るために死んでいった戦士――東の国の言葉では『武士』と呼ぶ――たちの前に、武を奉献する武闘大会になったそうです」
「東の国らしい風習ですね」
「はい」

どこか誇らしげに笑った荊月の横顔に、シュラも釣られて笑みを携えた。
今朝の暗い雰囲気が少し薄れ、楽しそうにシュラたちを案内する小さな背中に目を細める。

「……兄上、」

リオラの固くなった声に、シュラが一瞥を返す。
一行は会場の設営が進められている広場に差し掛かろうとしていた。
灯龍祭を見るために集まった観光客で、周りはごった返している。
最短で離脱するルートを考えながら、弟の前にそっと身を屈めた。

「どうした」
「変な匂いがする。獣みたいな、」
「どこから」
「後ろ」

リオラが振り返らずに、言った。

「キヨもする」

同調するようにキヨラも頷く。

龍を宿したシュラたち、そして荊月の五感は常人のそれよりも遥かに鋭い。
特に、まだ幼いリオラたち双子は龍の力を上手く制御できず、常時その能力を解放しているようなものだった。

弟たちの言葉に、シュラは自身の魔力を鼻に集中させた。
犬、もしくは狼、それに近い獣の匂いがツンと鼻を掠める。
隣に立つ荊月もまた、シュラと顔を見合わせて眉間に皺を寄せた。

シュラが無言で、クオンとラエルに視線を送る。

「俺は上から」
「じゃ、こっちはアタシに任せて」

二人は言葉少なに頷くと、音もなく姿を消した。

「血気盛んなのか、行動力があるのか、微妙なとこだな」

そんな二人の後ろ姿を見送って、シュラはそっとため息を溢すのであった。

「……白いローブの人間に心当たりは?」

五分ほど経って戻ってきたクオンが、荊月に問いかける。

「いいえ。ありません」

その答えに、クオンとラエルが顔を見合わせた。
彼らの様子に、シュラと双子の弟たちも表情を固くする。

「三メートルほど距離を置いて、俺たちを監視している奴が居る」
「白いローブを着た二人組よ。どうする、シュラ」
「索敵班に、後を尾けてもらおう――アンナ」

シュラの頭上、鬼灯を模した灯籠に留まったカラスが「カア」と鳴く。

「相変わらず、怖いくらいに溶け込むわね。アンタの妹」
「ああ。魔力で作った烏には到底見えないだろ? アイツに隠し事が出来ない理由の一つだよ」

シュラはそう言って苦笑を噛み締めると、不安の表情を色濃くした荊月の背を軽く叩いた。

「大丈夫です。アンナたちなら、きっと殿下の居場所を突き止めてくれます」

彼の言葉が実現したのは、その日の夕食後であった。